マルコ13:14「・・・荒廃をもたらす嫌悪すべきものが立ってはならない所に立っているのを見かけるなら(読者は識別力を働かせなさい)、その時、ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい」(新世界訳)
に関する、田川建三氏の「新約聖書 訳と註 マルコ福音書」p406~が興味深かったので下記引用させていただきます。
・・・前2世紀当時ユダヤを支配していたアンティオキアのヘレニズム王朝の王アンティオコス4世(通称エピファネス)が極端に横暴なヘレニズム化政策をとって、ユダヤ教を禁止し、エルサレム神殿にオリュンピアのゼウス像を立てさせた(前168年)。これはユダヤ人にとっては耐え難い屈辱であって、以後この像を「荒廃の忌むべきもの」と呼ぶようになったのである。これがきっかけとなって、マカバイ兄弟を中心とした独立運動が起こり、ついにユダヤがヘレニズム王朝の支配を脱し、独立するにいたった。もちろんマルコは、この過去の事件を記述しているわけではなく、これから起こるであろう出来事を予測して書いているので、類似の出来事がこれからも起こるであろうけれども、その場合には・・・、というのである。・・・(中略。西暦40年頃ローマ皇帝カリグラが自分の像をエルサレム神殿に立てさせようとしたが、ローマで暗殺され実現しなかったこと)・・・当時のユダヤ住民にとっては、もしも無理に実行されれば、ユダヤ人が抵抗運動を起こしただろうし、皇帝の側は大量の軍隊を導入してこれを鎮圧する予定であったから、阿鼻叫喚の巷となったことであろう。英米軍のイラク爆撃、侵略のような事態を想像すればわかる。マルコが7節で「戦争の噂」と言う時(複数形)、当時の世界では戦争の噂ぐらいはいくらでもあっただろうから、ほかにもいろいろの可能性が頭にあっただろうけれども、カリグラのこの件が大きく記憶に残っていたのは間違いない。
従ってここでマルコが「荒廃の忌むべきものが立ってはならないところに立つのを見たなら」と言う時、カリグラの時のような事件がもしも実際に起こってしまったら、と言っているのである。
しかしこの文をそう解さず、違う意味に解する神学者も多い。一頃まで流行っていたのが、これは終末の時の大悪魔ないし反キリストの出現を予言したものだ、という説である。・・・(中略)・・・「荒廃の忌むべきもの」という概念は、アンティオコス4世の事件に関してしか用いられない特殊な表現であって、これを終末時の大悪魔を指す意味に用いるなどという用例はまったく知られていない。更におまけに、マルコにはそもそも「終末時の反キリスト」などという概念は出て来ない。21-22節の「偽キリスト」はそれとはまったく異なる概念である。そこでは、戦争や大騒乱の危機に乗じて新興宗教的宣伝にしゃしゃり出る多くの宣伝家を批判している。
・・・間違いの根本は、マルコ13章は終末時に起こるべき事柄を予言的に記述している、とはじめから思い込んで解説している点である。しかしマルコはそういう意図でこの章を書いているのではなく、むしろ逆に、戦争その他の災難は終末の前兆などというものではなく、此の世の歴史の中で生じる災難なのだから、そういうことがあっても、そら終末だ、などと騒ぎ立ててはいけない、と警告しているだけである。
・・・こちらはものを知らない神学者がそう思い込んでいるだけだが、これは第1次ユダヤ独立戦争の最後のエルサレム崩壊(70年)を頭に置いたものだ(崩壊そのもの、ないしその直前の危機)、という説もある。しかしこちらはますます根拠がない。それなら、何故わざわざアンティオコス4世の事件をはっきり指示する特殊な表現を用いたのか、まったく説明がつかない。70年の時は、神殿に皇帝の像を置こうなどという試みはまったくなされていない。(後略。この14節を根拠にマルコは70年前後に書かれたのだ、と言い張り、14節の解説にあたっては、マルコは70年前後に書かれたのだから14節はその意味に読まれるべきだ、という前提と結論の堂々めぐり)
以上です。この言葉がアンティオコスの事件を表す特殊な表現だなんて、学んだことなかったなぁ。自分も、もうすでに組織の教理をいろいろ刷り込まれちゃってるけど、それを全部取り払わないと、聖書をちゃんと読めないし、素直に理解できないんだろうなぁ、と思った次第です。そして、聖句を組織の資料だけで理解するのは危険なことだと、改めて思いました。
