要介護5からの復活・菰野町周辺の四季

事故で脊髄の3.4.5番損傷。寝たきり状態から歩けるまでに復活。趣味の写真もまた始められるようになりました。

ゴルフの話を

2020-01-31 10:02:50 | 日記


古い外付けHDD。
まだ生きているのかなとPCに繋いだら
懐かしい写真が沢山。

趣味は読書とカメラとゴルフ。
読書とカメラに関しては
いずれ書き綴りたいと思います。

今回は一枚のスコアカード。

平成2年9月3日。
調べてみたら月曜日。
この頃の乃婦寿司の定休日はまだ月曜日。
今は市場の関係もあって水曜日が定休日です。

平成2年ですと、私は39歳。
適当に仕事をして暇さえあれば
ゴルフばかりしていました。
平日の昼間は毎日のように練習場へ。
コースへ出るのは月に2~3度ほど。

残っているスコアカードはこれ一枚だけ。
カミさんが取ってくれていたものを
後から外付けHDDに取り込んだものです。

80台前半では何度も回っていますが
70台で回ったのは後でも先でもこれ一度きり。

目標はパープレイ、せめてハーフを36でなどと思っていましたが
叶わない内にゴルフ人生は終わってしまいました。

タラレバでいえば、15番ホールで
OBのトリプルボギーがあっての38。

もう30年も前の話でした。





スマホでコミュニケーション

2020-01-27 08:57:21 | 日記


2010年の夏ごろ。
私はバリバリの寿司職人でした。



常連さんでIT関連の仕事をしている人が言うには、
「ガラケーの時代はもう終わり。これからはスマートフォンだよ」。

早速調べてみたのですが、
スマホはgalaxyとXperiaくらいしかありません。
他のお客さんでもスマホを使っている人は皆無。

自分なりに出した結論はgalaxy。
秋口にドコモショップへ機種変更に行ったのですが、
「入荷がいつになるか分かりません」とのこと。

結局、2011年の1月に入荷したとの連絡。
それまではAQUOSのガラケーで、
おサイフケータイやワンセグを観られていたのですが、
galaxyにはその機能は付いていませんし、
いろいろな店舗で使えていたポイントにも非対応。

SNSには便利でしたし、タッチパネルも斬新でした。
何より、使っていると
「それってケータイなの?」
と聞かれたときに何とも言えない優越感が。

この年の9月に入院しました。
指が少し使えるようになったときに
カミさんにスマホを病院に持ってきてもらいました。
ガラケーではとても使えない体の状態でしたが、
スマホなら少しの指の動きだけで十分使えます。

ナースステーションで食事の前後などに
スマホをテーブルの上に置いて使っていると
職員さんが代わる代わる見に来る、
まだそんな時代でした。

病院という閉鎖された空間の中で、
ほんの少しだけですが
スマホを使っていたおかげで
社会と繋がりを持てました。

「これからはスマートフォンだよ」と教えてくれた常連さん。
2010年2011年頃には少数派でしたが、
いつの間にかスマホが席巻。
私のスマホもgalaxyから数えて4台目になりました。


運命的な出会い

2020-01-26 11:27:42 | 日記


2011/10/27からリハビリ開始。

当初のことはほとんど覚えていません。
少し前に書きましたが、
食事をするときのOT(作業療法士)さんとのことが
当時としてはあまりに強いイメージとして残っているので
その頃のPT(理学療法士)さんとのことで覚えているのは
ベッドで立ち上がる練習をしたとか、
車椅子に移乗する訓練をしたことくらい。

でも、このPTさんとの出会いが
劇的な変化をもたらされることになったのです。

立てるようになるのはまだ当分先になるのですが、
全く動かなかった足に変化が。
膝から下が少しずつですが動くようになってきたのです。
これで何が変わったかといえば、
車椅子を自分で動かせるようになったのです。

普通、車椅子はタイヤの内側の金属製の輪を手で回すのですが
私の場合、手は全く使えないので
フットレストを外した状態で地面を足で蹴ります。

曲がりなりにも自分の足で動けるようになったのです。
この状態になるのにどのくらいの期間だったのか、
PTさんとどんな訓練をしたのか。

入院当初は一階のリハビリ室に行くのが苦痛で、
ほとんど自分のベッドでリハビリをしてもらっていたのですが、
あるとき、担当のナースさんにひどく怒られたのを覚えています。

