聖なる書物を読んで

現役JW29年目

「心配してはいけない。私があなたの神である」

2019-03-08 | ものみの塔
今週末のものみの塔研究記事。

今年の年句ですね。イザヤ41:10。
「心配してはいけない」の部分、以前の訳では「周りを見回すな」でした。他の訳では「驚いてはならない」「たじろぐな」など。

ちなみにイザヤ書は、1~39章、40~55章、56~66章の3つの部分に分類するのが旧約聖書学の一つの常識となってるそうです。学者たちはそれぞれの著者を、第一イザヤ、第二イザヤ、第三イザヤと呼んで分類しているそうです。
なのでこの部分は、捕囚から帰還したエルサレムにて、第二イザヤが書いたものとされているそうです。

さて、ツッコミです。

1節に出てくる良子さん、エホバの証人としての信仰があれば、当然の反応だよね。死んで復活したら楽園なんだから。対処しにくい危機の時代に大変な思いをして生きるより、それこそ「楽園で会いましょう!」って感じになるんじゃないのかな。
真の命は楽園での命(つまり今の命は真の命じゃない)。死は無活動(死への恐れから自由になった)。などの教理を信じてるんだから。
だから、6節で娘さんが言ってる(死への恐れに対して)「穏やかな気持ちでいられるようエホバが助けてくれた」に、逆に違和感を感じるよ。

人間は生き続けるように創られたから、本能的に死ぬことを受け入れられない、ということなら分かる。だから、宣告を受けて動揺したり、時には恐れを抱いたりしても、それは信仰がないことではないんだよと。

あるいは、死に至る痛みや苦しみに耐えられるよう、エホバが助けてくれた、ということなら分かる。だから、激しい迫害にあっても、どれほど敵の攻撃が激化しても、心配いらないよと。

でも、死そのものを恐れてるエホバの証人がいるとしたら、それって信仰ないよね、ってことにならないのかなと。

・・・・まぁ、こういう信仰は、命に対する一般的な見方からは、かけ離れてると思います。エホバの証人はどうかしてると一般からは思われます。それが分かってるから、組織はこういう書き方をするんでしょうね。エホバの証人は、命に対して一般的な見方と同じなんだと。ホントは相容れない考え方なのに。

でもって、うま~く論点をすりかえてこんな記事を書く。

挿絵で恐怖をあおって、仮想敵を作って、あなたを助けてくれるのはエホバ(=組織)だけなんだ、と刷り込む。

相変わらずだなぁ、と思いました。

若い皆さん、充実した生き方をしてください

2019-03-01 | ものみの塔
今週末のものみの塔研究記事。

1,2節を読んでまず、この経験話の嘘くささに呆れた。今時いる?日本にこんな若者。これって、1世ってことだよね。1世は自分に当てはめるだろうけど、肝心の2世(3世も増えてるのかな?)は自分には当てはめないよねぇ。2世のために、もっと現実に即した経験話、持ってこられなかったのかなぁ。これで若い2世が励まされるとは思えないよ。何のための研究記事なんだろ?・・・まぁ、日本人向けじゃないってことですね。

3節で確かに神は「若い成年の日にあなたの偉大な創造者を覚えよ」と勧めてるけど、その前に「若者よ、あなたの若い時を喜べ。若い成年の日にあなたの心があなたに良いことをするように。そして、あなたの心の道に、あなたの目の見る物事のうちに歩め」とも勧めておられるんですよ。で、道を踏み外すことが無いように「すべてのことに関して、まことの神があなたを裁かれることを知れ」と。だから、若いうちに神を知れと。これは、若者の人生を組織に縛り付けるための聖句じゃないです。

4節。戦闘の訓練、ちゃんとしてたと思います。でなきゃ、戦人だの戦闘隊形だの軍隊の装備だのっていう単語は出て来ないと思います。その軍事力に頼るな、ということですよね。なので、信仰だけで物事が解決するわけじゃないということです。・・・となると、軍事力だったのか、神の力だったのか、どっちともとれることになります。祈りが聞かれたのか、偶然だったのか、どっちともとれるのと同じです。案外そのあたりに信仰が関係してくるのかもしれませんね。エホバだわ~、サタンよ、みたいに。

