はーちゃんの気晴らし日記

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帰宅後の出来事

2015年10月26日 | 出来事
23日、福島から帰ってきました。
去年の今頃トルコへ行った時も、今年の初夏に北海道へ行った時も、留守宅は特に変わったことはなかったのに、今回は、たった一泊なのに、勘九郎がお腹を壊したり、まめたろうが熱を出したり、大学時代の先輩が亡くなったりと、色々ありました。

出発の日の朝、勘九郎はご飯を食べませんでした。
普段、食いしん坊の勘九郎は、散歩から帰ると、さっさと食事をして、あっという間に食べ終わってしまうのに、その日の朝は、フードのそばへ行って、食べようとするのですが、フードはそのまま残っていました。
朝早くの散歩だったし、私たちが出かけるので、落ち着かないせいだろうと思っていました。
留守中は、いつものように娘に頼んであったので、その辺の事をメールしておきました。
娘が来ると、勘九郎のお腹はキュルキュル言っていて、その日は、一日中何も食べず、散歩中に草を食べて、下痢をしたと言っていました。
勘九郎は、落ち着かないから食べなかったのではなく、お腹の調子が悪かったようです。
今までは、留守にする期間が長かったので、出かけている間の事を細かく書いて、具合が悪くなった時の薬なども準備していたのですが、最近の勘九郎は調子も良く、お腹の調子が悪くなるという想定はしていなかったので、娘はビオフェルミンを飲ませて、様子を見たと言っていました。
初日に絶食させたのとビオフェルミンが良かったのか、勘九郎のお腹は、比較的早く快復して、私たちが帰ったときは、すっかり元に戻っていました。

ところが、まめたろうの体調は、私たちが帰ってからもあまり良くない状態でした。
熱は、風邪のためでしたが、翌土曜日は、娘は一日中、幼稚園と地域の行事で、家にいることができないというので、私たちがまめたろうを預かり、病院へ連れて行くことになりました。
よほど、体調が悪かったのか、まめは、自分から「病院へ行きたい」と言います。
苦しくて、夜、よく眠れないそうです。
娘が早朝から小児科の予約を取ってくれていたのですが、土曜日というのと、風邪が流行っているというのもあり、やっと取れた予約は11時。
早めに家を出たのですが、それでも、診察が済んで薬を貰って、家に帰ったのは、1時を過ぎていました。
娘は、午前中は、幼稚園のバザーのお当番で、午後からは、地域のハロウィンの行事に出なければなりませんでした。
まめに午後からのハロウィンに参加するように娘から電話があったのですが、まめは、身体がだるいのか、「行きたくない」と言い、私の家で、テレビを見ながらゴロゴロしていました。
夕方になって、仕事を終えたパパが迎えに来て、私たち夫婦もやっとのんびりすることができました。
私も主人も旅行の疲れが残っていたのですが、まめの風邪引きに付き合い、一日がつぶれてしまいました。

それと、土曜日の朝、友達からサークルの先輩が亡くなったというメールが入りました。
私より二学年上の女の先輩です。
その先輩とは、私も今年の1月に会いました。
先輩は、校友会の世話役をしていて、精力的に活動していました。
活発で、リーダーシップのある人でした。
しきりすぎて、他の人とぶつかることも多々あったようですが、行事を主催したり、会の中心になって動くことが好きな先輩でした。

校友会の行事には、私は、滅多に参加することはありませんでしたが、たまたま今年の1月の行事に参加しました。
その時の内容が、メイクアップ教室だったので、関心もありました。
ハリウッド化粧品の人がたくさん来て、お化粧の仕方を指導してくれました。

メイクアップの指導が終わり、そろそろ解散という時、あまり顔を出さない私に先輩は、
「あんた、こういう集まりにあまり顔を出さないけど、行事がある時は、もっと出ておいで!」
と、言っていました。
5月に校友会の集まりがあるので、顔を出すように言ってもらったのですが、結局、私は行きませんでした。
でも、先輩も、来られなかったとか。
今月の連休にサークルの同窓があったのですが、そのときにも出席していなかったというのを聞いて、相当具合が悪いんだろうかと思っていました。

先輩は、4~5年前に癌の手術をしたようです。
どこの癌だったのか、本人が話をしないので、わからないのですが、手術後、放射線治療を続けていたようです。
髪が抜けてしまったらしく、かつらを被って、それでも、精力的に校友会やサークルの同窓会の世話役をがんばっていました。
私がいつも会う友達とはずいぶん親しいお付き合いをしていたようですが、その友達にも病気の事は詳しく話すことはなかったようです。
校友会関係の事で地方へ行ったり、プライベートで海外へ行ったりしていたので、病気は回復に向かっていたのだと思っていましたが、そうではなかったようです。
やはり、癌は5年が勝負なんだなと改めて思いました。

個性が強く、存在感のある先輩でした。
思い返せば、私もその先輩とは、色々なことがありました。
なので、その存在がなくなってしまったというのは、身近な周囲の人たちにとっては、かなり打撃だろうと思います。

できれば、葬儀に出席したいと思っていましたが、ご家族の意向で、家族葬で済ませるとの事。
残念ではありますが、陰ながらご冥福を祈りたいと思っています。


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