昨日の夕飯はコロッケでした。
まめとツブがパパの実家の菜園でじゃがいもを掘ってきてくれたので、それを使って娘がコロッケを作ってくれました。
やっぱり手作りコロッケは美味しい♪
私が小学校の高学年の頃のことです。
近所にお好み焼き屋さんがありました。
私たちは、「お好み焼き」と言っていましたが、今で言う「もんじゃ焼」きです。
その店にはみんなから「ゲンさん」と呼ばれるおじさんがいました。
今思うと、結構な年だったと思うのですが、大人も子供もそのおじさんのことを「ゲンさん」と呼んでいました。
店先には駄菓子が置かれていて、奥に一段高くお座敷のようになっている場所があり、そこに大きな鉄板が置かれていました。
私たちは靴を脱いでそこに上がり、お好み焼きをしました。
そこは、子供たちのたまり場でした。
私たちは、学校から帰ると真っ先にその店に行きます。
大抵私が一番乗りでした。
私がお好み焼きを焼いていると、徐々に近所の供たちが集まってきます。
大きな鉄板を囲んで、それぞれ自分の手前で好きなようにもんじゃを焼いて食べました。
最後に残った液体を薄く延ばしてカラカラに焼いて「おせんべい」と言って食べたりしました。
冬の寒い時期は、お好み焼きを食べながら長い時間ゲンさんのお店に居座りました。
今思えばそれで商売が成り立ったのだろうかと思うのですが、ゲンさんは私たちがずっとそこに居座っていても何も言わず、たまに私たちの会話に加わったりしていました。
ある冬の日のことでした。
ゲンさんのお店の二つ隣に新しくお肉屋さんが開店しました。
私たち子供が3~4人集まってワイワイお好み焼きをしていると、ゲンさんが言いました。
「あの肉屋のコロッケは美味しいよ。さっき食べてきたんだけど、ジャガイモの味がたまらないんだよ。」
と言います。
「あれは、うまかったなぁ。」
としきりに言います。
私は、お好み焼きを焼きながら、コロッケの味を想像しました。
ゲンさんの話を聞いているうちにそのコロッケが食べたくてたまらなくなりました。
とうとう私は我慢できなくなり、みんなに気づかれないようにそーっとお店を出て、二軒となりのお肉屋さんへ行き、コロッケを1枚だけ買いました。
お肉屋さんはコロッケを薄い紙で作られた袋に入れてくれました。
そのコロッケを持って、私はお店の裏手へ行きました。
コロッケを買ったのは良いけれど、どこでそれを食べるか考えました。
みんなの分までコロッケを買うことはできなかったので、コロッケを持ったままお好み焼きのお店には戻れないと思いました。
それに、ゲンさんの話を聞いてコロッケを買いに行ったなんて、恥ずかしくて言えなかったんです。
それで私は人通りのなさそうな狭い路地裏に入り込み、隠れるように隅にうずくまってコロッケをかじりました。
ところが揚げたてのコロッケは熱くて熱くて口の中はヒーハーです。
急いで店に戻らなければ、店にいる人たちが突然いなくなった私のことを不審に思うだろう。
あー、急いで食べて店に戻らなければ・・・
でも、熱くて食べられない。
焦りました。
焦る気持ちが強くて、味などわかりません。
私は、二口くらいコロッケを食べただけで、残りのコロッケをそこに置いたまま店に戻りました。
店に戻ると、みんなに「どこへ行っていたの?」
と聞かれましたが、適当に言葉を濁してその場をしのぎました。
ゲンさんは、何も言いませんでしたが、なんとなく私の行動が見透かされていたみたいで、気がとがめました。
コロッケの美味しさもわからず、ただ後ろめたさのようなものだけが残りました。
今なら「ゲンさんの話を聞いて、私も食べたくなったわ。」
と言ってお肉屋さんへ行くと思うのですが、なぜかその時の私は、それができませんでした。
昭和30年代の東京の下町での出来事です。
