今日はクリスマスイブだそうです。
「だそうです」というほど、私の生活には、まるで関係ない行事です。
孫たちは今日は一日中、サンタクロースが持ってきてくれるプレゼントを楽しみにしながら過ごすんだろうな、そして夜は、どきどきしながら布団に入るんだろうなと思います。
私の子供の頃は、サンタクロースがプレゼントを運んで来てくれるという発想はなく、それは海外のお話の世界の事でサンタクロースは架空のものでした。
クリスマスプレゼントは両親が買ってくれるものと思っていました。
学校でもサンタクロースがプレゼントを持ってくるという話をしたことはなかったので、それは、私の家庭だけのことではなく、そういう時代だったんだろうと思います。
今朝目を覚まして、「今日はクリスマスイブなんだなぁ」とぼんやりした頭で思った時、何故か子供の頃のクリスマスイブを思い出しました。
私の子供の頃は、高度成長期の真っ只中でした。
家庭内工業だった私の家は日々忙しく、父も母も
「今日は夜なべだ」
と言って、私たちが寝た後も仕事をしていることが多かったように思います。
当時のクリスマスイブは、酔ぱらったサラリーマンのお父さんが三角帽子を被って、プレゼントのケーキを持ち、千鳥足で街を歩いているというのが風物詩だったように思いますが、私の家はいつも両親が遅くまで仕事をしていたのがクリスマスイブでした。
年末で追い込みをかけるような感じだったんだろうと思います。
部屋の隣が工場になっていて、私たちが寝ている隣の部屋で両親は仕事をしていました。
当時はテレビもなく、どんな風に夜を過ごしていたのかあまり記憶はありませんが、お膳の上に置かれた小さなクリスマスツリーを弟と二人で飾り付けをして、二人だけでケーキを食べたのを記憶しています。
二人だけの兄弟だった私たちは、いつもそんな風に二人で遊びながら夜を過ごしていたように思います。
今思っても私たち兄弟は、仲が良かったと思います。
私は弟が可愛くて、どこへ行くのも連れて歩きました。
弟も「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と私を慕って後を着いてきました。
そんな仲の良い兄弟の関係が私が高校を卒業するくらいまで続きました。
私たちは学年からすると4年離れているので、私が高校卒業の頃は、弟は中学生でした。
そんな頃になるとお互いに自分の生活を重視するようになり、一時お互いに全く無関心だった時期も、険悪だった時期もありました。
私は、弟の高校受験も大学受験の事も記憶に残っていないくらい自分のことで精一杯で、弟に無関心でした。
両親に対しても同じようだったので、そのことで弟と喧嘩をして弟との関係が険悪になったりもしました。
その後、ある程度の年齢になるとまた以前の仲の良い兄弟に戻りました。
何がきっかけで、弟との関係が元に戻ったのかは忘れましたが、その頃は二人でよく出かけたものです。
年頃の私たちが兄弟で出かけるというのは、周りからみれば不思議だったようです。
私たちは音楽も同じようなものが好みだったので、コンサートにもずいぶん一緒に行きました。
弟の友達が一緒だったこともあります。
その他、ショッピングや海水浴、プールなどへも二人で行きました。
出先では、お店の人や出会った人たちから恋人同士と間違われたものでした。
考えてみれば、当然かもしれません。
年頃の男女が二人でいれば、知らない人はそう思うでしょう。
そんな関係は、私が結婚するまで続きました。
結婚してからも独身貴族だった弟は、私たちの貧乏家庭に金銭的な援助もしてくれました。
今ではお互い家庭を持ち、会うのは年に1~2度になり、普段は全く音信普通になってしまいました。
弟も社会的にはそれなりの地位にいて、もう私をお姉ちゃんと言って頼ることはなく、どちらかというと醒めた関係なのかなと思います。
兄弟は他人の始まりと言いますが、両親ともいなくなってしまった今、弟との関係も徐々に希薄になりつつあり、寂しい気もします。
でも、お互いの家庭の中には踏み込まず、つかず離れずの関係は、トラブルもなく良いのかもしれないとも思っています。
