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聖なる書物を読んで

現役JW29年目

神について最近思うこと

2019-01-10 | エホバの証人
この頃、神について感じることが、以前とずいぶん変わってきた。

これまで、エホバの証人として聖書を学んでいた時は、自分とは別の存在者として、すべてのものを創造された神がいると思ってきた。
その神は天から、自分のいるこの地を見守る、人格を持った絶対的存在者。
だから、感覚として、自分からはかなりの距離があって、遠い存在だったように思う。

でも今は・・・自分を含め、この物質宇宙そのものが、人格を持つ神の中に存在していると感じている。
神の存在を意識してるか否かに関わらず、すべてのものは神の(愛の)中で存在していて、息をすることも、食べることも、物質界の様々なすべての営みが、神という存在の中にあって生きているというか・・・
だから最近は、神を身近に感じるというのを通り越して、神に取り囲まれている上に自分の中にもあるというか、つまり、物質宇宙の中で生きてる自分は、神の中で生きているんだなぁと感じる。

だから、神の摂理の中で生きていくことが一番良いことなんだろうと思う。
その神の摂理を、人間は最初からずーっと求め続けて来たんだろうな。
どれが正解か。なにが真理か。

でも、そんなに堅苦しく考えなくてもいいのかもしれないなぁ・・・と思ったりもする。

今のこの地上の状態は、神の意思とは違うものであって、いずれ正される時が来るだろうと、きっといつの時代のどの場所の人も思ってたんだろう。
どうなんだろうなぁ。正される時は来るのかなぁ・・・

組織に付いて行く

2018-12-16 | エホバの証人
青地に白抜きのJW.ORGがロゴマークとなり、王国会館に掲げられるようになった。(いわゆるシンボルマーク・・・えっ?これって偶像崇拝?)

「み使い」が「天使」となり、「悪霊」が「邪悪な天使」となり。「聖書研究」は「聖書レッスン」・・・となると「研究生」は「レッスン生」となるのね。
で、「注解」は「コメント」になっちゃったのね。そのうち「集会」は「ミーティング」になるのかな。アメリカ主導の組織だもんね。

来年の1月号(ものみの塔の研究用)からは、写真の説明文まで載せるようになったんだね・・・・・自由なコメントwができないようにしたのかな。

来年の年句は、イザヤ41:10から。改訂版を使ってるから「心配してはいけない」になってる。「周りを見回すな」じゃなくなった。日本語の改訂版が来年までに出なかったら、なんだかややこしくなるね・・・


組織に付いて行くことって、神への信仰とは全く何の関係もないんだなぁとつくづく思う。

12月ブロードキャスティング

2018-12-15 | エホバの証人
今回は、145回ギレアデの卒業式の第1部でした。

昔、ものみの塔誌にギレアデ卒業式の記事が載ってた頃は、毎回楽しみで読んでたなぁ。話が教訓的で興味深かったから。(インタビューとか経験とかはどうでもよかったけど)

今回も、話自体は悪くなかったかなと思います。

●「自分に賞賛を求めず、いつもエホバを賛美しましょう」
うん、これはもう、クリスチャンなら当然だよね。
ギレアデ卒業生だからこそ必要な話なんだろうけど・・・そう思う時点でもう、ギレアデダメじゃん。

●「干ばつの年にあなたはどうしますか」
①エホバが選んで任命した、忠実で思慮深い奴隷を信頼する。
「奴隷はエホバが選んで任命した」・・・・ってホントかいな。さらっと2回も(3回?)言ってたけど、刷り込みだよなぁ。
「エホバの証人の否定的な報道」とか「奴隷への根拠なきうわさ、ゆがめられた情報」は、疑いを抱かせるためだとかなんだとか言ってたなぁ。言い訳にしか聞こえなくなっちゃったなぁ。ほんとよく言えるよなぁ・・・神を畏れてたら言えないだろうに・・・。

②聖書の原則を信頼する。当てはめて得られた良い経験を忘れないようにする。
うん。これはその通りだと思う。

ここは①と②が逆だよね。無意識に、聖書より奴隷(の指示、規則)が上だと印象操作される感じがある。

●「別人のようになりましたか」
サウル(悪い)とサウロ(良い)の例。「いい意味で変化できたらそのままで(司会者ジャクソン氏のまとめ)」。

話の内容は良かった。でもね、ギレアデ(パタソン)に来る前と後では別人になってる・・・・ってホントかいな。そういうこと(ギレアデ最高!)にしておかないと困るから、そう言ってるだけでしょ。開拓者学校もそう。こういうのが人を差別するって分からないのかな。だいたい初期クリスチャンには、学校なんてなかったよ。

