バイク親父の言いたい放題

人生を楽しく!

アメリカの民主党政権は日本が嫌い?

2012年08月17日 | Weblog
尖閣諸島が、今、大変な状況になっている。

もとより「日本の領土」であることは、明確なことであるが、

アメリカの民主党政権の対応が非常に冷淡である。

「二国間の問題であるから米国は関知しない」との大統領補佐官の報道である。

いったい、「日米安全保障条約」というのは、日本の領土を守るということで

米国との間で結ばれたものではないのか?それとも、本州だけとでもいうような文言でも入っているのか?

歴史的に見て、米国の民主党政権は、総じて日本に冷淡である。

S.ルーズベルト、F・ルーズベルト、トルーマン、クリントン、そしてオバマ

近頃の冷淡さは、まぎれもなく、最大の原因は「鳩山総理」の普天間の最低でも県外発言である。

オバマが怒るのは当たり前である。だからといって、

米国が、日米安保を部分的にしか適用しないなら、日本は、軍備を持たなければ

到底、国は守れない。当然である。さて、日本が軍隊を持つには、さまざまな制約

を乗り越える必要があろうが、憲法改正により、これを実現した暁には日本は、相当の

軍事的優位を確保することができるし、中国や韓国への牽制に成るのは明らかである。

まず、自衛隊の名前を変えよう!

戦後67年を経た今、そろそろ「自分の国は自分の軍隊で守る」という意識を国民に

教えることは、あらゆる面で大きなプラスをもたらすのではないかと思われる。

最上級性能のF-35より優れた戦闘機の開発はもとより、より正確なミサイルの開発、

リモコンによる無人偵察機の開発など計り知れない分野に投資が広がっていく。

日本人なら、きわめて高性能なものを開発できるであろう。

もう、そろそろ「自虐感」と「あてにならない日米安保」をすてて「独立国」としての

パワーと日本人としてのアイデンティティ―を示すべきではなかろうか?