まめとツブがパパの実家の菜園でじゃがいもを掘ってきてくれたので、それを使って娘がコロッケを作ってくれました。
やっぱり手作りコロッケは美味しい♪
私が小学校の高学年の頃のことです。
近所にお好み焼き屋さんがありました。
私たちは、「お好み焼き」と言っていましたが、今で言う「もんじゃ焼」きです。
その店にはみんなから「ゲンさん」と呼ばれるおじさんがいました。
今思うと、結構な年だったと思うのですが、大人も子供もそのおじさんのことを「ゲンさん」と呼んでいました。
店先には駄菓子が置かれていて、奥に一段高くお座敷のようになっている場所があり、そこに大きな鉄板が置かれていました。
私たちは靴を脱いでそこに上がり、お好み焼きをしました。
そこは、子供たちのたまり場でした。
私たちは、学校から帰ると真っ先にその店に行きます。
大抵私が一番乗りでした。
私がお好み焼きを焼いていると、徐々に近所の供たちが集まってきます。
大きな鉄板を囲んで、それぞれ自分の手前で好きなようにもんじゃを焼いて食べました。
最後に残った液体を薄く延ばしてカラカラに焼いて「おせんべい」と言って食べたりしました。
冬の寒い時期は、お好み焼きを食べながら長い時間ゲンさんのお店に居座りました。
今思えばそれで商売が成り立ったのだろうかと思うのですが、ゲンさんは私たちがずっとそこに居座っていても何も言わず、たまに私たちの会話に加わったりしていました。
ある冬の日のことでした。
ゲンさんのお店の二つ隣に新しくお肉屋さんが開店しました。
私たち子供が3~4人集まってワイワイお好み焼きをしていると、ゲンさんが言いました。
「あの肉屋のコロッケは美味しいよ。さっき食べてきたんだけど、ジャガイモの味がたまらないんだよ。」
と言います。
「あれは、うまかったなぁ。」
としきりに言います。
私は、お好み焼きを焼きながら、コロッケの味を想像しました。
ゲンさんの話を聞いているうちにそのコロッケが食べたくてたまらなくなりました。
とうとう私は我慢できなくなり、みんなに気づかれないようにそーっとお店を出て、二軒となりのお肉屋さんへ行き、コロッケを1枚だけ買いました。
お肉屋さんはコロッケを薄い紙で作られた袋に入れてくれました。
そのコロッケを持って、私はお店の裏手へ行きました。
コロッケを買ったのは良いけれど、どこでそれを食べるか考えました。
みんなの分までコロッケを買うことはできなかったので、コロッケを持ったままお好み焼きのお店には戻れないと思いました。
それに、ゲンさんの話を聞いてコロッケを買いに行ったなんて、恥ずかしくて言えなかったんです。
それで私は人通りのなさそうな狭い路地裏に入り込み、隠れるように隅にうずくまってコロッケをかじりました。
ところが揚げたてのコロッケは熱くて熱くて口の中はヒーハーです。
急いで店に戻らなければ、店にいる人たちが突然いなくなった私のことを不審に思うだろう。
あー、急いで食べて店に戻らなければ・・・
でも、熱くて食べられない。
焦りました。
焦る気持ちが強くて、味などわかりません。
私は、二口くらいコロッケを食べただけで、残りのコロッケをそこに置いたまま店に戻りました。
店に戻ると、みんなに「どこへ行っていたの?」
と聞かれましたが、適当に言葉を濁してその場をしのぎました。
ゲンさんは、何も言いませんでしたが、なんとなく私の行動が見透かされていたみたいで、気がとがめました。
コロッケの美味しさもわからず、ただ後ろめたさのようなものだけが残りました。
今なら「ゲンさんの話を聞いて、私も食べたくなったわ。」
と言ってお肉屋さんへ行くと思うのですが、なぜかその時の私は、それができませんでした。
昭和30年代の東京の下町での出来事です。