有識者会議??????政府の雇われマダム

2014-06-25 21:55:15 | 日記

                                              

 

 

軍関連にもODAを 有識者懇提言、民生支援限定を転換

朝日新聞デジタル 6月26日(木)22時5分配信

 政府の途上国援助(ODA)の見直しについて、外務省が設けた有識者懇談会(座長=薬師寺泰蔵・慶大名誉教授)が26日、報告書を出した。災害救助などの軍事でない分野であれば、これまで禁じてきた外国軍への支援を認める内容だ。安倍内閣は報告書を踏まえ、年内に新しい大綱を閣議決定するが、実現すれば、途上国への民生支援に限って60年近く続けてきた日本のODA政策の大きな転換になる。


 政府は、軍隊に関係する支援をODAで行うことを一切禁じてきた。2003年に改定された今のODA大綱には「軍事的用途及び国際紛争助長への使用を回避する」と書かれており、この規定に基づいている。今回の報告書は、この規定の維持は「当然」とした。

 ただ、現状はODAを通じて支援国の軍隊に武器ではない物資を送ったり、軍人に救援など軍事と関係のない技術指導をしたりすることも禁止されている。

朝日新聞社

まったく、ふざけた話である。戦争最中の国にODAを配ろうといううのか。゜民生に使ってくれよ」といえば相手は「感謝する

そのように使わせてもらう。」とこたえることは解りきったことだ。

まったく ふざけた話で゛ある。ODAが時の内閣によつて 恣意的に使われるということは許されるものではない。
安部内閣は トチ狂っているのではないか。

ここでもまた 有識者会議だ。政府や霞ヶ浦が自分たちのトリテリーの中から 選んだ有識者だから 日本が
どこに 行くか 彼らに決めさせていいのか。こうしてヒットラーも出てきたのだろうな。

大体、有識者なんて政府の紐つきだ。みんな黙っている。こうしてヒットラーも生まれて行ったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今朝の死新聞を見ると『政府決定のポイント」なるものが一面に 掲載されていた。内容どういう意図か不明であるが

安倍内閣の権威高揚に有るような気がして成らない。

ヒットラーは偶然に現れたわけではない。やはり民主的なワイマール憲法の中から突然変異を起こして ナチズが生まれてきた。

居間安倍内閣がデフレ解消を宣言して当時要した。先ず手法として常識人がやらないことも無いともんたんに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


