はーちゃんの気晴らし日記

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いとこの結婚--Jちゃん

2012年09月14日 | 回顧録
昨日のHちゃんは母の兄の子供ですが、Jちゃんは母の姉の子供です。
Hちゃんが、「こんな家、焼けちゃえば良いんだ!」と叫んだ時、私と一緒に遊んでいたいとこです。

Jちゃんは、私より2歳年上です。
伯母である母の姉は、私が十代後半の頃リュウマチになり、その後亡くなりました。

Jちゃんは、男2人の兄弟でした。
なので、伯母が亡くなってからは、Jちゃんの家は男ばかりの家族になり、私の母が母親代わりのようになっていた部分があります。
私もたまに訪ねては、夕飯の支度を手伝ったりしました。

Jちゃんが、そろそろ結婚してもおかしくない年頃になった頃、伯父が私の両親に
「Jに誰か良い人はいないだろうか?」
と、相談に来ました。

Jちゃんは、国立大学を卒業して、父親の家業を継いでいました。
Jちゃん兄弟は、我が家とは違って優秀だったので、兄弟揃って公立の大学へ行きました。
見た目も悪いわけでもなく物静かでやさしい性格だったので、お見合いの話は次々にあり、父は何度もJちゃんに話を持っていきました。
でも、どんな良さそうな話を持っていってもJちゃんは、首を縦に振りません。
何度目かの話の時、これは変だと思い、父がJちゃんを呼んでゆっくり話を聞きました。

すると、Jちゃんには好きな人がいるということでした。
お付き合いをしているわけではないけれど、高校の同級生で、ずっとその人の事が忘れられないと言います。
父と母は考え込んでしまいました。
高校の同級生???
しかも、全くお付き合いは、していない???
Jちゃんが、高校を卒業してから10年近く経っています。
連絡を取っているわけではないので、その人の近況すらわかりません。
その人もすでに結婚しているかもしれません。

私の両親もJちゃんの父親も考え込みました。
好きな人がいるならそれはそれで良いけれど、一方的に思っているだけではどうすることもできません。

Jちゃんが他の人と結婚する意志は全くないというので、父が動くことになりました。
Jちゃんから相手の女性の住所と名前を聞いて、連絡を取りました。

すると、その女性はまだ独身でいるようでした。

父と母が相手の女性に会いました。
驚いたことに相手の女性もJちゃんのことが好きでずっと独身でいたとのこと。

純愛というか何と言うか、両親は大喜びしましたが、あきれもしていました。
昭和も50年代の頃です。
今時の人が、お互い好き同士でいるにもかかわらず、まったく連絡も取らずに思い合っていたなんて信じられない!と。

それから、話はとんとん拍子に進んでいきました。
伯父が彼女と会い、家庭の事を聞くとお父さんはすでに亡くなっていて、お母さんと妹さんと三人暮らしだと言う事がわかりました。
そういう事情なら、いずれはお母さんも引き取って面倒を看ても良いと伯父は考えていたようです。

願ってもない展開になり父と母は安心し、後のことは、Jちゃん一家に任せるということで、自分たちの責任は果たせたように思っていました。

それからしばらくして、伯父から電話がありました。
伯父の声は沈んでいました。
「困っちゃったよ。Jたちの結婚は無理だよ。」
と。

よくよく聞いてみれば、その相手の女性は大会社の社長の身内だということでした。
当時は、まだ東証の2部上場でしたが、私達でさえ知っている名前の通った会社でした。

創業者である父親が亡くなって、お兄さんが後を継いで社長さんをしていたのですが、彼女は大邸宅に住むお嬢様だったんです。
伯父は言います。
「彼女は地味な人でね、腕時計をプレゼントしたら、とても喜んでいた。全然金持ちに見えなかったから、お父さんがいないならお母さんの面倒を看ても良いと思っていたのに、面倒を見るどころじゃないんだよ。あまりに不釣合いで、この結婚は無理だよ。」
と。
確かに大会社のお嬢様と町工場の家庭とでは、あまりに不釣合いです。

私の父がJちゃんと会い、
「彼女の家のことを知っていたのか」と聞くと「知っていた」と答えたそうです。
そうであるが故にJちゃんは、積極的に彼女に声をかけることができなかったようです。
せっかく上手く行きそうだったJちゃんの結婚が、そこで終わってしまいそうでした。

すると、それからすぐに彼女のお母さんから連絡がありました。
「娘は、どうしてもJ君と結婚したいと言っています。どうかこの話を進めてもらえませんか?」
と。

叔父は気が進まないようでしたが、息子の幸せを考え、しぶしぶ二人の結婚へと話を進めることにしたようです。
そして、最初の関わりから、私の両親に仲人をお願いしたいと言って来ました。
父も母もそんな大きな役目はできないと断りましたが、両家から是非にと言われ、戸惑いながらも仕方なしに仲人を引き受けました。

結納で彼女の家へ行った時の事は、父の後々までの語り草でした。
「とにかくすごいんだよ。広いなんてもんじゃない。車で門へ入って、5分くらい走ってやっと家が見えるくらいなんだ!庭は高級料亭みたいに手入れされていて、その庭が見える部屋で結納をしたんだけど、あんな立派な家に行ったことはないから、緊張したよ」
と。
今思えば、いくらなんでも、門から車で5分も走ってやっと家が見えたなんて、あり得ないだろうと思いますが、父にしてみればそれくらいの距離を感じたんだろうと思いました。
その時に初めて会ったお母さんも社長であるお兄さんも気さくな人で、大会社の社長とお母さんという感じはなかったと言います。

結婚式は都内の有名な式場で行われ、私も着物を着て参列しました。

Jちゃんの奥さんは社長の妹なので、かなりの会社の株を持っているようですが、だからと言ってJちゃんたちの生活が派手になることもなく、Jちゃんが経営する町工場の収入で、ごくごく普通の生活を送っています。

そして、Jちゃんの奥さんの実家である会社はというと、その後すぐに東証1部上場をを果たし、今では同系の会社を合併吸収してその業種では国内第二位のシェアを占めるまでに発展しているようです。
二代目社長だった彼女のお兄さんが亡くなった後は、会社は創業者である彼女の一家とは離れ、全く縁故のない人が会長、社長をしているようです。

この記事を書くにあたって、その会社の事を調べていた時、現在の会長さんの談話を見つけました。
『私が一番尊敬する人は、この会社の創業者の○○さんです。○○さんは、全く社長という感じはなく、いつも私たち社員と同じ目線でした。』
と、彼女のお父さんの事が書かれていました。
そんなお父さんだったから、彼女たちも奢ることなく地味な生活を続けていたんだろうと思いました。

Jちゃんは、学生時代は山男で、暇さえあれば山登りをしているような人でした。
一度、滑落事故を起こして、股間を激しく打って入院したことがあります。
その時に伯母は、
「これで、子供ができなくなったら困るなぁ」
と言っていましたが、そんな伯母の心配を他所に、Jちゃんは、三人の女の子に恵まれました。

私の母の葬儀の時に久しぶりにJちゃん夫婦に会ったのですが、長女がアメリカ留学中に病で倒れ、20代前半の若さで亡くなってしまったとのことでした。
亡くなってから時間は経っていたようですが、静かに語る二人の様子から、深い悲しみが滲み出ていたように思いました。
私は、後姿を見送りながら、二人の深い愛情でこの不幸を乗り越えて行きつつあるように感じました。


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