国進様が 言われた
アメリカが 血を流して
興南のお父様を解放していなければ
私はいない
それは 我々も 同じである
アメリカが 御父様を
解放していなければ
我々は いないのである
アメリカの多くの青年の血が
流された
若い婦人と 小さい子供を残して
彼らは 行ったのである
そして 再臨主を世界に迎えたのである
第一次大戦 も 南北戦争も
実際の 多くの青年の血の上に
お父様が 来られた
国進様が 言われた
アメリカが 血を流して
興南のお父様を解放していなければ
私はいない
それは 我々も 同じである
アメリカが 御父様を
解放していなければ
我々は いないのである
アメリカの多くの青年の血が
流された
若い婦人と 小さい子供を残して
彼らは 行ったのである
そして 再臨主を世界に迎えたのである
第一次大戦 も 南北戦争も
実際の 多くの青年の血の上に
お父様が 来られた
今回 会長と会食させていただいた
その時の お話し
摂理は 真のお母さまが 立ってから
目まぐるしい
何か 誰かがパズルを組み上げているようだ
一つ 一つ 偶然のように
事態が 進んで行く
井田講師がこられ
古川さんが 来られた
古川さんは イエス様の物語を持ってこられた
知りもしない サンクチュアリという教会を探し
誰か知らない 江利川に渡せと言われ
どうしようかと 連絡すると
偶然にも会長が東北に来るという
そして お会いし物語を渡された
その 内容は 会長が 御父様から
直接 聞いた イエス様のことが そのまま
書いてあった
この本の真偽を 判断できる人は会長より
他 居なかったのである
それから 8回の聖霊の役事があった
おもえば この4年を
だれが 想像しえただろう
王冠の摂理
真のお母さまの摂理
銃の摂理
聖霊の役事
早いのである
ついて行くのが精いっぱい
クリスチャンはローマを征服するのに400年
ムーニーが40年
サンクチュアリは4年 である
摂理は光速の速さである
友人が
誰しも いるだろう
私は 若いころ 親友のような人がいた
ところが 彼といて 時々 ふと
さみしくなるのである
この人でも 私の心が満たされない
彼の家に遊びに行き 帰り私の家の前まで
話し込んで 行き
私の家から 彼の家までまた 話し込んでいき
何度も 往復したのを思い出す
それくらいの 彼でも 心がふとさみしくなる
教会にきて これが真理だと思った
しかし このさみしい思いは長い間消えなかった
献金の摂理に なると 更に
シックであっても 警戒するようになった
私は 一体何をしているのか
心情のアベルとか言って 良いお姉さん
が 心をいやしてくださった
それで 少し成長もした
しかし 本当には解決しなかった
それでも 御父様を思うと 心が落ち着いた
この方は 違う
本当に 解放されたのは 尼崎教会に
金富鎮教会長を 迎えてからである
深い 何もかも深い
40代の彼に 参ってしまった
彼の礼拝を ビデオ撮りしてあったが
それをずっと見て 感動していた
そんな時 次々霊的な 現象が起こりだした
血だらけのお父様が 礼拝の最中に
来られた 2014年であった
山に行くと
山から 尼崎の方面に 火の柱を見たのも
このころである
そして 王様をしり サンクチュアリに来た
王様のことは 私は教会長から聞いて知った
私は わき見をすることが嫌いな性格である
しかし 教会長が言われることは聞く
教会長と 教会改革については
数百時間 の 会話があった
ほかの方から 王様のことを聞いても
関心は持たなかっただろう
そして 沈黙を破っての 王様をみて
私は 王様に感動した
この人に 永遠について行きたい
そう思った そして サンクチュアリにきた
2016年2月13日 の 期限が定められ
性急に 金教会長に お話をせざるを得なかった
そして 一方的に電話を切られた
そして 金教会長と 決別した
本来なら 彼が関西の教会長になるべきであった
彼は強制的な連合の献金に 大変批判的であった
そのため 後に焼死された 小野教区長に
のけ者に された
私は 金教会長が その迫害の苦しさに
椅子から 転げ落ちた お話を聞いた
それで 小野さんの事件を知って
良い人を あんなにいじめるからだと思った
金教会長には
今でも サンクチュアリの教会で礼拝を
していただけないかと 夢想している
連合の教会長が サンクチュアリ教会で説教することに
シックが 承知しないだろう
しかしそれほど 尊敬している いまもなお
2人で サンクチュアリにきていたら
どんなに発展 していただろうと思う
当時 金教会長に お話しした
金教会長 私はすぐにでも連合をでれます
教会長はどうですかと聞いた
私は子供も小さい 前後左右を
考えなければ と言われた
気持ちは 連合をでたい しかし生活が
と 私には聞こえた
残念を通り越して 悔しい
しかし彼は 今でも 私のお手本である
そうこう しているうちに
内的に 神様と出会うことになる
詳しくは言えないが
悔い改めの中
神様に出会った
喜びに包まれ 私は前進していった
心筋梗塞で倒れ 生き返って
また 走っている
そして 全国の聖霊の役事の中
もっと深い 人間関係を知るようになる
地震と 大雨と 台風の直撃をもろに
受けながら 幼い女の子が塀の下敷きになる中
私は 行くところどこでも 訳の分からない
迫害を受けながら
新しい 人間関係を知るようになる
これは いずれ皆様に伝えていきたい
と 思っている
いずれにしても すべて お父様の
御手の中であることは 間違いない
そして 今なお私は 生きて 戦っている