聖なる書物を読んで

現役JW29年目

愛の豊かな人になりましょう

2019-10-07 | ものみの塔
今週末のものみの塔研究記事。

なんかね・・・週を追うごとに読むに堪えなくなってきています。これ読んで励まされる人、いるんかな? これ読んで、聖書ってなんて価値のある本なんだと思える人、いるんかな?

・・・まず、例として出されてる内容が酷過ぎ。

掃除を真面目にしていないように見える兄弟がいたら、いらいら云々の前に、ちゃんと掃除するように促すのが愛なんじゃないのかな。これ、子どもにもこう教えるの? あの兄弟は掃除さぼってるけど、年配の姉妹を親切に手助けする良い所がある兄弟だから、いいんだよ・・・って? なんか変じゃない?

非常に保守的な信仰を持ってる人の信仰を妨げないために、映画を見に行くのをやめる、ってことで無私の愛を表わしたって?? 良心に関して何にも学んでない人たちじゃあるまいし。そんなことで信仰を妨げられるほうもオカシイし、そんなことが無私の愛ってのも、オカシイでしょ??

アルコール依存だった研究生がバプテスマを受けた後、食事会に招いて「もうクリスチャンになったんだから、エホバが聖なる力で助けてくださるよ・・・・・」って言ってお酒を勧める兄弟なんて、いるの?? そんな兄弟がいること自体、間違ってないか???

もうね、こんな記事書かれる方がよっぽど信仰の妨げになるよね。

もしかして、研究記事書いてる人たちって、ずーっとこの組織(特にべテル)にいるせいで一般常識が無さ過ぎるんじゃなかろうか、と思ってしまいます。(もちろん一般常識の方がはるかに優れているという意味ですw)

でも、一番突っ込みたいのは、主題の聖句になっているフィリピ1:9~11です。

副見出しにもなっている「愛の豊かな人」も「より重要なこと」も「人の信仰を妨げてはならない」も「正しい実を豊かに結び続ける」も、組織の教えに沿った改竄もしくは意訳です。

時間があったら、次回、他の聖書との比較記事を書きたいなと思ってます・・・

「行って・・・弟子とし」なさい

2019-09-22 | ものみの塔
今週のものみの塔研究記事。

聖書の研究記事じゃなくて、組織へ勧誘するための手引き記事でした。

なんかね・・・ブラック企業の営業手引き書みたいに感じちゃったなぁ。それほど直接的ではないにしても。

幾つか聖句は参照されてるけど、何の役にも立ってない気がする。聖書が主役じゃないんだよね・・・神やイエスが主役じゃなくて、組織が主役になっちゃってる記事なんだよね。

いつもながら残念。もっときっちり聖書の研究をすればいいのに。

こんな記事を研究する集会に、新しい人は呼べないよねぇ・・・せっかく聖書に関心を持って来てくれても、がっかりさせちゃうのがオチだよ。

いつもこんな記事じゃあ、霊的飢餓状態が続いて、今にも死にそうな現役さんも多いんじゃないかなぁと、心配になっちゃいました。(大きなお世話かなw)

ストレスに対処できるよう兄弟姉妹を助ける

2019-08-31 | ものみの塔
明日のものみの塔研究記事。

なんで、助けるのに「兄弟姉妹を」って限定しちゃうんでしょう。「他の人を」とか「周囲の人を」とか「身近な人を」とかでいいのに。

う~ん・・・この記事、参考になるんかな。自分的には、何の参考にもならなかった。

こんな研究、時間の無駄だ・・・

ストレスを感じる時、エホバに頼りましょう

2019-08-24 | ものみの塔
明日のものみの塔研究記事。

これ書いた人、一貫した話ができてませんよね。

2節に、ストレスとなる問題に直面してる例として出て来たジョンとボブとリンダ(ほんとにいるんかいな?)はいったいどうなっちゃったんでしょう?
ストレスを乗り越えられた例として出て来たのは、なんとナンシーとソフィア(しかもこの人はどんなストレスがあったかも分からん)でしたよ。
ジョンとボブとリンダはでっち上げだから、乗り越えられた例には使えなかったんかな・・・と、そんな風に勘繰っちゃいます。

まぁ、例に出て来る兄弟姉妹の話(経験にしろインタビューにしろ)は信用できないので、いつもはすっ飛ばして読んでるんですけどね。この話の進め方はちょっと研究記事としてレベル低過ぎると思ったので、突っ込んでみました。