とにかく国民が、安心して「靖国神社」を訪問できる環境を整えるべきである。

ところで、プーチン大統領の次女が韓国の軍人と結婚するとの情報がはいった。

領土問題かかえる両国との関係を考えると、また、やりにくくなるのは間違いなかろう。







シャープの終焉

2012年08月15日 | Weblog
電気事業のシャープが倒産の危機に瀕している。

創業は、1912年、バンドのバックルの特許で出発したこの企業は

ちょうど、100年目にして最大の危機を迎えた。株価は、180円と過去最大の下落となっている。

今期4,000億円の赤字が予想される。奥田社長は、とんだ尻ぬぐいをさせられる羽目に

なった。この原因は、

もちろん、液晶TVの失敗が最大の理由だが、もう一つの太陽光パネルも価格低下に

苦しんでいる。

台湾のメーカー「ホンハイ」に助けを求めているがそう簡単に助けてくれるわけがない。

まず、日本のメーカーでさえ助け船を出すところが無いのであるから。

それだけ家電メーカーには、余裕がないということである。

2万人以上いる国内従業員は、もはやリストラは避けて通れない。

まして海外を含め6万人以上の社員が路頭に迷うことになりそうだ。

前社長の片山さんは、この結果を招いた最大の犯罪者である。

まず、液晶TVのみに経営を集中させたことが最大の敗因である。

非常に視野が狭く長期的な視点に欠けていた。

既に、亀山工場を作る時点で、韓国のサムスン、LGの状況を把握できたはずである。

日本の国内は、地デジへの転換で需要が拡大していたが、これ自体が

政府の政策の決定的失敗であるにも関わらず需要予測を見誤っていた。

ここで液晶TV以外に早期にシフトすべきであったのに何もしなかった。

この点、フイルムが全く使われなくなった状況下でいち早く別の事業に転身した「富士フィルム」

を見習うべきであった。

富士フィルムは、液晶TVのパネルに使う偏光保護シートに特化していた。

そのシェアは、世界で80%以上を占めている。つまり、何もシャープが

買ってくれなくても、ほかの外国メーカーも使わざるを得ない商品を作っていたのだ。

しかも、その間に、化粧品やサプリメント、医療用機器にまで事業を拡げていたのだ。

シャープは、この時点で液晶から、他の事業に拡大展開すべきであったのだ。

この点で、片山社長は、大きく出遅れた。

ソニーや日立、東芝などのメーカーは事業のすそ野が広くコンテンツ事業や、

鉄道車両やインフラ事業まで行っているが、シャープには、それがまったくなかった。

日本の多くの経営者は、このシャープの失策を参考にしたはずである。

早晩、シャープは、解体され台湾のメーカーに吸収されることになるであろう。

2万人の社員は、どこへ行くのだろうか?サンヨーが消え、シャープも外国に買われ

電気メーカ―の淘汰が進む。

経営者は、常に目を八方に巡らせている感性が求められる。

今でなく10年先の未来を見つめる視点を持っていなければならないことを

痛感しているはずである。そして、超円高でさえ何の対応もしない民主党日本政府の

無為無策を嘆いてみてもどうにもならないことを知るべきである。









オリンピックと新聞

2012年08月10日 | Weblog
毎日のようにロンドンからオリンピックの情勢が伝えられています。

ところで、毎日TVのLIVEを見ていたら寝不足で仕事になりません。

ロンドンと日本の時差は、8時間(昔ならった記憶では9時間ではなったっけ?)あるそうですから

向こうが昼間だと、こちらは夜になるのも仕方がありません。

しかし、一番最初にオリンピックの結果を見る場合にどうするかというと

やはり、インターネットが一番早いですね。ついついYAHOO!の画面を見てしまう。

ここで感じるのが「新聞」の遅さである。新聞よりもネットのほうが断然早い。

新聞のスポーツ欄に乗っているのは、昨日の夕刊の記事と思うような錯覚を

受けてしまう。

今日では、新聞は、確実に「新聞」という言葉の意味さえなくなってきた。

ニュースより、むしろ、評論的な、または、芸術的な価値観においてのみ存在しているような感じ

がしてしまう。

それだったら新聞ではなく、週刊誌でも十分ではなかろうか?

昨今では、印刷物が大きく減っているようで、印刷屋さんの経営が厳しくなってきているようだ。

そういえば、うちの事務所でも「コピー」するより「プリンター」で印刷する方が多くなっているような

気がします。カラーで印刷できますからね。

新聞には「折込チラシ」が入ってくるので、それだけが唯一「新聞」をとっている価値が

あるようにも感じます。しかし、折込チラシでさえインターネットに表示されるようになれば

スマートフォンで検索しながら「お買いもの」の時代ですからね。「今日のチラシ」なんて

サイトがあれば地域だけ入れればOKですからね。

話は違いますが、オリンピックの時の「甲子園」てかわいそうですね。

全然、注目されませんからね。桐光学園のピッチャーが22奪三振しても

なでしこサッカーに打ち消されてしまいましたね。

それにしてもメダルの大半が女性がとってるのは、情けない。

日本男児よ!!どうしたのか?


