吉原格子先之図
三女/お栄(画号は応為)天才北斎に匹敵するほどの筆力。
この灯りの陰影の素晴らしさは応為の特徴。
お栄は吉原の遊郭によく足を運び、遊女を描いた。
お栄の描く遊女は美しく、優雅で繊細な指を持つ。
残念ながら、お栄の描いた沢山の絵はほとんど残っていない…
60代のお栄さん
◇江戸事情◇
花のお江戸は260年とチョット、日常がゆったりと流れ退屈。
仕事がなくても、<かかあ>がいなくとも、、
大家が仕事やお見合いなんぞを世話してくれたりと、ええ塩梅のぬるま湯の日々。
庶民も武士も平和過ぎて、喧嘩や火事となると目の色を変えて見物。
実は、物凄く驚いたことがある。
268年間で
江戸は513回大火災に遭っている。
一年に二回くらいの割合なので、
江戸に住んでいれば、火に見舞われない人はいなかった。
生まれも育ちも江戸っ子なんぞは、
生家もご近所も次々燃えちゃって、懐かし~い風景は皆無、、
そんな中で一人。
火の洗礼を受けなかっ人がいた。
江戸の天才絵師<葛飾北斎>だ。
◇葛飾北斎のナゾ。。。。◇
北斎は常々
<自分が火事に見舞われないのは、火除けの絵を描いたからだ>
と言ってたらしい。
ところがどっこい
北斎75歳の時、娘お栄ともども一文無しになる。
実は一度だけ大火に遭い、持ち出したのは絵筆のみ。
常人と違うのは、
落ち込む様子もなく
どんな状況下でも絵を描き続けた。
浮世絵・漫画・春画・挿絵なんでもござれ!
三万点描いたとも云われる。。
そして北斎は健康そのもの。
当時の江戸時代の男の平均身長は155センチ。
北斎は180センチと云うと、福山雅治とほぼ同じ…
35歳で北斎を名乗るが、
江戸中にその名が轟く。
写真もない時代なので、顔は分からない。
余談だが
講談で、
北斎と遠山金四郎景元(遠山の金さん)の出会いの面白話しがある。
北斎が絵を描こうと、ある風景に目を止める。
そこに桶の枠を風景に当てはめて眺める子供が…
北斎が絵を描いてると、その子供が
「おじさん うめえ~なぁ
でも江戸には北斎ってすごい絵師がいるんだぜ!
おいらも絵描きになりてぇが
才がないのさ
だから こうやって絵に見立てて眺めるんだ」
この数年後、偶然にも青年金四郎が武士の姿で現れる。
武士として生きていくことを北斎に告げる。
またその何十年後、
北斎の絵が質素倹約に合わない、けしからん!とお白州に。
そこで遠山奉行と北斎がまた再会。
北斎はお咎めなし。。となるお話し。
北斎がどれだけ有名人だったか分かるお話しだった。
90歳で亡くなるが、
昔の年寄のように腰も曲がることなく、健脚。
80代で益々画力が研ぎ澄まされ、成熟期に入る。
北斎にとって90歳での死の訪れは無念であり、
100歳まで生きるのが願いだった。。
間際の言葉に残した無念は、
「あと5年で本物の絵が描けたのに…」
長屋に住み、
贅沢をするわけでもなく、
ただ本物の絵が描きたくて、その結果三万点にも及んだのだろう。
もしあと5年、、10年生きたとしたら、、
どんな絵を描いたのだろう。
生きることに執着出来るのは、本当にやりたいことがあるから。
北斎の人生を辿っていくと、北斎がどんどん好きになる。
そして「すみだ北斎美術館」に辿り着いた。
江戸の中心である隅田界隈を生涯で93回引っ越すが、
火事に遭ったのが一回というのは奇跡に近い話だと思う。
そしてまた一つの奇跡が起こる。。
いつもコメントありがとうございます<(_ _)>
ハッとするコメントもあり、読ませていただくのが愉しみデス🎵
ドシドシお寄せ下さいね。待ってま~す!
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遠山の金さんとの
話しは面白かった。
ドラマにでも
したいくらい。
北斎のこと、よくわかりました。
江戸のお話、とても面白いですね。
庶民文化が栄えた背景が
わかりやすく書かれていて
私でも理解できます。。。
これからの記事も楽しみにしております♪
いい絵、コメント、よかったです。
絵を見てれば、モネとかマネとかは、真っ青でしょうね。
北斎美術館には、お栄の蝋人形がいるそうですが、見に行かない。
杉浦日向子の、応為がいいですね。
時々覗かせて頂いていましたが、思い切ってコメントを買いています。
大学時代の教授が、浮き世を好みわたしも感化されました。
これからも楽しみに見させて頂きたいと思います。
楽しく読んで、楽しく学ばせて貰っています。
画狂老人葛飾は絵も人物も魅力的で強く惹かれます。