国つくりに 手抜きをしたり 邪道を持ち手足りしてはいけない。

2015-10-22 08:06:14 | 日記

道理にそって 国家の 経綸を 行っていくことが 何より

一番の 安全保障なのだ。という自信を持つことこそ日本

出なければ できない ことではないか。

 

ひとつの 寓話であるが 上泉伊勢守という 剣聖がいた。道場からの帰り道に でかい牛がつないでいた。

伊勢守は その牛の後ろを遠回りして 帰った。それを見ていた同僚は 何打あいつ 牛がそんなに怖いのか

と大笑いした。という話にはみんな乗らない。

みんなが乗るのは 京の五条の端の上をひらり ひらりと 飛びはねて 持った扇を投げつけて

鬼の弁慶を謝らせた牛若の話にはよく乗るのだが 道理を含んでいるのは伊勢守理法である。

 

よく言われる「身に寸鉄をおびず。」武芸の本質はここにある。

葉隠れに「武士道とは死ぬことと見つけたり。」という言葉が出てくる。

「死線をこえた人間には そこでつかんだ 絶対の哲学を持つに

いたる。」幾たびが 辛酸をえて 志初めて難し。」と西郷は説いている。

沖永良部に流罪になった 西郷は 屋外に組まれた牢の中で暮らす。雨さらし日さらし文字道理の

囚人の生活であったという。このままでは死ぬというので代官土持氏の母親が 何とか先生を

救ってくれということ それからは 普通の生活に入る。

是が維新の魂である。現在維新の当というのがあるが当時の維新とは無関係らしい。志が

まるっきり違っている。汚物を見るようだ。

その西郷が目指す国家の統治について、天道に元ずく政治を標榜している。即、道義の政治である。いかに文明開化といえども

人間社会に悪なものは、簡単に導入してはならない。

人は古臭いというだろうが、原発は西郷だったら その様なものを

持ち込んではならないと 真っ向に否定していたであろう。

絶対というものは 神は人に与えていないということを科学者は

知るべきである。


ロボット お前だれた。

2015-10-21 19:15:55 | 日記

大変 便利になったものだ。何から何までロボットの時代である。

戦前 イギリスの喜劇王、チャップリンの映画をみた。

入院生活で ロボットの介抱を受けるのだが ナプキン付けから

食事すべてロボットがこなす。

たったそれだけのことなんだが 大笑いしたことがあった。

しかし、現在では そんなことなんでも ないことである。

それは生活実感がまるで違ってくるのであるから。

日本だって昭和30年代初期まではロボットらしいものはなかった。

当時うまれた子供たちは 今では50台から60台の子達だ。

母親は 朝の3時ごろから仕事輪始めなければならない。

背中に子供を背負って、かまどの火をつける。

とにかくすべてが手動である。

それから半世紀 世間はロボット時代に入ってきた。

自動車なんかが、指導的に運転できる時代である。

なんと表現していいか わからない。

ただひとつ 是が戦争の武器に使われるようになったことは

なんとも切ない。

戦争や野手にかかったら どこまで行くかわからない。

ロボットも ほとほとにしないと、末は手も足もない人間のお化けにならないのだろうか。


日本人、ああ日本人。

2015-10-21 18:24:32 | 日記

 