5節。ダビデは飛び道具を持ってたわけですからね。相手が大きい方が当たる確率高いし有利だったでしょうね。まぁ、石投げによっぽど自信があったんでしょう。当たらなかったら逃げればいいんだし、きっと逃げ足も速かったんでしょうしね、武装してなかったしw。(解釈は自由ですw)

7節。「神を愛する人は神を信頼し、神の見方に倣います。神の導きを求め、神に従う決意をしています」
この組織に限らず、神を愛する人はみんなそうでしょ。ただ・・従う「決意」って変。「努力」ならわかる。

8~10節。良いと思います。ただし、「神」を「組織」と取り違えないようにすることが重要ポイントです。矯正も優先順位も賢い決定も、組織じゃなく、神によるものであるように。組織=神という脳みそでこれを読むと、全く違った結論になっちゃいます。あ、経験話はいりません。

11~13節。この組織の中で、本当の友なんてできません(前回のものみの塔記事で書いたように)。組織から離れた途端、縁を切られちゃうんじゃね。

14,15節。価値ある目標=組織に貢献すること、となりますね。組織の上層部がほくそえんでるのが目に浮かびますw。

16節。偶像礼拝。組織崇拝も立派な偶像礼拝。組織の中心にいるほど気付かなくなる。気付けなくなる。

17,18節。性的不道徳。何が含まれるかを細かい規則で縛って雁字搦めにする。一般常識と良心で判断すれば十分なのに。同性愛。これだって一般常識と良心で判断すればいいと思う。

いつも思うのですが、記事を読む時はまず、組織=神、組織の教え=神の教え、という脳みそ(思考回路)から離れることが必要ですね。そうすると、記事から見えてくるものが、全然違ったものになります。

若い皆さん、エホバはあなたの幸せを願っておられます

2019-02-22 | ものみの塔
今週末のものみの塔研究記事。

突っ込みどころ満載の記事でした。言ってることはよく分かるけど、あなたたちに言われたくないよ、みたいなのがいっぱいw。

1節。
「エホバは、あなたが学校で一生懸命に勉強して、自活できるようになることを望んでおられます」

ここだけなら、エホバは高等教育を受けて良い仕事に就くことを否定してない、と普通に結論できるはず。でも前後を続けて読むと、文章上は(高等教育を受けて良い仕事に就くことを)否定してないけど、暗に否定しているという、実にイヤラシイ文章。

2節。
「人間のアドバイスがどんなにもっともらしく思えても、神の言葉を無視したものなら、本当の知恵とは言えません」

うん、その通りだと思います。でもね、お前が言うな、ですね。組織(統治体)は自分たちの言ってることが、人間のアドバイスだとは思ってないんでしょうね。傲慢にも、自分たちは神の代弁者だとしているんですから。

3節。
「いつの時代にも間違ったアドバイスをする人がいます。人間に初めて間違ったアドバイスをしたのはサタンです。せん越で傲慢なサタンはエバに対して、どう生きるかを自分たちで決めればもっと幸せになれる、と言いました。とはいえ、サタンの動機は利己的なものでした。サタンは、アダムやエバやその子孫をエホバから引き離し、自分に従わせ、自分を崇拝させようとしていたのです」

まずね、サタンは「どう生きるかを自分たちで決めればもっと幸せになれる」なんて言ってませんよ。ツラッとしてうそ書いちゃダメでしょ。
ここ読んで、組織の父はやっぱりサタンだったんだぁ、と妙に納得しちゃいましたw。自分たちを崇拝させるために、せん越で傲慢にも、間違ったアドバイスをし続けてきた、というね。これ書いた人、これってまんま組織のことじゃん、とか思わなかったのかな。

5節。
「エホバは、ご自分を探し求め、ご自分に仕えるようになる人たちがいることをご存じでした」

そう思います。でも組織に仕えてる人がそれに当てはまるとは思いません。エホバに仕える事と組織に仕えることは同じじゃない、ってことに気付いて欲しいと思います。

6節。
「実に変化に富んだ豊かな教えです」(イザ65:13,14)

