まだ梅雨も明けやらぬ7月の13日、近所の信濃国分寺では、蓮の開花に併せて「蓮フェスタ」というイベントが行われました。10時半から住職の法話があり、今年は例年より1週間ほど見ごろが遅いとのことで、寒さにも強いのですが、まばらに気まぐれに咲くことが特徴で、おもしろかったのは10年ほど前通販で蓮を買ったものも植えてあり、名前も分からないものもあると庶民的にお話をされます。その後、本堂の中で大正大学の雅楽倶楽部の皆さんによる演奏会がありました。お寺で雅楽というのは、主旨が違う感がありますが、こちらの本堂ではヴァイオリンのコンサートもあったりと文化に垣根は設けないという開かれたお寺さんです。雅楽は現在では皇室行事の中で定期的に行われているという印象ですが平安時代には貴族の遊興のひとつとして発展していたそうです。その後武家社会となり室町以降は能楽にその地位を奪われ、長らく忘れられた音楽でしたが、明治に入り再び復興し、現在では各地演奏されてきています。
武満徹が、バーンスタインの依頼を受けてニューヨークフィルの為に作曲した、「ノヴェンバー・ステップス」は世界初の試みである邦楽器をオーケストラに本格的に導入した作品ですが(正確には武満の2作目)武満は西洋の音楽と邦楽との融合を意図していたわけではなく、互いに相容れない調和されない楽器から放たれる音そのものの響きを再構築し、一つの作品に仕上げたものです。武満は常人とは違う遥かに良く聴こえる耳で音を聞き取り楽器の音を選んで行きます。不協和音で始まったストラヴィンスキー以来の現代音楽の潮流の中にあって、音楽芸術という呪縛から本質的な音の存在そのものを追求した作曲家でした。小林秀雄によると、我々は何も見てはいないし、聴こえてもいない。なぜかというと、知識がじゃまをして見ることを、聴くことを止めてしまっているからだと。天才武満は、聴く事を止めなかった。そして最高の音は沈黙であると考えました。「ノヴェンバー・ステップス」では尺八と琵琶が使用されていますが、本来和楽器の響きは、上下の流れで一方西洋音楽は横へ横へと時間とともに流れて行きます。この縦の動きが良くわかるものに雅楽で使われる笙(しょう・写真)があります。笙は天を示す楽器です。また龍笛(りゅうてき)と呼ばれる横笛は空を表わし、縦笛の篳篥(ひちりき)は地の音です。和楽における音と音と間の長い無音、これも武満は一つの音として理解し大切にしています。 雅楽の演奏を聴きながら漠然とそんなこと考えていたのですが中世以前には笙の音色はどういう意味合いがあったのでしょうか。縦に伸びる音、音と音の間の聞こえない音と長く日本人の美意識のあった余情の論理は関係があるのでしょうか。
日本神道の神々は皇室の祖先であり、かつては神託政治ないし、神による国の統治がありましたが、いつの間にか神性は失われ、宰神として奉られることになります。その間に大陸から儒教思想が伝わってくるのですが、重要なことは、大思想、あるいは世界宗教の中で最初に日本に伝えられたのが仏教ではなく、儒教であったということです。一般に伝えられているように雅楽は仏教とともに奈良時代に唐から入ってきただけでなく、大和朝廷設立と前後して、朝鮮半島からも儒教思想とともに一部が入ってきたと考えられます。
奈良時代は律令制度を採用し、日本が諸外国と比較しても国力が充実する時期ですが、唐の制度を模倣した、この制度の根本にある王土王民思想は、儒教思想です。一方、奈良時代に入ると仏教を国家鎮護の目的で厚く保護し、全国に国分寺を作ります。元々国分寺は寺というよりも、学問所的意味合いが強いものでした。信濃国分寺もその中の一つで当時は上田に信濃の国府があったことが分かります。このように、日本における思想や文化、政治の潮流は日本古来の神々という神話的世界観から、実は儒教思想という現実的な生活規範を通ることにより、その神性が徐々に失われて行きその後に入ってきた仏教という巨大な仏陀の思想が入るに及んで、日本の政治から神が完全に退場して行きます。また逆説的にはこの本来厳しい自然環境の中で、自然との戦いを繰り返していた民の救済という目的から生まれた仏教という巨大な一神教にとっては、インドや中国の荒涼たる平野から見れば楽園とも言える日本の風土に馴染んでいた人々には、本来到底受け入れ難く、というよりも理解できないものであったにも関わらず、その間にこちらも巨大でありながらも生活に結びついた儒教思想という、砂漠上の力強い思想が介在することにより仏教が普及して行くことになったのでした。一方政治とは関係のないところでは、未だ(平安の当時)魑魅魍魎が跋扈し、八百万の神々がおわします世界でしたので、今我々が聴いている雅楽の響きはもっと違った意味合いのものであったと思います。そこには天・空・地という縦の空間を踊る音があり、日本の神々が降りてくる通り道であったと思われます。奈良時代から営々と続く寺院の中で雅楽を聞きながら、目を瞑ると、日本の神々がおごそかに降臨してきた平安の都の人々の思いが蘇ります。
