シャコバサボテンも峠を越え、枯れた花は摘み取っています。
昨日のA紙(朝刊)の広告雑誌に目が止まりました。タイトルは「老化恐怖症」です。
小学館新書で精神科医の和田秀樹著のタイトルでした。
まだまだ現役……のつもりが、体力・気力の低下や心身の不調に苛まれることが増えてくる50代から60代。若い頃にはバブル景気の勢いもあって“イケイケ”だったが、定年を前にした今、思い通りにいかない自分の健康や仕事、夫婦関係、実家の老親のことで頭を抱え始める人は多い。これまで他人事だった「老いの恐怖」をどうすれば乗り越えられるのかが内容のようです。(しかし私はこの年代の60代はこのようなことは感じなかったですね)
そう言う意味では、今現在の75歳になっても外科・内科などの大病(大腸で入院は2回しましたが投薬だけ)もせずにここまで来ています。
やはり超高齢化社会になっているのでしょうか?こんな新聞広告や折り込みチラシも高齢者を対象としたものが多くなっているような気がいたします。
おかげさまで、まだこのような症状は出ていません。
また、やたら金貨価格の高騰から、古物やそれらの類(たぐい)のチラシが毎日のように入ってきます。私は飲まないウイスキー「山崎25年」を思ったより高額で(100を超える)引き取ってもらいました。
何を言いたいかです。
これまで他人事だった「老いの恐怖」かも知れません。
最近、身の回りでも知り合いの多くが認知症となり複数のご家族が困っている様子を伺います。先輩や同僚が他界したり、また少し若い方でもいわゆる熟年離婚の話などが入ってきます。
私にとっての「老化恐怖症」は、足腰が痛いとか帯状疱疹など外面的なモノではなく、内面的なモノで、しずかに忍び寄るボケ(認知症)かも知れません。*正確には認知症もいろいろと種類があるようです。
後期高齢者ゆえ、物忘れや勘違いなども多くなり、また気力・体力の衰えも感じます。72歳まで通勤していた頃とは、明らかに異なってきたことを感じます。
また、晩酌タイムに入ると、時には強い口調になることがあるようです。(自分では覚えていません)きっと部下がいたころの何かが残っていて、女房に出てしまうのでしょう。我が家では、大事なことは朝に話すことにしました。
さて、この忍び寄るボケ(認知症)がいつ出るのか、すでに始まっているのか?が分かりません。それが私にとって恐怖?にもなっているのです。
おそらく、私と同様な団塊の世代前後の方々もそう感じているのでしょう。
女房は”いまこれと言って困っている訳じゃなので、毎日を穏やかに楽しく送れれば良いんじゃない!”と言っています。
夫婦で介護を必要とするのも、どちらが先か分かりません。軽ければ自宅でもがあります。重いとやはり施設のお世話になるのでしょう。
祖母が残した色紙です。
母の願ひとして、「夫婦相和し 姉妹仲良く 真の道一すじに歩みゆくべし」78歳とあります。
母が100歳の時に施設で書いた(言い残した)言葉です。
「あせるな おごるな いばるな くさるな まような」と・・・。
母が102歳で他界し、相続関係も円満で早期にすべて終えました。
道志の家も最後の踏ん張りで、空中ウッドデッキも一人で作り上げました。
自宅と同じ敷地内で蔵のある実家(昭和初期の佇まい)ですが、蔵内と蔵前を改修し始めました。
自分の書などやオヤジが残した古いものを飾るつもりです。
無駄な抵抗とは思いますが、ダンスレッスンにも通い体幹をのばしています。先生も10ダンス(スタンダードとラテンを5種目ずつを超ハードに踊る試合で若者に混ざって最年長)で6位入賞したとのことです。
姉さまは80歳過ぎても車を乗り回し、友だちを連れては会員になっているリゾートホテルのあちこちを周っているようです。
私に対しても、”80代になると何が起こるか分からいよ~”と言ってスポーツクラブと医者に行くと言っています。ポジティブな姉さまです。
*私のパソコンのディスクトップ画面です。
今日の内容は何が言いたいのか結論が出ませんでした。
母が残した言葉で「あせるな おごるな いばるな くさるな まような」なのでしょう。
yuki75
また、周りに同類も多く、会話がそんな内容になっています。
今回の釣果は大漁でしたね。早くいじりたい!(笑)