この文は「聖書を与えてくださいました」の後に置くべきですね。本文のような順番にする意図は、エホバが「奴隷」を通して教えて下さってるんだ、っていう印象操作のためでしょうね。こすいね。

7節。
おおむね良いと思います。が、「お金や物があれば幸せになれる、といううそにだまされる」人なんて、普通でもあんまりいないと思いますよ。逆にこの組織は、お金や物があれば不幸になる、っていううそで信者をだましてるように思えるんですけどね・・・。

8節。
脅しですね。こうやって、若い人をだまそうとしてるんですね~。

9~11節。
確かに、同じ価値基準を持った人同士でいると安心できますよね。そういう意味では、この組織はコミュニティーとして良いものだと思ってます。善い人も多い。ただ、ちょっとでも基準からズレると、ハブかれるっていう危険がある。で、常に人の目を気にしなくちゃならなくなってくる・・という感じがね。これじゃ「最高の友」は作れないよね。

12~15節。
「労苦は無駄でない」「み名に示した愛をエホバは決して忘れない」と太字を使って必死になって、エホバつまり組織に仕えるよう促してるのがね、涙ぐましいなぁwと。まぁ、組織で学んで得たものも多々あると思ってます。組織に忠実に仕えていくのも一つの生き方だとも思います。でもね、組織に仕えさせるためにエホバ(ソロモンの例も)を持ち出して、若い人たちをだまそうとしてるのがイヤですね。

16節。
「あなたの周りには、ポルノを見たり、性的不道徳を行なったり、危険なスポーツをしたり、麻薬を使ったり、大酒を飲んだりする若い人がいるでしょうか」

世の若い人が皆こんなことを習わしにしてると思わせて、組織に留まらせようとするワナ。質問形にしてるのがイヤラシイ。断定できないからだよねw。

17節。
「聖書の基準に従ったために病気になった人はどれほどいるでしょうか」

これも、いません、って断定できないんだね。組織の基準に従って病気になった人、いっぱいいるよね。聖書の基準=組織の基準じゃないことがバレちゃったね。

18節。
「人間はたくさんの法律を作り、それを守るよう強制してきました」

だから、お前が言うな、です。

19節。
「エホバは、わたしたちにたくさんの律法を与える代わりに、愛の律法に従うよう辛抱強く教えてくださっています」

これも、お前が言うな、です。分かってんなら当てはめろよ、です。イエスは山上の垂訓で、律法に従うことで義をなそうとしていたパリサイ人たちよりも、勝った義のなし方を弟子たちに教えたんですよ。(「悪い行ないの根本原因」じゃ、だいぶ意味が違っちゃってると思います)

21節。
「感謝していますか」

また脅してる。親が子どもに良いものを与えるのは、感謝されたいからじゃないのに。ましてや神が感謝を要求するはずないのに。この組織のエホバ神は、感謝を要求する神なんだよね。一生ご自分(組織)に仕えさせるために。


来週も、若い人を組織に献身させるための記事みたいですね・・・。
自分は、生き方の一つとして、組織に仕えるのもアリだと思ってます。ただ、しっかり生活していけるように、費用を計算することも大事だと思ってます。(エホバ任せ、はダメだと思います)

「神がくびきで結ばれたもの」を尊ぶ

2019-02-16 | ものみの塔
明日のものみの塔研究記事。

昨日も書いたけど、結婚に関する聖書の原則って何なのか、よく分からなくなっているので、今回はどう突っ込むか迷いました。取り敢えず、今の自分の考えで突っ込んでいきたいと思います。

1,2節。結婚の絆を尊び大切にする。これは良いと思います。

3,4節。結婚は一夫一婦で永続するもの。これが神とイエスの基準である、ということも理解できます。

ただ、アダムとエバの場合は、神の保護下にあるエデンの園での完全な人間男女の結婚だった、ということを忘れちゃダメだと思うんです。神から離れたサタン支配下の不完全な人間に、こんな完璧な基準を要求されてもねぇ・・・無理だと思うんですよ。それが分かってるから神は、昔の一夫多妻も許容されたんじゃないかなぁ。だから神は、今時の結婚事情にも十分理解を示されてるんじゃないのかなぁと思います。
もちろん、神の基準を守れるならそれに越したことはないんでしょうけど・・・。