武満徹が、バーンスタインの依頼を受けてニューヨークフィルの為に作曲した、「ノヴェンバー・ステップス」は世界初の試みである邦楽器をオーケストラに本格的に導入した作品ですが(正確には武満の2作目)武満は西洋の音楽と邦楽との融合を意図していたわけではなく、互いに相容れない調和されない楽器から放たれる音そのものの響きを再構築し、一つの作品に仕上げたものです。武満は常人とは違う遥かに良く聴こえる耳で音を聞き取り楽器の音を選んで行きます。不協和音で始まったストラヴィンスキー以来の現代音楽の潮流の中にあって、音楽芸術という呪縛から本質的な音の存在そのものを追求した作曲家でした。小林秀雄によると、我々は何も見てはいないし、聴こえてもいない。なぜかというと、知識がじゃまをして見ることを、聴くことを止めてしまっているからだと。天才武満は、聴く事を止めなかった。そして最高の音は沈黙であると考えました。「ノヴェンバー・ステップス」では尺八と琵琶が使用されていますが、本来和楽器の響きは、上下の流れで一方西洋音楽は横へ横へと時間とともに流れて行きます。この縦の動きが良くわかるものに雅楽で使われる笙(しょう・写真)があります。笙は天を示す楽器です。また龍笛(りゅうてき)と呼ばれる横笛は空を表わし、縦笛の篳篥(ひちりき)は地の音です。和楽における音と音と間の長い無音、これも武満は一つの音として理解し大切にしています。 雅楽の演奏を聴きながら漠然とそんなこと考えていたのですが中世以前には笙の音色はどういう意味合いがあったのでしょうか。縦に伸びる音、音と音の間の聞こえない音と長く日本人の美意識のあった余情の論理は関係があるのでしょうか。
日本神道の神々は皇室の祖先であり、かつては神託政治ないし、神による国の統治がありましたが、いつの間にか神性は失われ、宰神として奉られることになります。その間に大陸から儒教思想が伝わってくるのですが、重要なことは、大思想、あるいは世界宗教の中で最初に日本に伝えられたのが仏教ではなく、儒教であったということです。一般に伝えられているように雅楽は仏教とともに奈良時代に唐から入ってきただけでなく、大和朝廷設立と前後して、朝鮮半島からも儒教思想とともに一部が入ってきたと考えられます。
奈良時代は律令制度を採用し、日本が諸外国と比較しても国力が充実する時期ですが、唐の制度を模倣した、この制度の根本にある王土王民思想は、儒教思想です。一方、奈良時代に入ると仏教を国家鎮護の目的で厚く保護し、全国に国分寺を作ります。元々国分寺は寺というよりも、学問所的意味合いが強いものでした。信濃国分寺もその中の一つで当時は上田に信濃の国府があったことが分かります。このように、日本における思想や文化、政治の潮流は日本古来の神々という神話的世界観から、実は儒教思想という現実的な生活規範を通ることにより、その神性が徐々に失われて行きその後に入ってきた仏教という巨大な仏陀の思想が入るに及んで、日本の政治から神が完全に退場して行きます。また逆説的にはこの本来厳しい自然環境の中で、自然との戦いを繰り返していた民の救済という目的から生まれた仏教という巨大な一神教にとっては、インドや中国の荒涼たる平野から見れば楽園とも言える日本の風土に馴染んでいた人々には、本来到底受け入れ難く、というよりも理解できないものであったにも関わらず、その間にこちらも巨大でありながらも生活に結びついた儒教思想という、砂漠上の力強い思想が介在することにより仏教が普及して行くことになったのでした。一方政治とは関係のないところでは、未だ(平安の当時)魑魅魍魎が跋扈し、八百万の神々がおわします世界でしたので、今我々が聴いている雅楽の響きはもっと違った意味合いのものであったと思います。そこには天・空・地という縦の空間を踊る音があり、日本の神々が降りてくる通り道であったと思われます。奈良時代から営々と続く寺院の中で雅楽を聞きながら、目を瞑ると、日本の神々がおごそかに降臨してきた平安の都の人々の思いが蘇ります。