はーちゃんの気晴らし日記

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お印の「高野槙」

2006年09月13日 | わたくしごと
昨日、新宮様の誕生にあたり、命名の儀が行われ、お名前は「悠仁(ひさひと)」、そして、調度品や身の回りの持ち物を他の皇族方と区別するために使う「お印」は「高野槙」に決まったということでした。

ん?高野槙・・・
あれだ!あれだ!
高野槙というのは、高野山で見たあれのことだ!

高野槙
(ネットで拝借しました)


私の友達は、23歳の若さで亡くなりました。
同じサークルの人でした。
短大の人たちが2年間で卒業してしまってから、私と彼女はいつも一緒でした。
私は、幅広く人と付き合うことはなかったので、唯一友達といえるのは彼女だけでした。
彼女の実家は兵庫県なので、東京では、一人暮らし。
よく、彼女のアパートへ泊まっては、朝まで話をしました。
二人で旅行もしました。
会津・伊豆・八丈島・京都・奈良・大阪等等。
そうそう、大阪万博へも行きました。古い話です。

彼女は卒業後、念願の出版社に勤務し、半年も勤めないうちに体調を崩し、そのまま亡くなってしまいました。
癌でした。
若かったので、あっという間に転移してしまったようです。
彼女は現在、和歌山県にある高野山に眠っています。
葬儀の後、彼女の実家には、何度かお参りに行ったのですが、高野山まで行くとなると、なかなか機会がありませんでした。
その後、私も結婚し、子供もでき、ますます関西まで出向くチャンスはなくなりました。

彼女の死後、20年くらい経ったころ、京都方面に家族旅行をすることになり、そのときに吉野に一泊して高野山へ向かい、やっと彼女のお墓参りをすることができました。

宗派にもよるのでしょうが、私たちのお墓参りの時のお供えの花は、一般的に菊などの花束ですが、高野山でのお供えはこの高野槙でした。
どのお墓もこれが供えてありました。
松みたいな杉みたいな、色がなくて、寂しそうなお供えだなと思いました。
でも、そちら方面の風習なのだろうと思い、お墓で高野槙を購入しました。

墓石に刻んであった名前から、彼女のお父さんも少し前に亡くなっていたことを知りました。
お墓の前に立った瞬間、私は、突然胸が痛くなり、号泣していました。
自分でも、思いがけないことでした。
20年以上も経ってからのお墓参りは、淡々と済むはずだったのに、自分の感情に驚きました。

その後、彼女のお母さんもお墓を訪れたそうですが、夏の暑いときにもかかわらず、私が供えた高野槙はまだ青々としていたと言っていました。
そのときに、「高野槙」という名前を教えていただいたのです。

新宮様のお印の高野槙は、私にとってもそんな思い出の深いものなのです。

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