に関する、田川建三氏の「新約聖書 訳と註 マルコ福音書」p406~が興味深かったので下記引用させていただきます。
・・・前2世紀当時ユダヤを支配していたアンティオキアのヘレニズム王朝の王アンティオコス4世(通称エピファネス)が極端に横暴なヘレニズム化政策をとって、ユダヤ教を禁止し、エルサレム神殿にオリュンピアのゼウス像を立てさせた(前168年)。これはユダヤ人にとっては耐え難い屈辱であって、以後この像を「荒廃の忌むべきもの」と呼ぶようになったのである。これがきっかけとなって、マカバイ兄弟を中心とした独立運動が起こり、ついにユダヤがヘレニズム王朝の支配を脱し、独立するにいたった。もちろんマルコは、この過去の事件を記述しているわけではなく、これから起こるであろう出来事を予測して書いているので、類似の出来事がこれからも起こるであろうけれども、その場合には・・・、というのである。・・・(中略。西暦40年頃ローマ皇帝カリグラが自分の像をエルサレム神殿に立てさせようとしたが、ローマで暗殺され実現しなかったこと)・・・当時のユダヤ住民にとっては、もしも無理に実行されれば、ユダヤ人が抵抗運動を起こしただろうし、皇帝の側は大量の軍隊を導入してこれを鎮圧する予定であったから、阿鼻叫喚の巷となったことであろう。英米軍のイラク爆撃、侵略のような事態を想像すればわかる。マルコが7節で「戦争の噂」と言う時(複数形)、当時の世界では戦争の噂ぐらいはいくらでもあっただろうから、ほかにもいろいろの可能性が頭にあっただろうけれども、カリグラのこの件が大きく記憶に残っていたのは間違いない。
従ってここでマルコが「荒廃の忌むべきものが立ってはならないところに立つのを見たなら」と言う時、カリグラの時のような事件がもしも実際に起こってしまったら、と言っているのである。
しかしこの文をそう解さず、違う意味に解する神学者も多い。一頃まで流行っていたのが、これは終末の時の大悪魔ないし反キリストの出現を予言したものだ、という説である。・・・(中略)・・・「荒廃の忌むべきもの」という概念は、アンティオコス4世の事件に関してしか用いられない特殊な表現であって、これを終末時の大悪魔を指す意味に用いるなどという用例はまったく知られていない。更におまけに、マルコにはそもそも「終末時の反キリスト」などという概念は出て来ない。21-22節の「偽キリスト」はそれとはまったく異なる概念である。そこでは、戦争や大騒乱の危機に乗じて新興宗教的宣伝にしゃしゃり出る多くの宣伝家を批判している。
・・・間違いの根本は、マルコ13章は終末時に起こるべき事柄を予言的に記述している、とはじめから思い込んで解説している点である。しかしマルコはそういう意図でこの章を書いているのではなく、むしろ逆に、戦争その他の災難は終末の前兆などというものではなく、此の世の歴史の中で生じる災難なのだから、そういうことがあっても、そら終末だ、などと騒ぎ立ててはいけない、と警告しているだけである。
・・・こちらはものを知らない神学者がそう思い込んでいるだけだが、これは第1次ユダヤ独立戦争の最後のエルサレム崩壊(70年)を頭に置いたものだ(崩壊そのもの、ないしその直前の危機)、という説もある。しかしこちらはますます根拠がない。それなら、何故わざわざアンティオコス4世の事件をはっきり指示する特殊な表現を用いたのか、まったく説明がつかない。70年の時は、神殿に皇帝の像を置こうなどという試みはまったくなされていない。(後略。この14節を根拠にマルコは70年前後に書かれたのだ、と言い張り、14節の解説にあたっては、マルコは70年前後に書かれたのだから14節はその意味に読まれるべきだ、という前提と結論の堂々めぐり)
以上です。この言葉がアンティオコスの事件を表す特殊な表現だなんて、学んだことなかったなぁ。自分も、もうすでに組織の教理をいろいろ刷り込まれちゃってるけど、それを全部取り払わないと、聖書をちゃんと読めないし、素直に理解できないんだろうなぁ、と思った次第です。そして、聖句を組織の資料だけで理解するのは危険なことだと、改めて思いました。