「そんなベッドでグダグダしていたらいつまでも治らないよ。
さっさと下のリハビリ室に連れて行ってもらいなさい」。

2012/01/01。お正月。
リハビリをする病院の入院患者には
365日リハビリが義務付けられています。

相変わらず、食事はナースステーションでした。
仲良くなった介護士さんが
食事を終えた私のところに来て
「キレイな初日の出だよ」。

スマホをいじっていた私は早速彼女に
写真を頼みました。
(私、2011年の1月からギャラクシーを使っていました)

入院していることは関係者以外には知らせていなかったのですが、
スマホで撮ってもらった「初日の出」を
友人に「病院からの初日の出」と写メで送り
入院しているのがバレルというお粗末さ。

こうして運命の2012年が幕開けしたのです。

                        to be continued

入院雑感

2020-01-24 09:59:27 | 日記


入院時に服用する薬について。
数種類あって、
「食前」「食後」「食間」と薬によって注意書きがあります。
全介護の状態では自分で服用することはできません。
で、結局どうするかといえば
食事と同時に服用させられました。
お粥の茶碗の中に薬を入れて
スプーンですくって口に入れるのです。
全介護で同じように食事している入院患者が十数人いましたが
全員同じことをされていました。
いつ服用するかは大した問題ではなく
要は忘れないことが大事だということのようです。

私の場合、ナトリウム不足というのがあって、
白い小袋を毎食時に服用。
これがお粥に混ぜると良い感じの調味料になっていました。
あるとき、食事を終えたのに小袋がそのままになっていました。
介護士さんがお粥に入れるのを忘れたのです。
どうするかとおもったら、食後そのまま口の中に。
ナトリウム、全くの食塩としか思えませんでした。
水を飲ませてもらいましたが
口の中の塩っぽさはしばらく消えませんでした。

チ-ム○○

2020-01-23 08:36:53 | 日記


タイトルにするほどのことではないのかもしれませんが。

入院すれば必ず4名が担当することになります。
主治医は同じ階ならば皆同じですので、
担当ナース、PT、OTがそれぞれのチームということになります。

後から思うと、このチームは
私にとって全くのベストであったということ。
リハビリをする上でのリーダーはPTさん。
病棟でのリーダーは担当ナースさん。
こまごまと身の回りに気を使ってくれたのがOTさん。
それらを総括するのが主治医、ということになります。

OT(作業療法士)さんとの当初の目標は
食事を自分で摂れるように、とか
ナースコールができるように、とか
電動ベッドのリモコンを扱えるように、とか等々。

PT(理学療法士)さんの場合は、
先ず自分の足で立てるようになること。
ベッドに腰かけて立たせてもらうのですが
首から下の神経が全く通じていないので
まるで、こんにゃくを立てようとしているみたいです。

神経が途切れているということは、
首から下の体は意識の中には無いのです。
目で見て、「ああ足があるなぁ」とか「腕はここにあるのか」。
わずかばかりに動く右腕でさえ、
ベッドで横になって目をつぶると
どこにあるのか分からなくなるのです。
左腕に関しては、
自分の体に付いていることさえイメージできません。

カミさんが来てくれるといつもお願いしたのは、
左手と右手をお腹の上で組ませてもらうこと。
そこで初めて両腕のあることを認識できるのです。
この状態でも目をつぶると両腕は意識から消えてしまいます。

こんな状態でしたので自分の足で立てるなんて
私自身が一番信じていませんでした。

リハビリの時間は一日1時間×3。
それを理学療法と作業療法に振り分けます。
半分の時間はストレッチに充て
残りの時間をその日その日のテーマに。

ストレッチやマッサージは楽で気持ちが良いので
できればこれだけで済ませてもらいたいと
ズルを決め込もうとするのですが、
そこまで甘やかせてはくれません。

転院して1ヶ月ほどの理学療法は
自分の足で立つための訓練。
立たせてもらった状態で車椅子に移乗する練習。

でも、こんなのは
ほんの序の口でした。

                       to be continued