5節。死によって結婚関係が終わり、残された配偶者は再婚できる。byパウロ。

究極的に考えると・・・忠実な人は、たとえ死んでも神の目から見たら生きているのだから、永続する結婚関係は終わってないんじゃないかなぁ・・・という気がしないでもない。(←自分もよく分かってないw) でも死によって再婚が許されるようになったとしたら、一夫一婦じゃなくなっちゃって・・・だから復活したらどうなるのっていう疑問も出てきちゃう。
まぁ、モーセの律法が与えられた時には、すでに一夫一婦という神の基準からは相当ズレちゃってて、そんな状況に合わせて神が対策を取ってくださっていたのだから、もう一夫一婦に拘ってはおられなかったってことだよね。
で、イエスが神の本来の見方を示されて、それがクリスチャンの基準になったということだけど・・・イエスもやんわりと(パウロははっきりと)独身を勧めてるんだから、「人が一人のままでいるのは良くない」という神の言葉に逆らってるわけだし。それが時の状況故に許されるのなら、結婚に関しても今日の状況故に許されることがあってしかるべき、と考えることだってできる。

7~13節。神は離婚を憎んだ。離婚の唯一の根拠は淫行。これも基本的にはそうだと思う。まぁエデンの状態が続いていたら離婚も淫行もなかったわけだから、これも神の側からの譲歩というかなんというか・・・。

単純に考えると、神はイスラエルと離婚し(バビロン捕囚)、再婚(帰還)して、最終的にまた離婚された(エルサレムの滅び)ってことになるのかな(今は絶縁状態)。肉のイスラエルと離婚して霊的イスラエルと再婚した、とも考えられるかも。理由は、イスラエルの霊的淫行。・・・まぁこれが神の基準だと思います。
ただねぇ、淫行に何が含まれるかは疑問だよね。組織は、囲み記事にあるように、いろいろ規則作ってるけど。(これを、子どものいるところで討議することがもう性的不道徳といえるのでは・・・)
あと、12節のホセアの例を、神の許しに当てはめるのはちょっと違うと思う。「もう一度行って、友に愛されて姦淫を犯している女を愛せよ」・・・エホバの愛と同様である」ってある。他の訳では「夫に愛されているのに姦淫を犯している女を愛せよ」と。これは明らかに許しではなく、愛の深さを強調した話だよね。律法によれば姦淫は死罪。その律法を与えた神ご自身が律法を破ってまで、姦淫の妻を愛するようにとホセアに言われるんだから・・・。きっとホセアはゴメルをこよなく愛してたんじゃないかと思うんですよ・・・言われたから形だけ愛そうとしたんじゃなくて。だから、神がどれほどイスラエルを(罪深い人間を)愛されてたか分かったんじゃないかなと。(まぁこれは自分の憶測ですが)
記事には「ホセアはしばらくの間、ゴメルと性関係を持ちませんでした。しかし、やがてゴメルと性関係を持つようになったと思われます」とあるけど、こんなこと聖書に全く書いてない。こんな憶測を根拠に「離婚しないことにして、性関係を持つなら、相手を許したことになります。それにより、離婚の根拠は失われます」って、もう滅茶苦茶じゃん。これが組織の新しい見解だとしたら、聖書的根拠なんて何もない、ただの規則だよ。しかもこれまた、やられた側が許せ、という何ともヒドイ話。それにこんな私的な事柄、本人が話す以外にどうやって他の人(長老とか)が知ることができるの? これってホントに愛の神の見方なの? ばかなの?(すみません。熱くなっちゃいました)

あっ、離婚の唯一の根拠、って、再婚の自由のある離婚、ってことだよね? 再婚しないなら(姦淫にはならないから)離婚の自由はあるってことだよね。自分的には、14~18節の別居の根拠が、この離婚の根拠にもなるんじゃないかと思ってます。

一口に結婚とか離婚とか言っても、男女夫婦のあり方なんて千差万別で事情もそれぞれなんだから、そんな私的なことに首突っ込んで、あれダメこれダメってよく分かりもしないのに裁こうとするこの組織のやり方は、ほんとに愛が無いと思います。

パラダイスで会いましょう!