政治も何かやってるみたいですけど、もう、馬鹿らしくて見てられませんね・・・・

役者が悪すぎる「スター」がいないぞー!悪代官の小沢、ボケ役の鳩山

水戸黄門は、いないし助さん格さんもいないし・・・いい役者は、いないのかねー
 

箱根は涼しい・・・

2012年08月08日 | Weblog
先日、あまりに暑いので「愛車」にまたがり、

厚木道路からターンパイクを通り一気に箱根大観山へ

気温は、ターンパイクのカーブを曲がるごとにどんどん下がる

気圧のせいで、耳がつーんとなる。身体を通り抜ける風が心地よい

「バイク」って、いいな―と思う瞬間である。

車に乗っていると身体を通り抜ける風の心地よさが分からないですが

バイクは、本当に気持ちがいい・・・フェラーリより断然いいな―と思う。

もちろん、負け惜しみですが。

1時間ほど昼寝をして下り線へ・・・

箱根新道に入る手前の道路わきの温度計が21°Cを示していました。

平塚は、箱根が近くて1時間足らずで1000メートル以上の山に登れる場所にあります。

都会は、仕事も沢山あって、便利もいいですが、こういうときは、

「やっぱり平塚に住んでいて良かったな―」って思います。

最近、平塚や秦野などの神奈川県西部では、ここ10年くらいの間に

大手の製造業が軒並み撤退、海外移転、縮小で減り続けています。

人口は、ほとんど増加せず、減少に転じています。

昔は、競輪場の開催日などは、人並みですごかったんですが、この10年で

劇的に減少し、競輪選手も競輪だけでは食べていけないようになってしまっています。

不景気のせいもあるのでしょうが、行政が何かの対応をしないでこのままにしていれば

やがて、50年前のような田園風景になってしまうのではなかろうかと心配してしまいます。

皆さん、平塚はいいところですよ!どんどん住んで下さい。

横浜と比べて平塚は、電動サイクルがほとんど走っていません。

近所の自転車屋さんに、友人からもらった電動サイクルのパンク修理に持って行ったところ

親父さんに、「なんで平塚で電動サイクルなんか乗ってんだい!」って言われてしまいました。

そのくらい平らなところです。富士山さんも見えるし箱根や湯河原、熱海も近いし、伊豆も近いです。

都会の人が「ガレージ付アパート」を借りる人が増えているそうです。

金曜日や、休みの前の日にアパートの2階に泊まって次の日に、止めておいたバイクや車で

釣りや、ゴルフ、ドライブに出かけるそうです。

東京では、駐車代が高くて借りられないそうですから、平塚近辺に車を置いておいて

休みの日には、電車で来て泊って出かけるというのも別荘のようで楽しそうですね。





原子爆弾の種類が違うのは、なぜか?

2012年08月06日 | Weblog
1945年8月6日、朝8時15分、今から67年前に広島に原子爆弾が投下された。

当時の広島の人口は、42万人、そのうち20万人以上が5年以内に死亡した。たった1発の爆弾で殺されたのだ。

長崎は、当時の人口24万、そのうち14万人以上が5年以内に死亡した。

その時の広島の原子爆弾の種類は、「ウラン235型原子爆弾」という基本的なものであった。

ちなみに長崎に落とされた原子爆弾は、「プルトニウム型原子爆弾」というものであり、種類が異なる。

なぜ種類の異なる原子爆弾を落としたのか?

アメリカの軍事記録には、我々は「実験に成功した!」と書かれている。

つまり、日本への原爆投下は、「実験」であり、日本人は、「モルモット」にされたのである。

広島に軍需施設がなく攻撃するものはない、しかも捕虜の収容所がなかったというのが原爆投下地の候補地として

選択された理由だそうである。

時のアメリカの大統領は、トルーマン第33-34代大統領であった。

1929年のアメリカ大恐慌から太平洋戦争時、さらに1945年5月の終戦直前まで太平洋戦争を指導し、急死した

フランクリン・ルーズベルト第32代民主党大統領が脳梗塞でたおれ、当時、副大統領であり

1945年1月に就任したのが第33代ー34代トルーマン民主党大統領である。

F・ルーズベルトが遂行した1942年から3年あまりの研究、いわゆるマンハッタン計画により約20億ドルを

要したとされる開発費の成果を試すべく1945年7月16日に完成したばかりの原子爆弾

をドイツでなく日本に落とすことにイギリスのチャーチルとアメリカのルーズベルトは合意していた。

何故か?明らかな人種差別があった。ルーズベルトの妻はアヘン戦争で大儲けした家計の人間だった。

したがって、中国は良くても日本は嫌いであったのだ。日系米国人のみを捕虜収容所に収監したのは

明確にこれを表している。

原子爆弾を開発製造した天才といわれたユダヤ人科学者「オッペンハイマー」でさえ、

広島、長崎の惨状を見て、自らを「われは死神なり、世界の破壊者なり」と

呪うことになる。

F・ルーズベルトは、自分が障碍者であり車いすを使っていたが、その姿の写真は、

ほとんどなくに国民の大半は知らなかった。

アメリカ第31代共和党大統領フーバーは、F,ルーズベルトをして「狂気の人間である」といっている。

そして、フーバー大統領は、

「いかなる詭弁を用いようと、原爆投下の主目的が、戦闘員でなく女子供老人などの非戦闘員の

殺傷であったことを否定することはできない。そもそもアメリカは日本を挑発しなければ決して真珠湾を

攻撃されることはなかっただろう。」と、述べている。