●「エホバから徐々に与えられる祝福を喜びましょう」(ケニス・クックJr)
①天使と創造の業。エホバはいっぺんに創造することもできたが、物質宇宙、地球、生物、人間と、徐々に創造することで天使たちに喜びと感嘆を与えられた。だから天使たちは、人間たちがどうなっていくのかを見てる。

自分、なんで天使たちはこんなに人間のことに興味津々なのか不思議に思っていたので、なるほどぉと思いました。これはもしかしてエホバ神からの答えかしらん、なんて。(とっさにこう思うってことは、まだ洗脳が解けてないw。疑問の答えは、組織からだけじゃなく、いたるところにあるのにね)。

②復活と完全性。内面は不完全なまま復活してくる(って断定してるけど、ホントかいな)。徐々にエホバを知り進歩してエホバに近づいていく喜び(って断定してるけど、全部推論・・というか夢物語だよね)。わたしたちも、今、完璧である必要はない(完璧さ、求められてる気がする)。

「予期せぬことを徐々に予期する(司会者ジャクソン氏のまとめ)」

●「肩を並べて」
①他の人を支え強める、②試練は互いを励ますチャンス、③分裂を許さない(根に持たず許し合う)。

ナチの時の「死の行進」になぞらえて、視覚に訴える映像つきの話。以前だったら感動したのかもしれないけど・・・・なんだか気味が悪かった。組織人間として洗脳するのが目的なんだろうなと思って。上手く言えないけど、こんな映像を作ってみんなに見せて何がしたいんだろう・・・ホント気味が悪かった。

●「生きる指針とすべき一言」
イエスが言われた「わたしが父を愛していることを世が知るように(ヨハネ4:31)」。父のご性格を知り、それを生き方に反映する。「父を愛している」ことが行動基準になるように(規則ではなく原則で)。

うん。これはその通りだと思う。ただ、強調された点が「人をカテゴリー分けしない」「人を許す」、というのがなんだかなぁ。イエスがいちいち「み父だったらどうするか」なんて考えたかなぁ。何気にイエスをディスってるよなぁ。

以上です。普段のブロードキャスティングよりは良かったと思いました。

今の自分の立ち位置

2018-11-28 | エホバの証人
ちょっと前までは、このままフェードアウトかなぁと思ってたけど、最近は、このまま現役でもいいかなぁと感じて来ている。

集会にも(もちろん大会にも)行かず、奉仕にも行かず、交わりもせず、ごく普通の生活(趣味に没頭したり)の中で、集会のプログラムに合わせて聖書研究(組織以外の資料で)とものみの塔研究(おもに突っ込みw)をする、そんな日々。

平和で楽しくてけっこう気に入ってる。

たまに外で兄弟姉妹と行き合うと、笑い合いながら少し会話する位の距離感で。

このまま放っておいてもらえるなら、ずっとこのままでいいかな、なんて思ってる。

11月ブロードキャスティング

2018-11-09 | エホバの証人
一応、見るだけは見ました。

・・・もう特に何の感想も出て来なかったです。

見ながら感じてたのは・・・ああまたこんな話かぁ・・・いまさらこんな話されてもなぁ・・・もうお腹いっぱいだよなぁ・・・こんな調子で1時間かぁ・・・時間の無駄だなぁ・・・なんだかなぁ・・・この笑顔うそくさいなぁ・・・

相変わらず、聖書じゃなくて、組織を学ぶためのプログラムです。組織の中の一人として、どう行動するのが良いかを学ぶための。

だんだん見てるのが気持ち悪くなってきました。この人たちと同じに見られるのはイヤだなぁと。

でも、知り合いの兄弟や姉妹一人一人は、良い人になろうと努力してる良い人たちなんですよね。それが組織になると、なぜか薄気味悪く感じるようになってしまった今日この頃。