5節に、エリヤが「ストレスと極度の疲れでいっぱいいっぱいになってしまったのでしょう」ってあるけど・・・「いっぱいいっぱい」って! もう少し、言葉を選べないものかと。
10節にも、「身も心もくたくたになる」って・・・分かり易いのかも知れないけど、小説じゃないんだから。

読み終わっての全体的な感想としては、神をずいぶんと貶めてるなぁと。

これ書いた人は、自分が神にでもなったつもりでいるんでしょうかね。神の思っておられることや考えておられることを分かった風に、まるで自分が神の代弁者ででもあるかのように書いてるけど。

・・・ああ、だからこの組織の神は、懐の小さい神になっちゃうんだな。

10節の「エホバは奉仕を続けるのに必要な力を与えてくださいます」とか、ずいぶんと限定的な表現だよね。この組織はとにかく奉仕奉仕。奉仕を続ける力なら与えて頂けると。そういう神だと。

そして、奉仕に加えて集会集会。孤立するな、集会に交われと。神は集会で力を与えて下さるんだと。

・・・この広大な宇宙を創造された神ですよ。そんなちっちゃい神じゃないと思います。

神の知識に逆らうすべての推論を覆しましょう

2019-08-17 | ものみの塔
明日のものみの塔研究記事です。

一言で言ってしまえば・・・組織の教え、つまり同性婚やクリスマスや誕生日や輸血や排斥に関する組織の教えを疑うなよ、ってことでしょうかね。

これは聖書の教えでエホバの基準だ、って書いてるけど、これは組織の教え(解釈)ですよ。だから、本当なのか、って疑問が出るんです。

エバはサタンの「本当ですか」に対しては、ちゃんと返答していますよ。疑念を抱かせたのはうその言葉の方でしょ。

それに、「本当なのか」っていう疑問を抱くことはいいことだと思います。で、その疑問に関して、組織からの情報だけでなく、聖書やそれ以外からもいろいろ情報を取り入れて、自分で判断することです。

そうじゃなかったら、盲信になっちゃいます。
まぁ、組織は信者にそれを望んでるんでしょうけど。

同性愛に関しては、聖書では禁じられてると思えるかもしれないけど・・・禁じる律法はイスラエルに与えられたものだし(もう廃された)、パウロはあのとおりの禁欲主義者だったし。淫行ははっきり禁じられてるけど、今でいうところの同性婚が果たして淫行に含まれるのかどうかというと、そんなことはないんじゃないかとも思えたり。

イエスは、神は人間の頑なさを考えて譲歩して下さっている、って言っておられましたよね・・・だから神は、その時々の、その状況にあわせて、これが最善だとこれが幸福だと考える人間の良心を、尊重して下さっているんじゃないかなと思ったりもします。(もちろん自己中はダメです)

そう考えると、同性婚も頭から否定しようとは思えないんですよね。(でも正直、自分には理解できない領域ではあります)

話は変わりますが・・・

良い友を選ぶ、ってよく出てきますけど、これ、すごくイヤな表現です。自己中丸出しの表現です。自分さえ良ければいいのかよ、って言いたくなります。それに、人を良い悪いって裁いていいのかよ、とも言いたくなります。

さらに、良い友=集会で見つける、ってのも狭い考えです。しかも、霊性の高い人(実際は、見た目で組織に貢献してる人)を、って(←今回の記事にはなかったけど)。これ、ホントにイヤだった。家柄や肩書きで判断してるのと変わらないじゃん、って思って。

まぁ自分にとってはね、友を「選ぶ」なんて贅沢な話ですよ。友になってくれるんなら、誰でもウェルカムですw。

虐待の被害者を慰める

2019-07-21 | ものみの塔
今日のものみの塔研究記事。

前回も書きましたけど、自分たちの会衆で起きてる虐待を、まるで他人事みたいに扱ってる時点でもう、ダメダメな記事です。

1節の例えからして、事を軽く見てる・・・というか、深刻な問題じゃないよ、膝をすりむいた小さな子どもを慰めるようなもんだよ、と軽く感じさせようとしてる、って思える。