「だそうです」というほど、私の生活には、まるで関係ない行事です。
孫たちは今日は一日中、サンタクロースが持ってきてくれるプレゼントを楽しみにしながら過ごすんだろうな、そして夜は、どきどきしながら布団に入るんだろうなと思います。
私の子供の頃は、サンタクロースがプレゼントを運んで来てくれるという発想はなく、それは海外のお話の世界の事でサンタクロースは架空のものでした。
クリスマスプレゼントは両親が買ってくれるものと思っていました。
学校でもサンタクロースがプレゼントを持ってくるという話をしたことはなかったので、それは、私の家庭だけのことではなく、そういう時代だったんだろうと思います。
今朝目を覚まして、「今日はクリスマスイブなんだなぁ」とぼんやりした頭で思った時、何故か子供の頃のクリスマスイブを思い出しました。
私の子供の頃は、高度成長期の真っ只中でした。
家庭内工業だった私の家は日々忙しく、父も母も
「今日は夜なべだ」
と言って、私たちが寝た後も仕事をしていることが多かったように思います。
当時のクリスマスイブは、酔ぱらったサラリーマンのお父さんが三角帽子を被って、プレゼントのケーキを持ち、千鳥足で街を歩いているというのが風物詩だったように思いますが、私の家はいつも両親が遅くまで仕事をしていたのがクリスマスイブでした。
年末で追い込みをかけるような感じだったんだろうと思います。
部屋の隣が工場になっていて、私たちが寝ている隣の部屋で両親は仕事をしていました。
当時はテレビもなく、どんな風に夜を過ごしていたのかあまり記憶はありませんが、お膳の上に置かれた小さなクリスマスツリーを弟と二人で飾り付けをして、二人だけでケーキを食べたのを記憶しています。
二人だけの兄弟だった私たちは、いつもそんな風に二人で遊びながら夜を過ごしていたように思います。
今思っても私たち兄弟は、仲が良かったと思います。
私は弟が可愛くて、どこへ行くのも連れて歩きました。
弟も「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と私を慕って後を着いてきました。
そんな仲の良い兄弟の関係が私が高校を卒業するくらいまで続きました。
私たちは学年からすると4年離れているので、私が高校卒業の頃は、弟は中学生でした。
そんな頃になるとお互いに自分の生活を重視するようになり、一時お互いに全く無関心だった時期も、険悪だった時期もありました。
私は、弟の高校受験も大学受験の事も記憶に残っていないくらい自分のことで精一杯で、弟に無関心でした。
両親に対しても同じようだったので、そのことで弟と喧嘩をして弟との関係が険悪になったりもしました。
その後、ある程度の年齢になるとまた以前の仲の良い兄弟に戻りました。
何がきっかけで、弟との関係が元に戻ったのかは忘れましたが、その頃は二人でよく出かけたものです。
年頃の私たちが兄弟で出かけるというのは、周りからみれば不思議だったようです。
私たちは音楽も同じようなものが好みだったので、コンサートにもずいぶん一緒に行きました。
弟の友達が一緒だったこともあります。
その他、ショッピングや海水浴、プールなどへも二人で行きました。
出先では、お店の人や出会った人たちから恋人同士と間違われたものでした。
考えてみれば、当然かもしれません。
年頃の男女が二人でいれば、知らない人はそう思うでしょう。
そんな関係は、私が結婚するまで続きました。
結婚してからも独身貴族だった弟は、私たちの貧乏家庭に金銭的な援助もしてくれました。
今ではお互い家庭を持ち、会うのは年に1~2度になり、普段は全く音信普通になってしまいました。
弟も社会的にはそれなりの地位にいて、もう私をお姉ちゃんと言って頼ることはなく、どちらかというと醒めた関係なのかなと思います。
兄弟は他人の始まりと言いますが、両親ともいなくなってしまった今、弟との関係も徐々に希薄になりつつあり、寂しい気もします。
でも、お互いの家庭の中には踏み込まず、つかず離れずの関係は、トラブルもなく良いのかもしれないとも思っています。