中山文部科学相は、教育現場で競争意識を高めてもらうために新しい全国学力テストを実施するという案を提出したそうだ。
複雑な思いだ。
確かに、最近の日本は、競争心が失われつつあるように思う。
昨今の運動会の徒競走は、順位を決めずにみんなで並んで走る学校もあると聞いた。それでは、競争心も生まれるはずはないし、進歩もないだろうと思う。第一、競わないスポーツなんて、意味がない。
だからといって、「学力で世界のトップを目指す」という中山文部科学相の言葉に、薄ら寒い感覚を覚える。
また、以前の詰め込み教育が復活し、あちこちに教育ママが出没する時代になるんだろうナ。もっとも、ゆとり教育とは名ばかりで、今でも一部では詰め込み教育が進んでいるのも事実だけれど、それが国の方針として教育現場全体に進められるとしたら、エリートは量産されるかもしれないけれど、心を持たない頭でっかちの勉強人間が増えるだけという感じがしてしまう。
日本人は、というより人間は極端に走る事が多い。
競争する事の弊害が現れると、みーんな同じと言って、順位をなくし、やはりそれでは力が低下するとなれば、しゃかりきになって競争し、1番をとらせるような教育に走る。
自分の学校の地位向上のために、「成績の良い生徒」が「良い生徒」という感覚を植えつけるようなおかしな教師も増えてくるのではないかと不安になってくる。
これからの日本の教育―――なんて、大きな事はわからないけれど、社会全体がおかしな方向に向かわなければいいけれど・・・
複雑な思いだ。
確かに、最近の日本は、競争心が失われつつあるように思う。
昨今の運動会の徒競走は、順位を決めずにみんなで並んで走る学校もあると聞いた。それでは、競争心も生まれるはずはないし、進歩もないだろうと思う。第一、競わないスポーツなんて、意味がない。
だからといって、「学力で世界のトップを目指す」という中山文部科学相の言葉に、薄ら寒い感覚を覚える。
また、以前の詰め込み教育が復活し、あちこちに教育ママが出没する時代になるんだろうナ。もっとも、ゆとり教育とは名ばかりで、今でも一部では詰め込み教育が進んでいるのも事実だけれど、それが国の方針として教育現場全体に進められるとしたら、エリートは量産されるかもしれないけれど、心を持たない頭でっかちの勉強人間が増えるだけという感じがしてしまう。
日本人は、というより人間は極端に走る事が多い。
競争する事の弊害が現れると、みーんな同じと言って、順位をなくし、やはりそれでは力が低下するとなれば、しゃかりきになって競争し、1番をとらせるような教育に走る。
自分の学校の地位向上のために、「成績の良い生徒」が「良い生徒」という感覚を植えつけるようなおかしな教師も増えてくるのではないかと不安になってくる。
これからの日本の教育―――なんて、大きな事はわからないけれど、社会全体がおかしな方向に向かわなければいいけれど・・・