はーちゃんの気晴らし日記

気ままに 楽しく 書きくけこっこ!

息子とDAIGO

2008年10月09日 | 我が家
何ヶ月か前、息子とテレビを見ていた所、DAIGOが出ていました。
まだ、DAIGOが今ほど頻繁に露出していなくて、ホンの出始めの頃のことです。
「あれ?こいつ、バンドやってない?」
と息子。
「うん。ロッカーらしいよ。」
と私。
「もしかして、『ジェイル』っていうバンドじゃない?」
と息子が言いましたが、私は詳しいことは知らず、
「わらかないけど、バンド名はそんな名前じゃなかったような気がする。
この人、竹下元総理の孫らしいよ。」
といいました。
「へぇ~、そんなメジャーな人の孫なんだ。それじゃあ、違うな。」
と息子は言い、
「あんたと同じ年らしいよ。」
と私が言うと、
「ふ~~~ん」
といやに「ふ~ん」を長めに言って、部屋を出ていきました。

そして、おとといの晩、やはり食事時にテレビを観ていたところ、ジェスチャーでDAIGOの手をクロスするしぐさをした芸人さんがいて、
「今は、あのポーズで、すぐにDAIGOだとわかるね。」
と私が言ったことがきっかけで、再びDAIGOの話になりました。
娘も一緒にいたので、今度は娘に
息子が
「DAIGOって『ジェイル』っていうバンドじゃないの?」
と聞きました。
娘も、あまりよくわからないようなことを言っていました。
前回息子と話をした後、ワイドショーの芸能コーナーでDAIGOが取り上げられ、どんな経路で今に至るかというようなことがある程度私の知識の中にありました。
そこで、私は、先日テレビで見た知識を披露しました。
「この間、テレビでやっていたけど、氷室京介に見出されて、氷室の曲を歌ったらしいよ。でも、そのときはたいして売れなかったらしい。」
と私が言うと息子は突拍子もない声を挙げ、
「やっぱり、そうか。やっぱり、あついだ!」
と言いました。
かつて、息子が歌っていたライブハウスで、一緒に出演したことがあるらしいのです。
「それなら、オレ、こいつ知ってる。一緒に出てたもん。
話もしたし、こいつらのデモテープも持ってる。
でも、元総理大臣の孫だなんて一言も言ってなかったなぁ。」
と言うので、
「うん。それは、ずっと封印していたらしいよ。でも、30歳になったのをきっかけに公表したんだって。
だから、自分でも『おじいちゃんパワー』とか言っているよ。」
と言うと
「そうか~。やっぱり、あいつだったんだ。
あそこのライブハウスで有名になったバンドは今までいないんだよ。
プロダクションに入れて、CD出しても1枚だけで終わったり、給料を一銭ももらえなかったりって、そんな話しか聞かない。」
「それじゃ、DAIGOは、一番の出世頭だ。やっぱ、おじいちゃんパワーだったね。」
と私が言うと、息子は嫌に神妙な顔をして
「そうか~、あいつか~、売れたんだ~。それは良かった。良かったよ。」
としみじみと、まるで、身内が売れたのを喜ぶかのように言っていました。

当時の息子です。

DAIGOも当時はビジュアル系のバンドで、髪を金髪にしていたというので、
たぶん、二人は似たような格好をして、ステージに立っていたのでしょう。


やっぱり、身内に有名人がいると違うよな。
我が家も身内に有名人がいれば、いや、私が有名人なら、はーちゃんパワーで息子もメジャーデビューできていたのかもしれない
音楽をやって、メジャーデビューを目指している人たちなんて、星の数ほどいるのですから、よほどのきっかけやチャンスかコネがなければデビューできない。
デビューできても鳴かず飛ばずの人は山ほどいるでしょう。
以前のDAIGOのように氷室に見出されてもたいして売れず、もしも、竹下の孫でなかったら、これほど、テレビでも取り上げられることはなかったと思うのです。

息子が小学生の時、徳永英明の『夢を信じて』という歌を学習発表会の最後で歌っていたのを時々思い出します。
ドラゴンクエストの主題歌で、当時、息子が大好きな曲でした。

♪夢を信じて 
生きて行けばいいさと
君は叫んだだろう
明日へ走れ
破れた翼を
夢に抱きしめて

当時の息子には無限の可能性がありました。
両手を後ろに組み、大きな口を開けて堂々と歌っていた息子の目はきらきらと輝いていました。
今でもそのときの光景が眼に浮かぶようです。
♪夢を信じて生きていけばいいさと・・・・
そうして、息子は夢を信じて生きてきたんだと思います。
そして、夢が叶わぬまま・・・いや叶えようと思いっきり努力もしないまま、息子は30歳になってしまいました。
あの時のきらきら輝いていた息子の眼は、今は腐った魚のようです。

そんな風に見えてしまう私なのです。






最新の画像もっと見る