さて。
これから組織はどの方向に進んでいくんでしょうね。ここ数年で、かなりほころびが出て来ている(天の兵車が勢いよく動いてるw)ようにも感じるので、今後はビックリするようなことが多々起きるかもしれません。
きっと信仰が試されるでしょうw。

すでに組織から心は離れているけど、先月も奉仕報告は出しました。まだ現役エホバの証人です。

まだ現役JWです

2018-10-21 | エホバの証人
ブログを始めて早4か月。書き始めた頃は、自分もっと早くエホバの証人止めるんじゃないかと思ってたんですが、まだ続いてます。・・・とは言っても集会も行かないし、先月から奉仕にも出てないので、止めたようなものではあります。幽霊JWです。

でもまぁ、聖書についての記事もアップしてるので、先月の奉仕報告だけは出させていただきました。(組織の役に立ってない奉仕は、報告しちゃダメかなw) 

以前にも書いたけど、良心的にもうエホバの証人として野外の奉仕は出来ないと思ってます。パンフレット投函ぐらいならいいかな、と思ってたんですが、それももうやりたくないです。自分が信じてないこと、オカシイと思ってること、信じて欲しくないことを宣べ伝えるのは、やっぱり出来ないなぁと。

でも聖書について、神やイエスについては伝えたいと思っています。それでしばらくはこのまま、エホバの組織のオカシイところや間違いだと思うところを中心に、自分で調べたことや考えたことなど、書いていこうと思ってます。(時々趣味も交えて)

組織が間違ってると思うなら関係を断つべきだ、と言われる方もいます。そうだよなぁと思う自分もいるけど、人間の組織なんて所詮どれも間違ってるんじゃないかとも思うんです。今この地上に神の組織がないのなら、どんな組織に属してたって、組織に属さない一匹狼だって、いいんじゃないかなと。

この先、もし神の組織を見つけられたら、その時はエホバの証人をきっぱり止めます。(まぁその前に排斥されちゃう可能性はあるかもw) 

聖書の「大いなるバビロンから出なさい」という命令に関しては、そもそも「大いなるバビロン」が偽りの宗教の世界帝国かどうかも分からないと今は思ってて、このことはいずれ考えようと思ってます。

今はこんな感じで、まだ一応現役JWです。

ちなみに主人は、争いごとが苦手で、面倒なことも好きじゃないので、このまま成り行きまかせのようですw。

洗足式と記念式

2018-10-17 | エホバの証人
洗足式とは、ヨハネ13章1~17節に基づく、多くのキリスト教で行なわれている儀式で、聖餐式と共に行われることもある。(byウィキ)

エホバの証人は行わない。イエスが制定されたという記念式(聖餐式とは違う)だけを行なう。
エホバの証人(組織)は記念式をとても重要視しているけど・・・どうなんだろう。

最後の過ぎ越しのとき、ヨハネは洗足のことは書いたけど、記念式のことは書かなかった。

なぜ書かなかったのか。

そのころにはそれがもう確立していたので書く必要がなかったのか、あるいは後代の弟子たちに、形だけになってしまった儀式よりも大事なことを伝えたいと思って洗足のことを書いたのか。(洗足には、愛をもって謙遜に仕え合うこととイエスの贖いをもって日々犯す罪を覆ってもらう必要があることを教える意図があった・・・と思う) もしくは記念式の制定なんてなかったのか。

自分が今の時点で考えているのは、イエスは記念式の制定なんてしなかったこと。イエスが記念式みたいな式典を行なわせる方だとは、どうしても思えないんだよね。
たぶん弟子たちが、この時のイエスのことを思い出したり記念したりするために、主の晩さんと称して度々(特に日にちを決めないで)行なってただけなんじゃないかなぁと思う。
でも人って、そういうものを形式化したがるから、そうならないようにヨハネはあえて、パンとぶどう酒のことは6章で書き、過ぎ越しでは洗足のことを書いたんじゃないかなぁと。

というわけで、エホバの証人が行なってる記念式は、イエスに喜ばれてるとは思えない。


さて。

興味深いことに、日本語にも「足を洗う」という言葉がある。

仏教から出た言葉で、裸足で修行に歩いた僧が寺に帰り、泥足を洗うことで俗界の煩悩を洗い清めて仏業に入ったことから、悪い行ないをやめる意味で用いられるようになった。(by語源由来辞典)