2019-02-09 | ものみの塔
明日のものみの塔研究記事。

聖書は、創造者である唯一の神が存在していて、人間が失った楽園(パラダイス)を、時を定めて、回復させてくださる、ということを教えている、と自分は思っているので、今回の記事の前半に関しては、特に突っ込みは無かったです。

16節からの、ルカ23:43の理解に関しては、「今日言う」のか「今日パラダイスにいる」のか、原文はどっちともとれる書き方なのだから、選択肢を示しておくだけで良いんじゃないかと思う。この記事のように断定しないで。
以前にも書いたけど、言われた犯罪者にとっては、死んでる間は存在しないんだから、気が付いたらパラダイスなわけで、「今日パラダイスにいる」でも間違ってないんだし・・・。
組織は自分たちの見解を擁護するために、あちこちから言葉を探し出し、都合の良い所だけを切り抜いて来て、いかにもこれが正しいんですと言わんばかりに書いてるのがもう、うさんくさくてうんざりする。
この訳し方に異論がある、って分かってるから拘るんだろうな。

読者からの質問の、パウロが書いた第三の天(コリント②12:2~4)に関する理解も、「かもしれません」「ようです」「だと思われます」ばかりのこじつけで、自分たち組織の教義の裏付けに用いる。なんとも狡賢い。信者のみなさんは、これが正しい理解だと思って、一生懸命覚えるのかな。それとも、組織に付いて行けばいいだけだから、こんな理解は今更どうでもいいのかな・・・

これで、23節「パラダイスについての理解を深めることができました」の言葉に同意できる人がいるんだろうか・・・・

エホバの考えを自分のものにしていますか

2019-02-01 | ものみの塔
今週末のものみの塔研究記事。

まずは主題に突っ込みたい。神のお考えは人間の考えよりもはるかに上です。それを自分のものにするだなんて、まず無理です。傲慢です。不完全だからできないのではありません。完全であっても、神のお考えを自分のものにすることなんて、被造物である人間には不可能なんです。それを忘れたら、自分が神になっちゃいます。

なので、この主題の意図は、組織の考え(規則)を自分のものにするように、ということですね。

実際、組織の考え(規則)が神の考えであるかのように、誘導される記事になってます。

1~6節で、聖書を研究(質問の答えに線を引くだけでなく、)することで神の考え方が分かる、と述べておいた後、続く節から、聖書の記述を基に組織の考え(規則)を書いてます。(でもきっと、個人的に研究した結果が組織の考え(規則)に反するものだったら、受け入れてはもらえないんでしょうね)

7節で、イエスが貧しい家に生まれたことを強調しておいて、次の8節で、「エホバはわたしたちとの関係を一番大切に思っておられる」と述べた上で、お金や物よりエホバとの関係を第一にするよう圧力をかける(脅しの自問が2つ)。

(・・・イエスは「神への崇拝を第一にする家族」の中で成長したわけじゃないと思う。当時、神への崇拝を第一にする家族といったら、パリサイ人とかの家になるよね。そうじゃなく、純粋に神を崇拝する心と良心を持った、崇拝に関しては革新的な家族、という感じの方があってると思うなぁ)

9節で、他の者をつまずかせる者は海に投げ込まれる方が良い(マルコ9:42)、というイエスの言葉を使って、「イエスの弟子をつまずかせるなら、エホバは非常に不快に感じられるはず」と述べた上で、次の10節で、服装や身だしなみのことを持ち出して圧力をかける(脅しの自問が2つ)。

(・・・マルコの9:42でイエスは、イエスの弟子をつまずかせることに限った言い方ではなくて、イエスに敵対していない人たちに広く当てはまる言い方をしているんだよね。なのに、「イエスの弟子」って限定したらダメでしょ)

11節で、エホバは悪を憎む、と述べて、12節で、ラップダンス(なんじゃこれ。初めて知った)の例が出てくる。これは、14節と共に、脚注が言いたいがために出した例かな。

(・・・子どもも参加している集会で、こんな内容を討議するのは悪じゃないんかい。)

2つの脚注は、「状況次第」で「審理措置」という言葉を出すことで、ますます脅しをかけてる。ここまでくると、完全に脅迫記事だよね。イエスは、人を裁かないように、って教えてなかったっけ?

