はーちゃんの気晴らし日記

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ニュージーランド地震の悲報に

2011年03月07日 | 雑談
先月の22日に起きたニュージーランド地震から、もうじき2週間が経とうとしています。
行方不明になっていた日本人28人のうち、1人の身元が判明したというニュースが昨日ありました。
依然、27人がまだ不明です。
実は、その不明の27人の中に私の友人の娘さんが含まれています。
そのことは、先日まで知りませんでした。
たまたまテレビのニュースを見ていた同級生の一人が、インタビューを受けているS君を見て驚き、次々に連絡の輪が広がりました。
私に電話をくれた友人が
「俺が色々説明するより、ネットに出ているから、それを読んでもらったほうが早い。」
と言うので、すぐにネットのニュースを開きました。
ネットのニュースでは、S君夫妻の写真が大きく掲載されていました。

「たとえ遺体でも、連れて帰りたかった」とS君ははインタビューに答えていました。
S君は、ニュージーランド地震が発生したというニュースを聞いても、まさか自分の娘が巻き込まれたとは思っていなかったそうです。
でも、崩壊したビルにいたことを知り、すぐにニュージーランドへ経ちました。
一週間くらい現地にいたらしいのですが、先日の捜索打ち切りを受けて、S君は帰国しました。
その時のインタビューを同級生がたまたま見たようです。

「世界に通用する看護師になりたい」と娘さんがクライストチャーチに渡ったのは、地震から3カ月前の昨年11月だった。

 2月までに4科目の試験のうち2科目に合格した。
「半分受かったよ。先が見えてきたかな」
とメールが届いていた。
残りの試験は今月に予定されていた。
「最後の追い込みで倒壊したビルの中で勉強していたのだろう」
とSさんは娘の頑張りを思いやった。

 「無事でいてほしい」との思いで向かったが、多数の遺体が安置されている軍の施設前でフェンス越しに献花した。
「中にいるのではないか…。ただ涙、涙の現実だった」。
Sさんはしばし目を伏せ、天を仰いだ。

 安置所前では先住民族の長老が親身になって案内してくれた。
警察官が涙を流し
「あなたの子どもを助けることができなかった」
と謝ってくれた。
「娘がニュージーランドを勉強の地に選んだのが分かった気がした」
と人の優しさにもふれた。

 娘の写真の束を、うつむいたままの奥さんから受け取ったSさん。
その中から1枚を取り出し、胸の前にかざした。

 ニュージーランドで迎えた今年1月20日の誕生日、ろうそくをともしたケーキを手に娘さんが笑っている。
胸に輝くのは、奥さんが贈ったネックレス。
「娘の確認には、この写真が手がかりになる」と現地警察にも託した。

 「1週間か半年か、分かりません。次に行く時は、間違いなく…娘を日本に連れて帰りたい」。Sさんはまた声を詰まらせた。
<ネットのニュースより>

涙で曇って読めなくなりました。
今、読み返しても胸がつまります。
それまで、地震の犠牲者のニュースに心を痛めながらも、やはり頭の中では遠い話でした。
行きつけのお店の募金箱を目にして、わずかばかりのお金を入れるだけで、どこか他人事でした。
それが、こんな形で身近なものになってしまいました。
最近はニュージーランド地震のニュースを見ると、悲しみがこみ上げてきます。
S君に最後に会ったのは2年前の同級会の時です。
一般社会人を経て大学生になったS君は、同級生とはいえ、年もいくつか上で、お兄さん的な存在でした。
そして、彼は、私の同級生の中で一番の出世頭でした。
以前テレビに登場した彼を見つけて電話したことがありましたが、今回はこんな不幸な状況での登場で、さすがに電話することはできませんでした。
友人は言います。
「Sは、昨日までは知人たちからの問い合わせやマスコミの対応に追われて忙しかったみたいだけど、それもやっと一段落したらしい。一度電話してやってよ。」
と。
私は、
「ええっ?でも、何言ったらいいかわからないもん。」
と答えました。
「何でも、いいよ。とにかく電話してやってよ。今、アイツは淋しいんだよ。」
と言います。
う~ん、そうなんだろうな。
でも、上手い慰めの言葉も浮かばなくて、どうしたものかと思っています。

私の誕生日にみなさんから、たくさんコメントをいただき、ありがとうございます。
お返事もそのままになっていること、気になっています。
申し訳ありません。
そして、訪問も思うようにできずです。
これからもこんな日々が続くと思います。
申し訳ありません。



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