救国のデモに参加した
私は一参加者であった
シュプレヒコールがある
2人の女性がマイクで叫ぶ
I 姉妹の声がすごい
強いのである
キムジョンウン の独裁を 許すなの声
ちょっと 表現がよくないが どすがきいている
しかも 美しく 高らかであった
終って みんな I さんの声 良かったという
大きな 拍手
私も 感動した
小さい 群れであったが
大阪中に 響いていた
彼女が 大阪を主管した
瞬間 だった
救国のデモに参加した
私は一参加者であった
シュプレヒコールがある
2人の女性がマイクで叫ぶ
I 姉妹の声がすごい
強いのである
キムジョンウン の独裁を 許すなの声
ちょっと 表現がよくないが どすがきいている
しかも 美しく 高らかであった
終って みんな I さんの声 良かったという
大きな 拍手
私も 感動した
小さい 群れであったが
大阪中に 響いていた
彼女が 大阪を主管した
瞬間 だった
朝鮮学校とは どういうものか
その一端を 初めて知った
この学校の 近所で仕事を したとき
全ての 生徒が 挨拶をしていくので
感心した覚えが ある
礼儀正しい 子供たちであった
その程度であった
昨日 Pさんに お会いしてその実情を聴いて
はじめて 朝鮮学校というものが分かった
Pさんは 祖父母の代から 在日である
Pさんは いわば学級委員長の立場であった
クラスの子が 反革命のことを言ったり したりすると
批判するのが 役目である
例えば 金日成の写真を指差しては いけない
両手を 差し上げて 丁寧に扱わないと
いけない それを指導する
祖母は韓国が 光復して一旦 韓国にかえるが 食べて行けず
密航船の船底に乗って 海を往復して 日本に帰ってきて
祖父と結婚した
祖父は財をなし 豊かな家庭で 2世 3世はそだった
親戚が北にいるため 朝鮮総連に いた
人質になっていて北から 離れることが できなかった
Pさんの 母の弟が 悪名高い帰国事業で
北に 帰っていた
朝鮮学校の 修学旅行は 北 母国に行くのである
日本で育った Pさんは 北をおとずれて カルチャーショックに
襲われる
地下鉄に乗れば くさくて鼻をつまむ それを先生に怒られる
トイレに行けば 便器に 大便が 山盛りでたまっている
キャーと声をあげて 出てくると また怒られる
少女に祖国は とんでもないところだった
叔父の家に行くことができたが ハモニカ長屋で
貧しかった 写真を フイルム三本に取ったが
二本募集された 叔父の近所の人の通報であった
一つは 隠し持って帰ったのである
長じて母の弟に会うために 二度目の
訪朝を果たした
母と2人で行った
一周間居たが 最後の日に 母の弟の家族に
会えた 叔父はいなかった 連行されていた
母が多くのお金をつかって 会えたのであるが
肝心の叔父がいない 当初政府の仕事で
出かけていると 聞かされた
本当のことが分かったのは
寝床で いとこに聞かされた時である
いとこは 日本のことを聞きたがった
夢のような 生活であるのである
うらやましがられた
お姉さん の肌きれいと言われた
夜どうし 話をした
分かれ際 万景峰号から 取った写真に
家族がうつっていた
本当に うらやましそうだった
だまされて 北に帰った
結果であった