15節。シャデラク、メシャク、アベデネゴ(あれ?ヘブライ名にしないのはなぜ?)の話を持ち出しといて、「雇い主から偽りの宗教の祝祭のために寄付をするよう言われたら、どうしますか」と脅しをかける。

(・・・いや、この話、そんな細かいことじゃないから。そんなの良心で決めればいいじゃん。この話を出すなら、「偽りの宗教に入るよう言われたら、どうしますか」でしょ)

16節。勝手に決意しないでください。輸血も臓器提供も良心です。

(・・・血を避ける、というのは、命を粗末にしない、の意だと思うようになりました)

17節で、イエスが命まで犠牲にした話を持ち出し、18節で、仕事や教育のことまで犠牲にするよう圧力をかける。

(・・・イエスがそうしてくださったから、自分の命を貴重なものとみなして、仕事も教育も一生懸命取り組む、という考えの方が良いと思うけどなぁ)

以上、やっぱり残念な記事でした。これもマインドコントロールが目的なんだろうなぁ。

だれに考え方を形作られていますか

2019-01-26 | ものみの塔
明日のものみの塔研究記事。

読んでると頭の中がぐちゃぐちゃになっていく感じ。決めつけと矛盾と押し付け。どこから突っ込んだらいいのか・・・

う~ん・・・組織が信者をマインドコントロールしてる、ということへの反論なんだろうなぁ。でも実際マインドコントロールしてるから、論理が破たんしちゃって訳分からない文章になっちゃってるんだろうなぁ。

流れとしては・・・世の考え方を愚かだと全面否定し、エホバ(つまり組織)の考え方が優れていてためになると一部証拠付けた上で、組織(つまりエホバ)の考え方を述べて、どちらを選ぶかと迫る。エホバを選べば、結果、組織にマインドコントロールされる、という仕組み。

うんざりだ。

ものみの塔研究って聖書の研究じゃないんだな、ってことはよく分かった。

まず1,2節。ペテロの言葉「ご自分を大切になさってください。あなたは決してそのような運命にはならないでしょう」(マタイ16:22)。
他の訳では「とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」「とんでもない・・あなたにそんなことが起こってはなりませぬ」などとなってる。
「ご自分を大切になさってください」って、いったいどこから出て来た訳なのか・・・本文には「ペテロに対する言葉から分かるように、イエスはエホバの考え方を受け入れ、世の考え方をきっぱりと退けました」とある。これを言いたいがために、都合良く訳したとしか思えない。
この聖書の文脈で、イエスが「世の考え方をきっぱり退けた」なんて読み取るって、そう教えられてない限りあり得ないと思う。普通に考えれば、人間的にイエスを大切に思う気持ちよりも、神のお考えの方が優先されるんだ、って意味だよね。それと、人間的な考え方は、時にサタンに味方してしまうこともある、ということだよね。世の考え方をきっぱり退けた、とは都合の良い拡大解釈だよ。

最初で、すでにオカシイことになっちゃってるから、もにょもにょした気持ちで読み進めることになる・・・はぁ・・・。

3節も4節も意味が分からない。ここに出てくる「神の考え方」「世の考え方」の定義って何? それが分からないと「自分の考え方」がどっちに属するのかも分からないよ。

5節の脚注は、マインドコントロールの正当化かな。

で、7節の親子の例えは、いわゆる世の親のことだよね?・・とすると世の考え方を肯定してるってことになるよね。矛盾してる。「正直であること、よく勉強したり家の手伝いをしたりすること、人を思いやること」って良いことばっかり例に出してるけど、「誕生日を祝わないこと、集会や伝道に行くこと」などなどエホバの証人の親が子どもに教えてることを、どうしてここで書かないんだろうねぇ。

