要介護5からの復活・菰野町周辺の四季

事故で脊髄の3.4.5番損傷。寝たきり状態から歩けるまでに復活。趣味の写真もまた始められるようになりました。

注意一秒怪我一生(その2)

2020-01-06 09:46:06 | 日記


意識が戻ったのは午後になってから。
一体何時間意識のない状態だったのだろう。
自分の中では全身麻酔してから
意識が回復するまでほんの一瞬で、
もちろん夢など見ていないし
このまま死んでいても
それすら分からなかったであろうことです。

手術は成功したのですが、
神経が元に戻ることはありません。
とりあえず絶対安静から解放されて
早速翌日からリハビリに入るための
PT(理学療法士)さんとOT(作業療法士)さんの紹介、
リハビリの進め方などの説明がありました。

点滴だけだった食事も口からの食事になり、
最初は重湯からスタート。
しかし全く食欲はなく、
食べないと元気にならないからと
無理に食べさせられてもすぐにもどしてしまう始末。
入院前72㎏あった体重は54㎏にまで減少。

この時期、一番苦しかったのは原因不明の痛み。
首から下の神経はないはずなのに
体の内側からこみ上げてくる痛み。
痛み止めを飲んでも、
強めの座薬を入れてもらっても効果なし。
結局睡眠薬で無理やり眠ることしかできませんでした。
この痛みは不思議なことに夜だけに発症。
でもいつしか気が付くと痛みはなくなっていました。

リハビリは最初のうちはベッドの上でマッサージをする程度。
重湯がおかゆに代わり、
食事がベッドから食堂へ移動するようになったのに合わせて
リハビリも専用のトレーニングルームへ。
このころに大変だったのは車椅子への移乗。
PTさんOTさんは手慣れたもので
一人で移乗させてくれましたが、
食事や検査で車椅子に移乗するのに
看護師さんだと4人がかり。
寝ている体の下に大きなバスタオルを敷いて
その四隅で持ち上げるのです。
車椅子もリクライニング付きの頭の上まであるものでした。

9月初めの残暑の厳しい日に入院してからひと月半。
10月も中旬を過ぎたころには治療をすることがなくなり、
そうなると退院を促されます。

相変わらずの寝たきりで、動くのは右腕がほんの少し。
退院というよりリハビリ専門病院への転院ですね。
家の近くの菰野厚生病院と少し遠くなりますが
小山田記念温泉病院への転院を希望。

どちらも満床で一週間ほど待たされて
小山田記念温泉病院へ転院したのは
10月も終わろうかという秋晴れの日でした。

                                                                  to be continued




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