
結婚式・披露宴で正直やめて欲しい演出ランキング(gooランキング) - goo ニュース
1位、ゴンドラで登場するようなど派手な演出。
2位、新郎新婦のカラオケ。
3位、新郎胴上げ。
4位、来賓の祝辞
5位、シェフの料理説明
6位、友人・親戚による余興
・
・
10位、プロフィールビデオ
11位、花嫁から両親への手紙
私が見ても楽しそうだったり、感動的だったりする演出も、自己満足と捉えられがちだったり、内輪受けだったりで、全体の出席者から見れば、あまり好評ではないということでした。
私の娘は、プロフィールビデオも両親への手紙も絶対に嫌だと言って、やりませんでした。
こうして、このランキングを見てみると、娘の結婚式にあったのは、友人による余興だけで、あとは、何もなかったな。
結果、涙も感動もないただただ笑いに包まれた結婚式でした。
その後、次々と娘の同級生が結婚式を挙げましたが、「良い結婚式だった」と言われる結婚式は、やはり涙を誘われる結婚式だったようです。
私の時代は、周りが式を演出して、盛り上げてくれましたが、今の結婚式って、新郎新婦が中心になって、案を練り、演出していくようですね。結婚式は今や二人のお祝いとしての行事だけではなく、列席者を楽しませる演出がなくてはならない時代になってきたんだなと思いました。
大勢が出席する行事は、万人を満足させるのは難しい。
年齢差・生きた時代など、すべての出席者に良い式だったと思わせるのは、無理なのかもしれません。
私は、結婚する二人を祝福する気持ちで出席すれば、どんな式だって良いじゃないかと思うんですけどね。
私がこの記事に注目したのは、先日私が記事にした『お別れのYOSAKOI』のことがあったからです。
私は今までの枠を超えた画期的な葬儀として、感動を覚え、記事にしました。
あの場に参列していた私以外の会社関係の人も、あの時のよさこいに涙していた人も多かったように見受けました。
でも、翌日になって、感じ方は人それぞれだというのを実感しました。
別の会社関係の方は、ああいった葬儀に関して、かなり批判的でした。
「他の参列者もいるのだから、自己満足的な踊りは良くない。」
「葬儀はもっと厳粛であるべきだ。」
「従来の枠のまま行われるべきだ。」
「葬儀に半天を着るのは、無神経だ。」
「お坊さんの前で、鳴子をカチカチ鳴らすなんて非常識だ。」
などなど。
ふーん、
人それぞれだなと思いました。
100人集まれば、100人が同じ思いを抱き、同じ感動を覚えるはずはないでしょうが、かなり感動していた私は、出鼻をくじかれた思いでした。
でも、私の記事を読んで、感動したとコメントをくださった方がたくさんいて、うれしかったです。
そして、遺族にとって、あのYOSAKOIは、どんな弔辞より、どんなお経より、ありがたみがあったのではないかと思っています。
1位、ゴンドラで登場するようなど派手な演出。
2位、新郎新婦のカラオケ。
3位、新郎胴上げ。
4位、来賓の祝辞
5位、シェフの料理説明
6位、友人・親戚による余興
・
・
10位、プロフィールビデオ
11位、花嫁から両親への手紙
私が見ても楽しそうだったり、感動的だったりする演出も、自己満足と捉えられがちだったり、内輪受けだったりで、全体の出席者から見れば、あまり好評ではないということでした。
私の娘は、プロフィールビデオも両親への手紙も絶対に嫌だと言って、やりませんでした。
こうして、このランキングを見てみると、娘の結婚式にあったのは、友人による余興だけで、あとは、何もなかったな。
結果、涙も感動もないただただ笑いに包まれた結婚式でした。
その後、次々と娘の同級生が結婚式を挙げましたが、「良い結婚式だった」と言われる結婚式は、やはり涙を誘われる結婚式だったようです。
私の時代は、周りが式を演出して、盛り上げてくれましたが、今の結婚式って、新郎新婦が中心になって、案を練り、演出していくようですね。結婚式は今や二人のお祝いとしての行事だけではなく、列席者を楽しませる演出がなくてはならない時代になってきたんだなと思いました。
大勢が出席する行事は、万人を満足させるのは難しい。
年齢差・生きた時代など、すべての出席者に良い式だったと思わせるのは、無理なのかもしれません。
私は、結婚する二人を祝福する気持ちで出席すれば、どんな式だって良いじゃないかと思うんですけどね。
私がこの記事に注目したのは、先日私が記事にした『お別れのYOSAKOI』のことがあったからです。
私は今までの枠を超えた画期的な葬儀として、感動を覚え、記事にしました。
あの場に参列していた私以外の会社関係の人も、あの時のよさこいに涙していた人も多かったように見受けました。
でも、翌日になって、感じ方は人それぞれだというのを実感しました。
別の会社関係の方は、ああいった葬儀に関して、かなり批判的でした。
「他の参列者もいるのだから、自己満足的な踊りは良くない。」
「葬儀はもっと厳粛であるべきだ。」
「従来の枠のまま行われるべきだ。」
「葬儀に半天を着るのは、無神経だ。」
「お坊さんの前で、鳴子をカチカチ鳴らすなんて非常識だ。」
などなど。
ふーん、
人それぞれだなと思いました。
100人集まれば、100人が同じ思いを抱き、同じ感動を覚えるはずはないでしょうが、かなり感動していた私は、出鼻をくじかれた思いでした。
でも、私の記事を読んで、感動したとコメントをくださった方がたくさんいて、うれしかったです。
そして、遺族にとって、あのYOSAKOIは、どんな弔辞より、どんなお経より、ありがたみがあったのではないかと思っています。
