玉陽庵 算命学ブログ

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算命学の「利用法」

2015年06月03日 | 算命学 あれこれ
算命学の鑑定を受けた経験のある方とお話をしていると、「本当に生年月日だけであそこまで分かるのか?」という質問を受ける事があります。
簡単に言えば、答えはYesです。

膨大な数の占技を一つ一つ積み重ねて、その中の矛盾や、どの占技でも同じ方向を指すものなどを繋げていくことで出てきた結果をお伝えするのが算命学。

最終的にはバラバラの情報を繋ぎ合わせて一定の結論に導く必要があるので、ある程度そういうセンスは必要となると思います。
ただ、霊感など特別な感性が必須と言う訳ではなく、その気があれば誰にでも学べるもの。
お教室を開いて教えられる内容、という意味では、哲学や心理学と同じく、学問的な側面が強いと言えます。

ただ、宗家より伝わっている内容がかなり精緻であるため、非常に「当たる」事に驚かれる場合が多いのも事実。
うっかり神がかり的なものを感じる方もいらっしゃるかもしれません。

ぜひ覚えていていただきたいのは、算命学はご神託でもなんでもない、という事。
自然の法則をベースとした哲学的な理論に基づいて、“算出”して出てきた答えなのです。
そして、それはあくまでも原理原則であり、盲目的に従うべきものでも、縋るべきものでもありません。

私たちが生きているのは、現実世界であり、物質世界。
例え算命学で「天中殺には転職や引っ越しはいけない」と言われていても、現実に会社が倒産したり、借家から立ち退きを求められたら、動かない訳にはいきません。
どんな原則があろうとも、現実世界に生きる我々は現実を無視する訳にはいかないからです。

(もちろん、算命学には、きちんと“天中殺に動く場合は自分の器の範囲内ならば安全”というフォローも存在しています。)

算命学には「現実世界における処世術」という、ある意味世俗的な対処法も含まれている為、非常に便利。

ただ、算命学は基本的に「精神世界」を扱う学問であるという事を忘れてはいけません。
この世におけるご自分の役割や、ご家族、親族とのご縁など、見えない世界を解き明かす事に夢中になる場合もあるとは思います。
ただ、大半の方は「現実世界」で生きています。

「現実」を忘れて精神世界にのめり込むことは、危険です。
人の肉体は、「現実世界」から離れることはできません。急激な精神世界への傾倒は、肉体に大きな負担をかけます。
算命学を学ぶのに時間をかけるのは、この危険を避ける為。

また、精神世界にのめり込むことでご家族との関係やお仕事が疎かになり、大きな失敗を招く可能性もあります。
何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」。
バランスが大事だと覚えていてください。

さらに、「現実」から目を逸らして精神世界に答えを求めても、良い事はありません。
何事も冷静に現実を直視することから始めなければ、せっかくの算命学も何の役にも立ちません。

何度かお話したと思いますが、算命学は、人生と言う山あり谷ありの道の途中にある「道標」のようなもの。
「道標」は、参考にしかなりません。

山道で道に迷ったとき、方向を示す看板に出会ったら、どうしますか?
確かに、助かったと思うでしょうし、早速参考にして進む方向を決めることでしょう。
しかし、その「道標」に縋って、ぶら下がる人はいないと思います。
そんなことをしても、「道標」が自分を目的地まで連れて行ってはくれないからです。

算命学も、同じです。

どれほど算命学に縋っても、現実は変わりません。
現実を変える力があるのは算命学ではなく、現実を生きているその人自身です。

例えば、何か大きな失敗をしてしまった場合。
算命学で調べると、天中殺で判断力が狂い、判断ミスが生じてしまった、という事が分かった。
こんな場合でも、現実に判断ミスで失敗をしたという事実そのものは変えられません。

「だって天中殺だったから」と言って、失敗が無かったことにはならないのです。
その言い訳に甘んじて、それを挽回する現実の努力を怠っては、事態は悪化する一方。

原因が分かったなら、今度は二度と同じミスを繰り返さないよう、反省すべき点は反省し、改善できることがあったら改善する努力が必要。

算命学には、こういう状況でどのように対処すべきかという「処世術」が豊富に含まれています。

ただ、現実を直視せず、算命学の理論をご自分の都合の良いように捻じ曲げて解釈することを目的とする方には、正直、なす術がありません。

山道で岐路に遭遇し、目的地に向かう道が険しいからと言って、「道標」の方向を楽な道に捻じ曲げたところで、本当の目的地に着けないのと同じです。

「現実」で困った事が起きたら、まず冷静に、客観的にその「現実」を分析しましょう。
誰だって、嫌なことがあれば言い訳の一つや二つはしたくなります。
ただ、一歩でも前に進みたければ、自分の非も認める客観性が大切。

算命学に答えを求めるのは、しっかりその作業ができてからの方が良いでしょう。
現実から逃げて、言い訳を捜すために算命学のあれこれを付け焼刃で学ぼうとしても、事態は決して良い方向には進みませんし、周囲からの助けもやってきません。

まずは「現実」としっかり向き合い、地に足をつけ、それから前を向いて進もうという段階になった時こそ、算命学に目を向けて下さい。

五里霧中の状況で、どうして良いか分からない方もいらっしゃると思います。
算命学は、そのような状況の出口を指し示す事は出来るでしょう。
ただ、霧を抜けて、出口まで歩くのは「自分自身」だという事を、ぜひ忘れないで下さい。

何かに「縋る」事は、足を止め、自分の頭で考える事もやめる行為。
しかし、自分の頭で考え、足を動かさなければ、何も変わらないのです。

算命学とは、「縋る」べきものではなく、より良く生きるために「利用」すべきもの。
ぜひ、上手に「利用」していただきたいと思います。



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