7月4日は、母の四十九日の法要と納骨式でした。
本当なら四十九日は7月14日なのですが、関東はお盆の真っ最中。
お寺の住職さんが忙しく予定が立たないというので、住職さんの都合で7月4日がその日になりました。
だいぶ早めの四十九日でした。
予報は曇り時々雨。
納骨の時に雨が降ると困るなと思っていましたが、予報は完全にはずれ一日中、まずまずのお天気でした。
弟がどの程度の人に声をかけたのかは知りませんが、叔父・叔母・いとこたちが遠方から多数集まってくれました。
身体も大きかったけれど、おしゃべり好きで誰にでも声をかける母の存在は、親戚、従兄弟たちの間でも大きな存在だったのかもしれないと思いました。
本堂でお経をあげていただき、その後、父と兄の眠るお墓に母も入りました。
単なる儀式とはいえ、まるで他人事のように感じる自分が不思議でした。
母が骨壷の中に入っているとは、どうしても実感できないのです。
それでも、母方のいとこたちがお焼香をする姿に母の思い出が重なり、涙があふれてきました。
これで一段落です。
弟夫婦も一息つけたんだろうなと思います。
何だか私も、どっと疲れが出たような気がします。
本当なら四十九日は7月14日なのですが、関東はお盆の真っ最中。
お寺の住職さんが忙しく予定が立たないというので、住職さんの都合で7月4日がその日になりました。
だいぶ早めの四十九日でした。
予報は曇り時々雨。
納骨の時に雨が降ると困るなと思っていましたが、予報は完全にはずれ一日中、まずまずのお天気でした。
弟がどの程度の人に声をかけたのかは知りませんが、叔父・叔母・いとこたちが遠方から多数集まってくれました。
身体も大きかったけれど、おしゃべり好きで誰にでも声をかける母の存在は、親戚、従兄弟たちの間でも大きな存在だったのかもしれないと思いました。
本堂でお経をあげていただき、その後、父と兄の眠るお墓に母も入りました。
単なる儀式とはいえ、まるで他人事のように感じる自分が不思議でした。
母が骨壷の中に入っているとは、どうしても実感できないのです。
それでも、母方のいとこたちがお焼香をする姿に母の思い出が重なり、涙があふれてきました。
これで一段落です。
弟夫婦も一息つけたんだろうなと思います。
何だか私も、どっと疲れが出たような気がします。