やっかいもの

2014-06-25 06:03:24 | 日記

実態は「政治と宗教」にカラムだけれども まあ日本人は寛容だから

ま いいかと許している。

創価学会 統一教会 あれが宗教法人だそうな。

厄介なことに 政権の中枢に居座っている。

鵺的な存在である。

大げさでもないが 彼らの存在が 日本の政治をゆがめているのだから。

彼らは 池田大作の指揮の元で政治活動していることは 明らかである。

でなかったら なぜ国会で池田大作の喚問に異常に反応し妨害するものか。

今回の安倍内閣への入閣は 一段と公明党の鵺振りを発揮している。もう平和を口にすることできない。

だいたい 宗教が政治を行なえば どういう結果がまっているのか。創価という宗教活動を

国が代わってやっているということになる。

最近 創価の国家機関への進出がひどい。芸能界は大部分が創価だと思えばいい。驚くべきは司法関係にも創価の進出で法が捻じ曲げられるのではないかとの恐れもある。

個人の信条とか 宗教の自由まで憲法で保障している。

しかし 憲法では 宗教の政治への参入を禁止している。

そこらあたりが呆けているのである。

あいまいなのだ。其のあいまいさが 安全を脅かすことになる。


あーぼんはなー

2014-06-25 04:44:12 | 日記

女衆が一斉に、色とりどりの 浴衣姿に着替えて 使用学校に あっ待ってくるる。

やぐらの 上では 村の二世衆ががねしりはちまきで太鼓の鉢合わせをしている。

今日は 何もかも 忘れて おぼんに酔うのである。

「ぼんは うれしいや 別れた人も あらせーよーほーほー

   晴れて 美空に 愛に来る。荒らせーヨーホーホー。

川の岸辺には 蛍が んぴきも飛び交い

すだく むしのねもまた 趣 深し。

そんなときに 人間 ホット一息つく。

「゜有難うね。」逝きし人をしのぶ。

わたしは 思うのである。

このママの日本こそ 『世界遺産』として残すべきものではないか。

基地も要らないよ。

集団安全保障なしよ。

戦争なしだよ。

額に尊い 汗流しながら つかの間の 人生を

大事にしようよ。


実践教育

2014-06-24 20:46:44 | 日記

わたしは 40年 私立の高等学校に勤務させてもらった。生徒や先輩。上司に恵まれ

とても有意義な生活を 毎日 送らせてもらった。中途就職だ。一般の会社からはいって

みると 学校というところは 全く異色なところである。大學卒業して学校に入職した時点で

先生と言われるのだから お茶くみから鍛えられた 私には まごつくことが多かった。

もっとも,教頭も証券会社からの転身組であるか、校長も小学校の教員から 廣島 京都

大學を得て 旧制専門学校理学部の教授であるから ちょっと学校の雰囲気は違う。

最初 驚いたのは 朝礼のとき 国旗掲揚が行なわれることだ。当時は占領軍の施政か

にあって よく 黙って許しておいたものだということと やかましい日教組の先生たちも

文句一つ言わなかったのか。将に校長の経歴と人徳によるものだろう。

空襲で 徹底的に破壊された 街の復興は大変だった。当時は私立学校は国から

補助金を受けることを 嫌い避けていた。教育について 国家の干渉を避けるためである。

本来教育は聡有るべきものと思う。それぞれに建学の趣旨というものがあって 其の柱の元で

生徒指導が行われた。しかし、戦後 国は私立学校に対して 採用幅を拡張してくれるように

依頼してきた。これが私学助成の始まりである。

方々に散らばっていた 生徒たちも学校に帰ってきた。特にベビーブームの生徒たちが入学

してくるときなどは 一学級80人もの詰め込み教育だ。生徒総数も4000名を越した。

 

 

 

 

昭和30年初めて修学旅行で生徒を引率した。初めて東京のすさまじい廃墟振りを見て驚いた。

上野の小山から銀座まで見通せるというのにも驚いた。

当時、男子生徒を担任していたが まったくの無地帯のようなものだった。荒れ果てた学校

を立て直すのは大変だ。軍隊から帰って間もないから 気合は入っている。当時は

陸士・海兵出身者が多かった。生徒たちより猛者出なければいけない。

しかし、悪でも向き合って話せば解ってくれた。

『先生 ここいくら磨いても 光らんよ。』

「なぜだ。」『材料が杉板だもの。』

『そういう風に決め付けて 逃げる気持ちになるから お前たちに 身嗅がせているいるんだ。』

其の子達ももう75を過ぎた。

当時 散々苦労して 教育の再見に取り組んできた 同士も一人 また一人と消えていく。

「教育の結果は50年も先の話だからなあ。」 ある先生の教育法を非難されたとき

其の先生をかばった教頭の名言を思い起こす。


平均点 男

2014-06-24 18:58:05 | 日記

「あいつは なにをさせても 平均点 しか取れない 奴。平均点男というのかね。」

人との付き合いも、いい加減で 先方が親しくしてくれれば 其れなりに人にお返しもするが

ちかずかない人に 無理にちかずこうとすることはない。」

「くるものは拒まず、去るものは追わず。」これが彼の生き様である

それに反して 彼の兄貴は 優等生で 無口で あったが両親からも 学校の教師からも

信用されていた。母親としては この頼りない平均点男が 優等生の兄に少しでも

追いついてくれればと思って 兄を手本にするように 厳しく言いつけていた。

6才も年が離れているから さして トラブルも起こらなかったが 平均点男の頭の中には

兄を手本するなんて 考えは ただの一片もなかった。両親や先生たちを驚かせたのは

平均点男が 優等生兄貴が避けていた県下で入学が困難な中学に苦もなく合格

したことだ。将に「晴天の霹靂」というのだろうか。

だからといって 差別が消えたわけではない。平均点男の下宿たるや惨憺たるもので

あった。倉庫の二階になっていた。倉庫は薬品会社の倉庫だから 火薬の上に

寝泊りしているようなものだ。二回は三面カラス窓だが 台風で割られて 冬には部屋の中30センチ

雪が積もっていた。布団を真ん中に寄せて仮眠を取った。

平均点男はそれでも一言も不満を言わなかった。あるとき叔父が尋ねてきて現場をみて

驚いた。叔父が実家に怒鳴り込んで 事の真相が両親にわかったらしい。すぐ下宿は

を変えてくれた。

平均点男は尊敬する先輩が 海軍兵学校をえて 戦艦大和の砲術長として最後は大和と

ともに壮絶な戦死を遂げるのだが、彼も先輩の後を追って海軍機関学校に入学した。

そして、終戦を迎えた。

優等生兄貴もビルマ戦線から生還した。両親は彼を手許から放そうとしなかった。

しかし母は平均男のほうには「郷里を出たからには 二度と郷里に帰ってこないでおくれ。」

平均点男は其のとき涙が流れた。

優等生男は いつも不満だった。俺も外に出たかったのを我慢した。お前はしわわせだよ。

思い通り自由に生きられるんだから。こんなことならビルマで死んでおれればよかった。

優等生兄貴は初めて本音を吐いた。

「兄貴、甘えとる。ビルマがひどかったのはわかる。でもな おれ誰にも言っていないが

大阪大空襲のときなど 命からがら逃げ回ったのよ。内地も大変だったんだ。みんなが大変だったんだよ。

優等生の兄貴は 気にやんでいたが80才でなくなった。

平均点男は 世のなかで、もまれているうちに 平均点の難しさがわかった。

現在86才。90才を狙っている。

平均点男といえば 聞こえは多少良いが 要するに ぐうたら

ということだ。ぐうたら人生とでも言うのだろう