より高邁な道求めて。

2016-09-21 17:38:15 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

蓮舫執行部、野田政権カラー濃厚 党内しらけた空気も

誠に 人間つて こまりものですね。現在の地位 とか立位置がしっかり 収まっていると

党内も しっかり 決まってくるのだろうが、周りを気にして 民進党に訪れた 好機を

逸するとは きわめて遺憾である。

民進党の困った体質は 排除の論理が一貫していることである。上に立つものが 反対論

を封じ それだけでは あきたらず 相手が党を割るように仕向ける。

遣れやれと思って 見回すと 党内しんとして たくさんの議員の席が消えていた。

秋分の日ですね。「天高く 馬肥える秋】ですね。季節のせいか 読書への

いざないも おおい。読書は 人間にとって 肥料みたいなもの 週間を

就けることで 血となり肉となる。論語読み論語知らず ということにならないように

東京オリンピックの年は 日本中Olympicブームに沸いた。私たちの介中琉も大変狂った。

例年だと10月末に予定される 就学旅行がその年は12月5日に変更された。

奥日光 旅館にバスが入っていけず 積雪をかき分けながら ホテルについたことが

おもいだされる。東洋の魔女が世界を圧倒していたときのことだ。

 

民進党も 小さなことにこだわらず 国家に国民に何をなすかを 第一番に心に

刻むべし。すれば明日が見えてくる。


わが国。

2016-09-20 21:17:54 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

台風16号も 長い旅路の果てに 東北東の方向に飛び去った。各地に大きな被害を

残しながら。テレビは盛んに 何十年に一度の大豪雨と報じた。

考えてみると 空恐ろしいことではないか。異常気象 大気汚染 生態系の変化

この先 どうなっていくのだろう。人まで狂ったか意味のない凶悪犯罪。

最も 恵まれているであろう 高級公務員の汚職。多くの冤罪に泣く国民を尻目に

肩で風切る司法。ある日突然世界のどこかで 起こるテロ。

専守防衛を誓った日本ですら 5兆6千億円も あてもなく ただ抑止力の為に投げ出した

軍事費。何時の時代か いつの日か 想定だにしていなかった 国民につけ回しされた

1000兆円の請求書。ああ恐ろしいことですよ。

わたしの尊敬する故人が よく話された言葉「国家は中堅国民が安定した生活をしている

時には間違いなく 安全な国家である。」だからわが校は 特別進学校などということは

夢思ってはならない。ただ建学の趣旨のごとし。

如何すれば 日本国は 世界の国々から 尊敬され愛される国になれるか。

誠を尽くす事である。誠を尽くすとはどんなことであるか。邪心をもって人に接しないことで

ある。国家の根幹は 立法・行政・司法の正義である。国家権力は国民から委託されたもので

これをよこしまなことに用いたり こくみんを痛めつけたりするためにあるのではない。

政治は常に困難にいばらの道を進まねばならない。満が一にも国民にそれを強いては

ならない。


父親の後ろ姿。

2016-09-20 06:39:10 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

父親の愛情・・・・・私は乳離れと同時に よそに出された。貧乏人の子だくさんで

生活も大変だった。父があまり収入にもならない町医者 それだけならいいのだが

医者の目から 貧乏村を見て それでもましな暮らしをできるところにしたい。

つまり桃源郷を夢見たわけだ。母の兄私には伯父に当たる。若いころから東京で暮らしていた。

東京府立三中の出身だと私に入っていた。そこに引き取られた。子供が一人しかいなくて当時

同社大学に通っていて家に子供がいない。黙って抱いて帰った日から小宮家での生活が始まった。

伯父は33才で帰京した。すぐ尊重食について、その奇抜先村人を驚かした。

紋付き袴に桐野下駄。瀬か高いから威風堂々としたものだ。すっかり小宮家の養子として使用学校の5年まで過ごして疑わなかったわけだから こちらも相当鈍かった。

時々実家に行くと、実家の父は何屋かと幼児を作り出して返そうとしない。

