夜明けが遅くなった今、早朝のウォーキングを止めて、日中にウォーキングをするようになってから、土手にいる野良猫を見かけることはなくなりました。
先週の土曜日、いつも猫たちがたむろしている橋の下付近に差し掛かったところ、カラスが群がっているのが見えました。
近づいてみると、猫の死骸をカラスがつついていました。
私が近づくと、カラスは見るからに肉片と思われるものを咥えながら、一斉に飛び立って行きました。
いつ頃死んだ猫なのかわかりませんが、私が見た時は、顔は原形をとどめず、肋骨がむき出しになり、残っていたのはお尻のあたりと尻尾だけでした。
残っていた尻尾の毛で、ベージュ色の猫だというのがわかりましたが、身体全体は全く確認できないくらいに傷んでいました。
猫の死骸があったのは、道の真ん中あたりだったので、この先、車が通れば再度踏まれるかもしれないと思いました。
どこかへ埋めてやりたいと思いましたが、私は埋める道具を持っていません。
主人が家にいれば、電話して来てもらおうと思いましたが、すでに主人は仕事にでてしまっていました。
とにかく家に帰って車で再度出直そうと思いました。
橋の下まで歩いて行くと、自転車に乗ったおばあさんが、猫にエサをやっているのを見つけました。
私は、そのおばあさんに死骸になっている猫の事を話しました。
「あのままカラスのエサになるのは可哀そうなので、埋めてやりたいと思うけれど、何も道具を持っていない」
というと、
「知り合いがいるので、連絡して何とかしてもらいます。」
と言っていました。
ほっとして、私はその場を去りました。
翌日、同じ場所を通ると、その場所はすっかりきれいに片付いていました。
あのおばあさんが、知人に連絡してくれたからだろうと思いました。
ところが、今日のウォーキングでその場所を通ると、道の真ん中に何か塊が見えました。
そばを通ると、無数の銀色をしたハエが群がっていました。
一見、枝の切れ端のように見えたのですが、よく見るとそれは、足の骨でした。
「あの猫の骨だ!」と思いました。そばに立っているだけで悪臭がしてきました。
前日にはきれいになっていた道路の真ん中に、どうして今日は猫の死骸があったんだろうと思いましたが、たぶん、カラスの仕業だろうと思いました。
私は気づきませんでしたが、誰かが道の端か畑の草むらに猫の死骸を移したのかもしれず、それを再びカラスが道の真ん中に引きずり出して、食べたんだろうと思いました。
少し毛の塊がありましたが、ほとんど骨だけになっていました。
私が最初に見た時の肋骨は全くなく、背骨だけがありました。
私は急いで家に帰り、主人に猫の死骸埋めてくると話しました。
主人はすぐに一緒に行ってくれると言い、二人でスコップを持って車で出かけました。
猫の骨をスコップで取り、新聞紙に乗せて、土手沿いの埋めやすい場所を探して埋めました。
チベットの方では、まだ鳥葬というものが行われていると聞きます。
なので、あの猫はカラスに食べられることで、葬られたのかもしれないとも思いました。
でも、私の感覚からしたら、やはり死骸は埋め、土に返すのが良いだろうと思いました。
土手に住む野良猫たちは、全部で何匹くらいいるのかわかりませんが、私が野良猫のいる土手を歩くようになってから8か月の間、数匹の猫の死を知っています。
実際、自分で見たのは2匹ですが、いつも猫を観察している人の話では、今年の春から10匹以上の猫が死んでいると言っていました。
ほとんどは、赤ちゃん猫らしく、生まれても育たないそうです。
やはり、野良猫が生き延びるには、過酷な環境なんだろうと思いました。
猫が生まれてこれ以上増えたら困ると思っていましたが、実際のところは、猫が生まれて増えるというより、新たに捨てられる猫が増えているようです。
土手の周辺に野良猫が生息しているのを聞きつけて、そこに捨てに来る人が後を絶たないようです。
そして、新たに来た猫は、以前からいる猫に受け入れられなかったりして、喧嘩になることもあるんだろうと思いました。
歩く時間を変えてしまったので、最近は、全く見かけませんが、私が気になっている顔半分がケガで剥けてしまっている猫も、人間に捨てられた猫なんだろうと思いました。
小さいころからの野良猫は、目が合うだけで逃げて行きますが、人間に飼われていた猫は、目が合ってもじっとしているし、声をかけるとミャーと鳴きます。
実際、一年も経たない間にたくさんの猫たちが死んでいることを知り、それで一定の数が保たれれているのかもしれないと思いましたが、そんな運命をたどる野良猫たちの事を思うと、複雑な気持ちになります。