5節の責任転嫁もヒドイ。「残念なことに、虐待が最も頻繁に生じるのは家庭です。家族や親族、家族と親しくしている人が加害者になるケースは後を絶ちません」ってつらっとして書いてるけど、よく考えたらこれ、どれだけエホバの証人の組織が危険かってことを言ってるわけだよねぇ(9節で「共にエホバを崇拝する仲間は家族のような存在です」と言ってる)・・・でも、まるで組織には責任が無いみたいな言い方でもある。

8節でも「性的虐待が広まっていることは、今が終わりの日であることの強力な証拠です」と。自分たちの組織内で起きてる悪いことも、終わりの日のせいってか。・・・ヒドイ組織になっちゃったなぁ。

こういう問題は専門家に任せるのが一番大切だと自分は思います。でも組織としては問題を外部に漏らされたくないから、そのことは脚注でちっちゃい字で書いてるだけ。これじゃ、専門家に相談なんてできる雰囲気じゃない・・・こういう書き方を見るにつけ、組織は信者を操るのが上手いよなぁ、と思う。

・・・で、組織はちゃんと専門家への相談を勧めている、と言い訳もできる。


この一連の記事のおかげで、組織に対する嫌悪感がますます増しました。本気で組織のために働いてる信者の皆さんが、なんだかとってもかわいそうだなぁと感じます。きっと、組織のためじゃなくエホバのためだと思っているんでしょうけども。

そのエホバのご意思とやらも、結局は組織が組織のために作り出したものに過ぎないんじゃないかなと、最近では思います。

神が悪を終わらせてくださる、と純粋に信じ、善を行いたいと願って活動されているのなら・・・組織の言うことをなんでも鵜呑みにしないで、オカシイと感じることを大切にしていってほしいなと思います。

今週の研究記事

2019-07-11 | ものみの塔
読んでいて怒り心頭です。実際に組織内で被害に遭った方が読んだらどれほど傷つくだろうと。感情を殺せと言っているんでしょうかね、この組織は。

でも一番うんざりするのは、これを読んでもオカシイと感じることも無い、組織絶対の現役信者がたくさんいるんだろうなということです。組織によってそういう思考回路に設定されてしまっているから・・・。

まぁ、自分もかつてはそうだったんですけど。自分で考えるより楽だしね。でも、感情が付いて行かなくなっちゃったんですよね。へそが文句を言うんです。オカシイだろと。

この組織が言うところの邪悪な世の組織でさえ、不祥事が発覚すれば、上が謝罪したり責任とったりするもんなのに、この組織は、組織内で児童性虐待が起きていると認めながらも、それをまるで他人事のように扱うんですね。

3節の「会衆に入り込もうとする」「会衆の一員だと言う人」という表現の仕方。オカシイでしょ。アダムがした自分正当化と変わらないじゃん。てめーらの兄弟姉妹だろうが!責任逃れしてんじゃねーよ!(言葉が悪くてすみません)

こんな表現の仕方で誤魔化してないで、まずは会衆に起きたことを報告して、謝罪すべきでしょ。というか、組織は会衆のせいにしてないで、ちゃんと組織として謝罪するべきでしょ。

1,2節も腹立たしいです。「どんな種類の児童虐待も『キリストの律法』に反します」って、どの口が言う、ですよ。あのムチ奨励は無かった事になってるんでしょうね。親は子供を助けたいなら本気でムチ打つようにと、演壇から力説していた兄弟たちの良心は、これを読んでも痛まないのかな。当時、組織の言う事は正しいと信じて従っていた親たち信者は、こんな風に平気で手の平を返す組織のオカシさに気付かないのかな。

とにかく、冷静に最後まで読める記事じゃないです。精神衛生上良くないので、続きはまたにします・・・

愛と公正 クリスチャン会衆において

2019-07-07 | ものみの塔
今日のものみの塔研究記事。
シリーズの第2部とのことですが・・・第1部の記事、もう忘れちゃいましたw。

まず、このテーマに対してこの内容じゃ、かなりアンマッチだなと感じました。かろうじて12,14,22~24節あたりは、かすってるかなと思えるけど・・・でもイエスの模範に対する適用であるなら、会衆に限定してしまうのは違うと思うし。

この組織はとにかく、会衆(=善)と世(=悪)とを分けて考えさせたいから、こういう書き方をするんだろうな。キリストの律法に従ってるのはエホバの証人の会衆だけだと思わせたいから。

