武装主義の果ては 最終兵器の開発か。星は泣いている。

2018-01-31 20:35:46 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

このプログのテーマ 日本は大国主義を振りかざしてはいけない。

「国威発揚」などとちっぽけたことに うつつを抜かしていては いけない。

という意味を込めて 書きおこしをしてみた。

今日の地方新聞にAI時代に向けての 恐るべき最終兵器を巡る大国の秘めたる軍拡競争

競争である。私たちの周りでも 平和憲法を 巡る論争がかまびしく響きわたっている。

直接的には 戦争ができる国になるのか、平和憲法を守るのかということだろうが

要するに 仮想敵国が攻撃してきたらという前提を掲げて議論する。そういう意見は もっともら

く聞こえる。新憲法発布当時 占領軍が押し付けたマッカーサー憲法というものはまれであって

90%以上あったものが最近では 五分五分右傾化の時代ともいわれている。

しかし、私はこのプログを立ち上げたときから こういう考え方は とどめをしらない。

アメリカが「平和のために」と原爆を投じたように 人類はほっとけば最終兵器を求めて

AI時代に跳ね上がっていくのではないか。

80年ほど前私にも 純真な子供の時代があった。数少ない子供専用の読み物漫画の中に

浸っていたころ よく「殺人光線」の夢をみた。ようやく私の夢が実現に向かっている。

怖い世界になるのだろうなと思う。地球が壊されていく。いま90を迎えて そんな夢に悩まされ

ていく。自分の心配ではない。私個人は 残り時間がないのだから。

でも、孫たちの時代どうなるのだろうか。

日本の若者たちの中に 新しい哲学を見いたしてくれるものがいたら 素晴らしい。

そんなものに価値を求める日本にむかってほしいのである。

われわれの星を守っていくことが 日本の求めていく 事なんだと思う。

この年の酷寒は 「星の怒り」ではないかとおもう

 


刑事訴訟法の改正って

2018-01-30 09:11:08 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

報道によれば 6月に入ったら 刑事訴訟法にメリカ並みの

「司法取引制度が導入されるという。」

さて、現在の日本に そのまま導入されたら どういうことになろうかと

大いに気になるところである。

森友・加計・リニヤ・暴行強姦 これすべて司法取引であっと言う間に 消えてなくなりそうだ。

「電話盗聴」問題も 検察也警察が、官邸の威光で政敵の☎盗聴を持ち出したとき

司法は如何する。現状の司法と行政の密接なお付き合いならば 可能なことになる。

全く戦前の治安維持法である。

田中角栄もアメリカの裁判にやられた。陸山会もアメリカCIAのうごきがうかがわれたという人も

いる。田中角栄氏はその中で 政治の中に輝く総裁であったであろうに 文春 記事に葬られた。

まさに悲惨な最期であった。最近 田中氏が見直されているのは 嬉しいことだが 遅いよ。感

が鈍いよ。そのようなリスクもあるということを国民は知るべきだろう。

 


ままならぬ一強政治に喝

2018-01-30 08:15:02 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

ばかばかしい国会 と言ってはいけない。

与党質問から 野党質問に 変わって 議場が緊張感に包まれた。

「頭のいい 官僚諸君が・・・」と立憲の長妻氏が問いかけた。答弁を聞いて いささかむかついたように

長妻氏は 「私の 質問に答えていません。」と再答弁を促す。官僚は再度答弁席へ

全く同じ結果を繰り返す。答弁する官僚にも質問の趣旨は明快にわかっている。これが忖度政治の

哀れな姿である。虚偽答弁を繰り返す。逃げる。開きにおる

こんなことの繰り返しである。そこには 日本国憲法に規定されている 三権分立のキホンが崩れっている。

何故 立法府の長は こうした不活発な議事進行を 黙認しているのか。

「総理は 野党を攻撃する前に 野党の質問に誠実に答弁しなさい。】ぐらいの警告をはだすべきである。

 

