明日のものみの塔研究記事。
え~と・・まず、組織の人の経験は読む気にならないです。ホントかどうか分からないし、組織が言いたいことの裏付けのために、都合よく話を作ってるでしょうし。
そうすると、2~5節、11~16節、19節前半と22節くらいしか読むところがありません。
2節。主題の聖句、詩編131:2より「わたしは自分の魂をなだめ、静めました」。
この131編は、神に対する幼子のような信頼を歌った詩。幼児が母の腕の中で安心し満足しているように、魂の平和は、神の御前で幼子のように(傲慢になったり高ぶったりせず、大いなることやくすしいことも求めず)神を信頼し身をゆだねることだと。
3節。「(ヨセフは)希望を失ったりいらだったりすることはありませんでした」と断言しちゃってる。ホントかよ。そんなにスゴイ人じゃ、お話にならないじゃん。
4節。「ヨセフは投獄されている間、どんなことを考えましたか」という質問。・・・んなことヨセフに聞いてみなきゃ分からんでしょ。「以前に見た預言的な夢を思い出して、エホバは愛してくださってるはずだと考えた」のだとしたら、なんと傲慢なことかと。だいたい兄たちに妬まれたのだって、偉そうに自分の見た夢を自慢したからでしょ。奴隷となってまでそんな夢にすがってたのだとしたら、エホバは共にいて下さらなかったと思うよ。
5節。「・・・・神の平和が知力を守り、穏やかな気持ちを持たせてくれます。(フィリピ4:6,7)不安に押しつぶされそうな時エホバに助けを求めましょう」。ここまででいい。「そうすれば、あきらめずに奉仕し続けることができます」はいらない。平穏な気持ちを保つために書かれた記事であって、奉仕を続けるために書かれた記事じゃないでしょ。
11節。「(ヨセフは)エホバに祝福していただくため、ベストを尽くそうと決意しました」ってまた断言してるけど、そんなこと聖書に書いてあったっけ? もしそうなら、下心ありありじゃん。ベストを尽くすのって、祝福のためなの? エホバの証人はみんな、祝福のためにベストを尽くして奉仕してるの? 神を愛してるからじゃないの?? いつからそうなっちゃったんだろう。
12節。「ヨセフは知る由もありませんでしたが」って・・・聖書読んでる?? ヨセフはずーっと待ってたと思うよ。創40:14でヨセフは、「ですが、あなたにとって事がうまく運んだら、わたしのことを覚えていてくださらなければなりません。そして、どうかわたしに愛ある親切を施してわたしのことをファラオに話し、ぜひともわたしをこの家から出してください」って献酌人に頼み、無罪を主張してるのに。
もし分かっててこういう書き方をしているなら、読者をだまそうとしてるとしか思えないよね。
13節。「辛抱強くあり、その中でベストを尽くすなら、エホバに祝福していただけます」は、「辛抱強くあり、ベストを尽くしましょう」でいい。で、「エホバはパウロを通して、逃れ道が全くない(絶望するしかない)わけではないと励まし導いてくださっています」みたいにすればいいのに。この書き方じゃ、なんてケチな神なんだろって思っちゃうよ。
なんだかもう、突っ込むの疲れたです。
14~16節。フィリポについてもなんだか書き方がオカシイけど、一つだけ突っ込んどきます。
聖霊で油注がれた人たちと比べるんじゃねぇよっ。(汚い言葉ですみません)
え~と・・まず、組織の人の経験は読む気にならないです。ホントかどうか分からないし、組織が言いたいことの裏付けのために、都合よく話を作ってるでしょうし。
そうすると、2~5節、11~16節、19節前半と22節くらいしか読むところがありません。
2節。主題の聖句、詩編131:2より「わたしは自分の魂をなだめ、静めました」。
この131編は、神に対する幼子のような信頼を歌った詩。幼児が母の腕の中で安心し満足しているように、魂の平和は、神の御前で幼子のように(傲慢になったり高ぶったりせず、大いなることやくすしいことも求めず)神を信頼し身をゆだねることだと。
3節。「(ヨセフは)希望を失ったりいらだったりすることはありませんでした」と断言しちゃってる。ホントかよ。そんなにスゴイ人じゃ、お話にならないじゃん。
4節。「ヨセフは投獄されている間、どんなことを考えましたか」という質問。・・・んなことヨセフに聞いてみなきゃ分からんでしょ。「以前に見た預言的な夢を思い出して、エホバは愛してくださってるはずだと考えた」のだとしたら、なんと傲慢なことかと。だいたい兄たちに妬まれたのだって、偉そうに自分の見た夢を自慢したからでしょ。奴隷となってまでそんな夢にすがってたのだとしたら、エホバは共にいて下さらなかったと思うよ。
5節。「・・・・神の平和が知力を守り、穏やかな気持ちを持たせてくれます。(フィリピ4:6,7)不安に押しつぶされそうな時エホバに助けを求めましょう」。ここまででいい。「そうすれば、あきらめずに奉仕し続けることができます」はいらない。平穏な気持ちを保つために書かれた記事であって、奉仕を続けるために書かれた記事じゃないでしょ。
11節。「(ヨセフは)エホバに祝福していただくため、ベストを尽くそうと決意しました」ってまた断言してるけど、そんなこと聖書に書いてあったっけ? もしそうなら、下心ありありじゃん。ベストを尽くすのって、祝福のためなの? エホバの証人はみんな、祝福のためにベストを尽くして奉仕してるの? 神を愛してるからじゃないの?? いつからそうなっちゃったんだろう。
12節。「ヨセフは知る由もありませんでしたが」って・・・聖書読んでる?? ヨセフはずーっと待ってたと思うよ。創40:14でヨセフは、「ですが、あなたにとって事がうまく運んだら、わたしのことを覚えていてくださらなければなりません。そして、どうかわたしに愛ある親切を施してわたしのことをファラオに話し、ぜひともわたしをこの家から出してください」って献酌人に頼み、無罪を主張してるのに。
もし分かっててこういう書き方をしているなら、読者をだまそうとしてるとしか思えないよね。
13節。「辛抱強くあり、その中でベストを尽くすなら、エホバに祝福していただけます」は、「辛抱強くあり、ベストを尽くしましょう」でいい。で、「エホバはパウロを通して、逃れ道が全くない(絶望するしかない)わけではないと励まし導いてくださっています」みたいにすればいいのに。この書き方じゃ、なんてケチな神なんだろって思っちゃうよ。
なんだかもう、突っ込むの疲れたです。
14~16節。フィリポについてもなんだか書き方がオカシイけど、一つだけ突っ込んどきます。
聖霊で油注がれた人たちと比べるんじゃねぇよっ。(汚い言葉ですみません)