でも、これで25節の「キリストの律法のもとにいられるのは、本当に感謝すべきことです。一人一人がその律法に従うよう努力すれば、会衆の人は皆、愛され大切にされていると感じ、安心感を抱けます」という結論に持っていくのは無理じゃないかと。・・・・・これじゃ、言ったもん勝ちみたいだよ。

それと、会衆において、と言う前に、組織において、愛と公正を行き渡らせて欲しいとまず思います。

長老だけしか見られない手紙とか、組織に貢献している人(名目上と数字上ねw)しか参加できない国際大会とか、開拓者だけの集まりとか、各種聖書学校とかね。細かく上げたらきりがないくらい、不公正を感じさせる取り決めがいっぱいあると思うんですけどね。

会衆から開拓者が移動(異動?w)していく時、目立ってた方たちとは会衆こぞって集会後に取り決めかのように集合写真を撮るけど、ひっそり目立たなかった方は知らないうちに移動されてたりして。そういう集合写真、ほんとイヤだったなぁ。なるべく捕まらないようダッシュで外に出てた。ホントのクリスチャンだったら、自分真ん中にして集合写真撮りたいなんて思わないよねぇ・・・(誕生日ダメの精神はどこにいった?)

会衆内での経験とかインタビューとかも、またあの人かぁ・・・ってのが多かった。開拓者はエホバに用いられるのよ、なんて言葉で納得させられてたけど、それも考えたら変だよね。エホバ、公正じゃないじゃん。・・・まぁ、プログラムを扱う長老や僕(あれ?今はなんて言うんだっけ?援助奉仕者?略語はあるのかな?)のお気に入りだったり、その逆だったりってこともあったんだろうな。

これはうちの旦那さんが言ってたことだけど、統治体に東洋人がいないのは差別じゃないか、と。・・・自分は、この組織自体がアメリカ主導だからしょうがないとは思ってますが・・・組織発のいろんなビデオを見てると、確かに東洋蔑視の気配を感じたりもするかな。

こうしたことをいくら言っても、不完全だから完全に愛と公正を行うのは無理だ、って言い訳するんだろうな。

つまり、組織は模範を示さないけど、一人一人はキリストの律法に従う努力をせよ、ってことかぁ・・・これってイエスが言われた、宗教指導者たちの言う事には従うが行いに倣ってはいけない、ってことですねw。

最後に。

来週の内容こそ、会衆において、がふさわしいと思います。児童性的虐待を、邪悪な世の事柄のように取り上げるって、不正直でしょ。

エホバの助けを受け入れ、邪悪な天使たちに抵抗する

2019-06-29 | ものみの塔
明日のものみの塔研究記事。

心霊術に関わると、サタンや邪悪な天使たちの影響を受けるから、持ち物も娯楽も含め心霊術関連には一切関わるな、と。

以前はそれを信じて、さわらぬ神にタタリなし、とばかりにあらゆる心霊術関連の物や事から遠ざかろうとして、見るもの聞くもの読むもの持ち物、とにかくすべて注意深く避けていました。包装紙の絵柄まで気にしたりして。ちょっとでも悪霊(邪悪な天使!)に隙を与えまいとして。

昔、まだ自分がエホバの証人じゃなかった頃、公園でママ友に聞いた話ですが・・・その友人はある宗教組織に入っていて、子供たちを護るために教祖様が願掛けしたお守り(お札だったかな?)をそこここに埋めているんだそうな。で、「実はこの公園にも埋めてあるのよ。だから安心して子供を遊ばせられるわ」と。

それを聞いた時は、そのママ友が安心できるなら別にいいか、と思ったぐらいで、それにとらわれることもなく忘れちゃったけど、その後エホバの証人になってからその話を思い出して、なんだかイロイロ気になって、どこに埋めてあるんだろう、うちのそばにも埋めたりしてるのかな、なんて逆にとらわれてた。

何か自分に良くないことが起きると、心霊術に関連したものが近くにあるからじゃないかと疑ったりもしたし。

今思うと、逆の意味で取り憑かれちゃってたなぁと感じます。バカみたいです。

まぁ・・・正直よくわからないです。聖書には、サタンや悪霊が実際に人を苦しめる存在として描かれているし、現代でも実際に悪霊のしわざかもという出来事があったりするし・・・いったいどの程度心霊術に関わるとそういう悪影響を受けるものなのか。