がんばれ 日本のチベット人。日本人は 口を開けば中国のチベット政策を非難罵倒するが、程度の違いはあれ

この都市化政策の中では 日本の僻地に対する 取り扱いは 中国の チベットと比較はできないものの 根本では

きついものもときに 見られることもある。

今頃になって アベノミクスが 立ち往生したと見るや 視点を地方に向けた。いまさら「地方創生」といったって

平均年齢 76才の300名足らずの地方はプロクラムの中には入っていないだろう。

実際のところ 地方創生といったって 人,物、金がないのだから 創生も何も会ったものではない。

戦時中のひところ それでも 僻地にかっはがあったのは 原始的な生活が 営まれていたからである。

物々交換であり、共同主義であり家つくりだって、生まれてから死ぬまで 一切が みんなの共同でなされてきた。

道路予算も、護岸工事も国などに頼らず 民でこなしてきた。

学校で できのよい子供がいると どんな貧乏人の子供でも 村が面倒見て 学費を支出した。

地方創生を可能にするのは 予算を地方に 主導権を持たせることである。

さらには 財界の身勝手に箍をはめることである。

即 『企業の東京追い出し』出る。いまどき 本社を東京に置かねばならない 何のメリットもない。

あるのは 時ブラのステータス維持のためではないのか。

一番いいのは「首都移転」だろう。東京基準の右えならえ政策である。

地方分権に希望を託したこともあった。しかし、日本ではだめですね。

だって、そうなれば地方の首長を務めるのは 政党ひも付きの 霞ヶ関出身者だからね。

いったん身についた 官僚魂は なかなか 落ちるものではない。

戦後一時 公僕という言葉があった。今では死語になっているが。警察も一次民主警察といわれた。

特に公務員の 敷居が高くなったのは 小泉、阿部内閣あたりから 私兵集団に煮て来た。

政府にはむかうものは しょっ引けというのであろうか。

今でも 時に話題になる 陸山会事件、完全な国策じけんであった。哀れをととめたのは秘書たちである。

会計理論も通用しない政治資金報告書。いみじくもお父さんが自民党の総理大臣だったから

「買収事件も」不起訴となった。笑える判決というのを垣間見るにつけ 日本は美しい国ではあるが

上等ではない 者もはびこる国である。悲劇の沖縄の人たちを思うとき 無性に腹が立ってくる。

海外の新聞の中には「 日本でもっとも勇敢な政治家といわれた 」翁長知事河川場ってほしい。

いまだに不敬罪というが存在する国でもある。わたしは入浴のたびに『防人の歌』を口にする。

天皇制に強い誇りを持っている。しかし、それは神格化された天皇制ではない。

政治家が災害地を訪問するのは選挙目的も多い。穂以下の訪問には まことに頭が下がる。

 

 


まことの 民主主義の定着を

2015-10-21 12:45:54 | 日記

戦争というものは 何がしかの 障害を 人々に植えつけている

人の「価値観」が 徐々に 移り変わっていくのはわかるのだ

しかし、それが一瞬に 変わるということは 大変なことである。

 

「どうせ一度は 死ぬ身じゃないか・・・・」やすっぱい 焼酎に 現を抜かして 途方も

ない想いを 叫んでいた。

最近、むふとそんな気になる。

「一度 人を殺してみたい」瞬間にわたしは凍りついた。 なぜ 恵まれた家庭に育ち

何不自由もなかったろうに・・・なぜそんなと絶句する。

 

その意味するところは何か。民主主義がが正しく機能しているときは ということは 

民主主義の求めている 現象が いきずいているときは

是に勝るものはない。

公正・自由・平等・博愛・などが有効に機能しているときはといいかえてもいい。

 

それを 担保しているのが 法治主義社会である。日本で現在起こっている現象は 

法治主義の退廃である。罪に対する司法の判断がゆが

められる。となると民主主義のどこかに罅が入っている。

 

議会で総理が憲法違反をする。すると司法で判決がゆがんでくる。

その様な事例に事欠くことはない最近の情勢である。

学問に対する 政治の反発も著しい。われわれが 現在困っている問題は国の

「知性」の回復で 大方は正常に戻るだろう。それは

ものすごい重圧を請けるゆえに それに耐える

信念が必要だし、その信念を作り出すのが

日本のインテリゼンスではないか。

 


知性・品格・寛容・勇気・礼儀・徳それが日本の求めるもの

2015-10-19 10:35:11 | 日記

「一億総活躍」 誰の入れ知恵か わからないが

 

なんと 陳腐な 呼びかけではないか。

 

われわれの 世代は こういう言葉を聴くと

 

虫唾が走る。

 

「一億 総決起」 「一億火の玉」「一億玉砕」

 

もう日本は一億の時代は過ぎた。

 

2050年ごろは 8000万人の時代だろう。

 

ちょうど適度な人口だ。

 

過密 ごった煮の 町並みも整然となり

 

静かに 平和に 暮らせるときがくるというのに

 

何を一億なければ どうだつて言うの。

 

民主党の誰かが言っていたね。一番出なければいけないの。

 

二番ではいけないの。

 

そのとき たいていの日本人は冷笑したね。

 

わたしは そんなときの生活を経験しているから

 

今その言葉が懐かしい