政治を混乱させている要因が 与党のおごりと 日銀の異次元金融と同様に 異次元の議会を国民は見ているのである。

岩盤規制という言葉も怪しい。教育勅語教育もおかしい。「戦後60年の見直しと明治維新150年記念の明治維新回帰も変だ。

人は総理の「思考停止」だというが それだけではない。総理のバックを思えばなるほどとなる。

控えるのは お友達が要所要所に配置されている。

財政諮問会議 とか日本会議 悪の巣窟と言わざるを得ない。

さらに日本記者クラブもそうだ。内閣府による人事への干渉、これも怪しい。

働き方の問題も 中身がわかるにつれて おかしいものに変化していく。

昨日の国会を視聴しながら 深い絶望感を覚えた。

100の生産性を揚げるのに60のコストをかけている。…日本

100の生産性を揚げるのに20のコストで済ませている。…西ドイツ

国会自身が働き方を改善すべきである。日本の官僚が優秀であったころ、幸いだったのは

白知的な政治のコントロールを受けなかったこと。だろう。忖度しなくてもよかった時代だからだろう。

政治改革は 政治にはできない相談である。


野中さん ご苦労様でした。

2018-01-27 11:31:17 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

     また一人、野中さんの訃報に接して 寂しくなったぞ。

「ある人が言っていた。戦争をしらない人たちの世代に 変わることの、期待と反面

しらぬゆえの暴走が怖い。」と。

野中さんの時代は 第一次大戦のバブルが終焉を迎えたころ、青春を迎えたころの方と見受ける。

世界大恐慌である。すさまじいものであったそうだ。銀行取り立て騒動があったり

農家の一揆があったり、労働者の争議に世情混とんとした中で いよいよ対象から昭和の

激動期に入っ行った。

現在のように テレビがあったわけではない。ラジオと言っても 特別なものである。唯一

情報の仕入れは新聞に頼るしかなかった。当時の新聞はそれでも 忠実に仕事していたから

その後のことについても 知ることができた。

然しそれもつかの間だった。現在のように 政府が新聞の統制に入る時代に入っていく。

2・26  5・15事件は刺激的だった。

野中さんの時代のひとたちが 一番ひどい戦争の犠牲者の時代である。若い人たちが学徒出陣

特攻隊などで命を捨てていった。だから いきているものは 贖罪的な気持ちで戦争を語ることを避けてきた。

野中さんの平和主義は 戦争をせおってきたものの義務と感じていたのだろう。

最近、戦争を扇動するような 意見が巷間伝えられる。ミサイル攻撃対策訓練なんかが行われた。

全く児戯に等しい。しないより かねてしておいた方がいい。ということだろうと思うが

竹やりと同じでなんの役にも立たない。其れより政府が行わねばならないことが

多いのだが。政治にも緊張感がない様だ。


世界は自分をコントロールできるのか。

2018-01-26 12:46:29 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

なんと 私たちが 現在 住んでいる 社会は随分と 悪逆不道 魑魅魍魎の

棲み処ではないのか。悲憤やるせない気になることがある。

法がゆがめられている。法治社会が崩れている。悪がはびこる社会になっているのではないか。

一体 お前は何を求めて この社会に生きているのだ。

道徳心の薄すれていく社会は 亡国の社会ではないかと ある人は言う。

道徳とは何を指すのか。何をもって道徳という基準を定めていくんだよ。

政治は 何を於いても 普遍性がなければ 政治が行われているとは いえないだろう。

経済では 汗流してよく働き 創造的で 生産性を高める生き方 が社会の役に立つ人間である。

だから 努力するものと努力しないものを 同じ基準では測れないのであろう。

でも政治は違う、と彼は言う。「万物に光を当てる 」これが政治の理想の姿である。

経済の針路をふさぐものがあるなら これを排除するに神の見えざる手というアダム・スミスの

世界であろう。

東洋では天意というのであろうか。こういうものが 普遍性とみられる。節度ある社会というには

いささか抵抗がある。なぜなら節度は日々動いているからだ。せめて一世紀ぐらいの時間があって 

人間にじっくり考えることができたらいいのだが、もうここに来たらそんなことを待っている暇もない。

日銀の金融政策が 根の限りを尽くして 貨幣の発行に向かって突き進んでいる。

異次元の世界が何処まで許容されるのであろう。

世界中の原発ゴミは地球の核まで穴掘って埋め込むのだろうか。