う~ん、でも、真理を擁護すればサタンと悪霊に敵認定されて攻撃され、心霊術に関われば取り憑かれるんじゃ、いずれにしても逃れようがないってことかなw。

今は適当に、心霊術関連であっても、楽しめるものは楽しんでます。映画とかドラマとか受動的なものですけどね。エホバの証人後遺症(いやまだ現役ですが)のせいか、占いやったり(TVで目にする場合を除く)お守り買ったりとかの能動的なことはやりたいとも思わないのでやりませんが・・・

突っ込みではなく、支離滅裂な記事になってしまいましたが、今週はこんな感じで・・・。

死についての真理を支持する

2019-06-22 | ものみの塔
明日のものみの塔研究記事。

1節。死と死後の命についての偽りの教えはサタンのうそである、という聖書的根拠って何だろう?
4節。サタンがある時点で別のうそ(体が死んでも霊の世界で生き続ける)を持ち出した、っていう聖書的根拠は? ある時点っていつ? 
8節。地獄の火の責め苦もサタンのうそである、という聖書的根拠は?
9節。不滅の魂があるというのもサタンのついたもう一つのうそだ、という聖書的根拠は?

これって、聖書にこのことが直接書いてあるんじゃなくて、世の支配者であるサタンが偽りの宗教を用いているという教理からの推論だよね。組織の教理(真理とされていること)と合わないものはみんな、偽りの父サタンの教え(うそ)です、ってことにしてるんだよね。

人間にはもともと、死にたくないっていう感覚があるんだから、死や死後の命を考えたって自然だと思うんだよね・・・人間の考えって、いったいどこまでサタンや悪霊(邪悪な天使だっけw)に支配されてるんだろう? 哲学とかも全部操られてるってことなのかな。そのへん、よくわかんないや。

もしかしたら人間が考え出したこともサタンのうそにされちゃって、サタンとしては「オレじゃねーよ・・・」って思ってるかも。

まぁ組織としては、自分たち以外の宗教を敵とみなしたいわけだから、サタンのせいにしとくのが手っ取り早いんだろうな。信者を従わせるにも好都合なんだろうし。

6節。(死や死者に関して)不必要な恐れや不安から解放されている、ってあるけど・・・代わりにサタンや悪霊(邪悪な天使だってばw)が実在して影響を及ぼしてることやら、大患難だのハルマゲドンだのが来るやらって、不必要な恐れや不安を煽ってるよね。

7節。サタンの難解なうそ、ってあるけど・・・何を指して難解だと? 「あなた方は決して死ぬようなことはありません」って単純明快なうそだよねw。
そういえば似たようなうそ、聞いたことある・・・「現存する万民は決して死することなし」。

8節。エジプトの災いとか、カナンの虐殺とか・・・旧約の神はかなり残忍だよなぁとは思う・・・

10節。「地獄の火の責め苦がどんなものかを体験させれば、異端者は死ぬ前に改心し、地獄に落ちずに済むと信じる人がいたようです」と責めてますけど・・・これ、完全忌避によって排斥者や断絶者が改心するかもしれない、っていう組織の考えと同じですよねぇ。
「神様がお子さんを天使にするために取り去られたんですよ」と言うのと、「完全忌避することが神の愛ですよ」って言うのと、どちらが神を貶め人を苦しめ悲しませているでしょうかねぇ。
「呪いやたたりを受けないようにするために、先祖をなだめようとする」のって、ハルマゲドンで永遠に滅ぼされないために、集会や奉仕に行って(エホバ=組織に従って)エホバをなだめようとするのと変わらない気がする。
自分たちのやってること、完全に棚に上げてますよねぇ。

12節。聖書に反する習慣に関しては、すべて良心で良いと思います。信じてないんだから、やろうがやるまいがどっちでもいいと思います。大事なのは、14節にあるように、他の人の感情を不必要に害さないようにすること、愛や思いやりや敬意を示すことだと思います。

13節。出版物と長老はやめときましょう。祈りと聖書と良心で十分です。

結局、イヤだなぁと思うのは、神にどう思われるかじゃなくて、組織に兄弟姉妹にどう思われるかを気にしなきゃいけない、ってことです。これって、世からじゃなく、信者から組織からの圧力ですよ。常に監視の目を意識しないといけないという。自由はどこにあるんでしょう。

目が疲れたので今週はこのへんで・・・