13節。「エホバはご自分の考え方をわたしたちに押しつけたりはされません。忠実で思慮深い奴隷も長老たちもそうです」とある。
え~っと・・・この記事がもう押しつけになってるんですけどね。よくもまぁいけしゃあしゃあと書けるよね、こんなこと。次の副見出しで書くことが押し付けだって分かってるから、先に自己弁護しとこうって感じかな。

14~19節は読む価値ありません。すべて良心に基づいて決めるべきことです。読むと良心が歪みます。マインドコントロールされます。

他にも突っ込みたいとこいっぱいあるんだけど、あり過ぎて上手く文章に出来そうもないので、このくらいにしておきます・・・最後に一言、この研究記事は最悪です。

エホバを信頼し、生き続ける

2019-01-18 | ものみの塔
今週末のものみの塔研究記事。

ハバクク書から慰めを得る、というのがこの記事の目的のようですが・・・結局言いたいことは、問題があっても①エホバに祈り②エホバの言葉と組織の指示に注意を払い③辛抱強くエホバを待つ、といういつもの内容です。(エホバと組織が同列です・・・そのうち組織が上になりそう)

もっと、ハバクク書そのものを掘り下げて学べるのかと思ったのに、相変わらず残念な記事でした。

2節の質問には「ハバククについてどんなことが分かっていますか」とある。
本文には名前の意味と、不安や疑問を抱いてエホバに質問し、エホバは質問に答えた、としか書かれてない。もっと情報出して欲しいよね。そうすれば、なんでハバククが不安や疑問を持ったのか、よく分かるのに。

名前の意味に関しては、「『熱烈な抱擁』という意味があるようです」となってる。・・・え?「熱烈な抱擁」(洞察にも霊感にもこう書いてある)って意味じゃないかもしれないの? 子どもたちとふざけて「ハバクク~」って言いながら抱き付いたりしてたのになぁ・・・なんだかなぁ・・・かもしれないことを根拠にして、エホバが抱擁してくださるだのエホバにしっかり付くだのと書かれてもねぇ・・・説得力無し。

4節に「ハバククは非常に難しい時代に生活していました」とある。
だからもっと具体的に書いてよ。
洞察には「エホヤキム(ファラオ・ネコが王座につけた)の治世中の早い時期に、恐らくはネブカドネザルがBC625年にカルケミシュでエジプト軍を打ち破る前に預言を行なっていた」とある。とすると、ユダにはエジプトの後ろ盾があったわけだから、バビロンに滅ぼされると言われて、ビックリしたんじゃないかなとか想像できる。
他の資料では「ヨシアの宗教改革も空しく、エジプトとバビロンの狭間で、政府の高官たちがそれぞれの思いや利得で、バビロンに従属したりエジプトに従属したり、反旗を翻したりと、王のリーダーシップは希薄となり、神の統治にも信頼することのない現実の中でハバククは神に叫んだ」(web「牧師の書斎」より)とある。こういう情報を書いてくれれば、偶像崇拝に陥ったユダの絶望的な状況がよくわかって、ハバククの思いがどれほど切実だったかも理解できる。

せっかくハバクク書を学んでいるのに、2章5~20を飛ばしてしまうのはなぜ。
この部分には、「定めの時」「終わり」、に関することが書かれてる。災いとなるのは何か、どうなるか。
そして3章1~15も飛ばしてしまう。ご自分の民を救うため、神が行動してくださることが描かれているのに。

組織はいつも、自分たちが主張したい部分だけを取り上げ、聖書(著者)が伝えようとしていることをそのまま書こうとはしない。だから、聖書に関して偏った知識しか得られないんだよね・・・。ほんと残念。

最後に・・・
これは曲解かもしれませんが、祈りでエホバに不満や疑問をぶつけてもいいんだな、ということが今回の記事で得られた良い点(?)でした。組織への不満や疑問を、どんどんぶつけていこうと思います。・・・答えは得られるのかな。

わたしはあなたの真理によって歩みます

2019-01-12 | ものみの塔
明日のものみの塔研究記事。

1節に、返品理由として、期待外れ、欠陥品、気に入らない、とある。
真理(組織の教理)から離れる理由も同じ。それがまがい物の真理だったから。返品がきく(払った犠牲が返ってくる)といいんだけどね・・・