イエスが行なったこととは関係ないけど、なんとなく繋がりを感じるなぁと思いました。

Y姉妹

2018-10-11 | エホバの証人
電車で3時間ほど離れたところにいる、年上のY姉妹とよく電話する。

Y姉妹の会衆は成員があまり多くないので、Y姉妹はものみの塔研究でなるべく1回は注解できるように、何か所かの注解を準備している。でも話によると、S長老が司会するときには、何度手をあげても指されないことが多いそうだ。S長老は、自分の家族や自分と仲の良い兄弟姉妹へのエコヒイキがあからさまで、そのことは会衆周知だとか。Y姉妹はうんざりした声で「前回はS長老が司会だったのよねぇ。また当たらなかったわ。S姉妹は何回も当たったのに」と。

Y姉妹は与える精神に富んだ方で、いつも兄弟姉妹をよくもてなしておられる。以前に特開者のA姉妹が交わっていたときにも、食事や洋服やガソリン代などもろもろ援助していたらしい。そのうちにA姉妹は、援助されてあたりまえのような態度になって、「Y姉妹、今日はお昼を食べに行きましょ」と自分から誘っておきながらY姉妹に払わせるということもあったそうな。Y姉妹はエホバのためと思って援助を続けたけど、「異動してくれてほっとしたわ。ほんとどうしようもない特開者だったわ」と。

Y姉妹の愚痴は延々と続くのでした・・・・・

10月ブロードキャスティング

2018-10-06 | エホバの証人
懸命に、新世界訳改訂版とみ名の復元と教義の正しさを訴えてました。

新世界訳改訂版が分かりやすくなったのは、現代語にしたからというより、教義に合わせて意訳したからだろうね。
調べなくても、読むだけで伝わるようにね。
ますます独自の解釈に基づいたエホバの証人だけの聖書って言われるね。
そのうち聖書じゃなくて、エホバの証人の聖典とか言われるようになるかもね。
(使った人のインタビューでは、「個人の感想です、ってちっちゃくテロップ入れといて欲しいね」と主人)

新約にみ名を復元した事も、イエスや使徒たちがみ名を用いていたかどうかよりも、実際に書かれた時にみ名が用いられたのかどうかが大事だと思うけど。
もし用いられていないのなら、そこに理由があるんじゃないかと。
だとしたら復元すべきじゃないよね。
み名を負う民だからといって、勝手に復元していいのかなと。(自分は旧約からの引用は復元してもいいと思ってますが・・・)

フェルメールの贋作の話、主人は有名な話だといってたけど、こんなことに使わないで欲しい。

三位一体論者を糾弾するのはいいけど、例に出てくる疑問が幼稚過ぎ。(自分は最近三位一体もアリかなと・・・)

全体的に見て、いかにも正論を言ってるように見えるけど、一部の正しさを示して全てを正しいと思わせるような、胡散臭いお話でした。
騙されないように、自分の頭を使ってちゃんと考えないとねw。

2018-10-04 | エホバの証人
「神」とはどんな存在か。
反JWの立場で書いているブログを読んでて感じたのは・・・

自分や世の中の問題をすべて自分の思い通りにすぐ解決してくれる存在。
悪が起こることなど許さず世の中を善で満たしてくれる存在。
子どもが悲惨な目に遭うことなど絶対に許さない存在。

こんな感じかな。
もちろん人によって違うだろうけど・・

きっと自分が思い描いている神とは全く違うんだなぁと思う。

自分にとっての神は、そんなに自分に都合の良い神ではない。
かといって、そんなに冷たくも過酷でもない。

今は基本的人権が保障されてる世の中だから、旧約時代の出来事を今の感覚をもって、神は残虐だと言うのもどうかなと。(神は時々の人間の考え方に譲歩されてる)

ご自分が犠牲になることはできなかった(世界が消滅しちゃうとかw。でも三位一体なら出来るねw)から、み子の犠牲を受け入れたんじゃないかなと。

確かに早く悲惨な出来事を終わらせて欲しいとは思う。
そう願ったから信仰を持ったんだし・・・(いつの世もそう思う人がいっぱいいたんだろう)

でも、神が時を定めているのなら、その時は確実に来るはずだと思ってる。いつかは分からないけど。キリストの再来は預言されてるから。