3節に、「真理の価値を見失い、売ってしまった人がいます」とある。
真理だと思って手に入れたものの、そうじゃなかったから売っちゃった人もいます。が正解。

5節には、「聖句についての新しい理解を受け入れられなかった人」「背教者や反対者の教えを受け入れた人」とある。
新しい理解どころか古い理解でさえ間違いだったと気付いたり、背教者や反対者の教えの方が正しいと気付くこともある。この場合は、真理を自分の意志で売ったのではなく、自分の意志で新たに真理を手に入れる、ということになる。

7節には、「エホバの言葉すべてを受け入れなければならない」とある。
「エホバの言葉」じゃなく「組織の言葉(規則)」をすべて受け入れなければならない。が正解。8節~12節まではその「組織の言葉(規則)」を受け入れることについて書かれてるから、全く読む価値なし。特に12節の、聖書に反する慣行、祝祭日については、起源など調べる必要なし! それぞれの場所で、それがどんな意味で行なわれているものなのか、一般常識で判断すればいいこと。

14節。聖書を学び続けることや、聖書によって矯正されることは、大事な事だと思います。

15節。「真理の帯」は「真理のベルト」に変わったのかな。これも新しい理解?w

16節。「真理を教えるためにベストを尽くす」とある。これも大事だと思うけど、組織が言うところの真理は真理じゃない、と自分は思っているので、今はもうそれを教えたいとは思いません。

17節。組織が言うところの真理なんて無くたって、神との親しい関係を築くことはできる。というか、神は自分が生まれる前から親しい関係を築いてくださってる。イエスを信じるっていうのは、そのことに気付くことも含まれるんじゃないかと思う。

真理を買え。それを売ってはならない。

2019-01-05 | ものみの塔
明日のものみの塔研究記事。

出だしでつまずきました。「一番大切なのは何ですか」って脅迫だよね。「どんなことを教えてくださいましたか」ってのも脅迫だよね。こわ。

「油そそがれた人たちには天的な希望を、ほかの羊には地上のパラダイスで生きる希望を」って真理じゃないと思うよ? あれ? 大群衆って言わなくなっちゃったのかな。もう今は大患難を通過する人はいないってことかな?w。

シモンは真理を買おうとしたんじゃないでしょ。ここで例えとして出すのは変だよねぇ。

真理を無料のバナナといっしょにするなよっ! 「真理と掛けて無料のバナナと解きます。そのこころは、どちらも買いに行く努力をしなければ手に入りません。ってか」と主人w。

6節は良いですね~

真理を学ぶのに、組織の出版物や集会は役に立ちません。組織は「一輪の真理の花」しか提供できてませんから。

「真理を買うために、お金になる仕事をやめた人もいます」ってのも脅迫だよね。真理を買うためじゃなく、組織に献身させるための。

価値観が変化すれば、人との関係も変化するのは当たり前のことだよね。類は類を呼ぶ。価値観が合う人と仲良くなるのも当たり前のことだしね。

「真理を受け入れ・・・るには、考え方や行ないを変えなければなりません」とか「真理を買うために、神に喜ばれない行ないをやめました」とか、これ順番が逆でしょ。考え方や行ないを変えるには、真理を受け入れなければなりません。神に喜ばれない行ないをやめるために、真理を買いました。・・・うん、この方がまだイケルかな。

「真理を買う上で特に難しいのは、聖書に反する慣行をやめることです」とな。何が聖書に反する慣行なのかを、組織が決めてる現状では、確かにやめるのは難しいよね。ただ言えるのは、真理を心から受け入れているなら、真理に反することは行ないたくないと思うものなんじゃないかと。組織の言ってることがホントに真理なのかどうかわからないから、やめるのが難しいんじゃないのかな。

エフェソスでの魔術の話。書いたばかり。だからいやなんだよ、この組織の引用の仕方は。彼らは犠牲を払ったんじゃなくて、心からの信仰を表したんだよっ。(ま、そうしなきゃ自分たちにも天罰が下るかも、って考えたかもしれないけどw)

以上、今回も突っ込みどころ満載でした。読んでもいいと思ったのは6節だけでした。(8,10,12,14節は経験談なので読んでません)