一緒にお風呂に入ると 丁寧に丁寧に洗ってくれる。最後に足裏をちょこちょこと

こそばる。兄なんかに聞くと父は大変厳しかったというが わたしには一度もしかるということはなかった。

今夜、とまって行け。小宮のお父さんにはそう伝えておくから。

親子3人 川の字で寝るという経験はあまりなく貴重な体験だから 何年たっても

忘れることはない。夜中気が付くと父親が わたしの両手を包むように握っていた。

亡くなる間際に「お前にはすまなかった。」という一言。父は何を言いたかったのだろう。 

いつも 机の上に 読みかけの本が開いていた。赤い線が引いてあった。

これが当時の親子の意思伝達の手段だったのだろうか。

この方法は わたしの子供に引き継いだ。東京大学の数学矢野教授の随筆集を

机に乗せていたら子供がそれを読んだらしい。それで気が付いたのだが 男の子は父親の読み物に大いに関心を示すということだ。

時々中学生の数学など机に乗せているとほしがった。塾に通っているわけではないが

こと数学にかけては 全国ランクになっていた。そんなに知能がいいわけではない。

特別な受験勉強するわけではなかったが現役東大合格を果たした。

しかし、いま大きな後悔をしている。なぜ東大えらんだろう。古典の読み方が足りないよ。

知識と人格は別物だよ。学歴なんか大した威力になるものでもないのに。

官僚見たらわかるよ。彼らは立派な頭脳をもちながら 使い方を間違えているようだ。。豊洲

事件見てもその通り。前大戦見てもその通り。政策ミス。それでこくみんを不幸にしたのだから。

学歴でいいことしてないじゃん。


教え子

2016-09-20 04:19:58 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

この頃は すっかり 家に引篭っとしまうようになった。人に接するのが

嫌いになったわけではない。女房にはしゃべりすぎというくらい 【男のしゃべりって

嘲笑されますよ。」と手厳しいくらい人と会うのは大好きだ。

女学校の教師として40年我ながらよくぞ務めたとほめてやりたい。もともと教師ではなかった。

大学卒業して 中小企業の監査室に在籍した経験がある。たまたま大学時代の教授から

「お前 女学校の先生やりたいといっていたね。」「先生あれは冗談ですよ。私みたいな半端者が

真正な居室に立てないでしょう」というと「実はねそんな先生がほしいというのだよ。」

「それはまたどういうことですか。」そいつもね証券会社出身でとある自余学校の

教頭を30年もやってるんだ。出身は某帝大としておこう。家業は100くらいたつつくり酒屋の

一人息子だ。学生時代から 遊学生で 祇園に通い詰めて 舞妓さんを揚げてしまった。

家を倒産させるくらいのつわものだ。

学校の夏休みに入ったころ その教頭先生から電話が入った。至急

会いたいという。指定の料亭がむ採用試験場だ。お会いして初めて接するせんせいのタイプ

話題も豊富だし ウィットに富んでいる。「アッそうそう給料は9,000でどうですか。

安いでしょう。ボーナス年間4・4か月ね。苦労するよ。校長は国立大学の生徒部長を昨年まで勤務されたk先生ね。僕のゼミの先制だ。」

なにかだまされたようなしかしいい気分で憧れの女学校の先生にはなったものの

これが大変な問題を引き起こすことになる。

先生だから 中心は専門科目における知識と研究心がや割を占めようか。

明るくなくちゃだめね。金言むっつりの先生も立派な先生たちですよ。1割の色気と

1割のユーモアと1割の面倒見こんな先生評判中続きするんじゃない。

下積の苦労もしなければならないが そのにおいのしない人。

時々PCの囲碁をやっていると 60才70才といったような定年退職のおばあちゃんたちが

初級で碁を打っておられる。「えらい。その調子」だが女学校時代の写真は困るね。

どんなおばあさんでも 私たちにはうら若き女学生なんだけど


活力ある老齢化社会。

2016-09-19 09:07:55 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

日は ろうじんの日ということである。全人口の27%

を占めている。こんな時代に60台を老人と呼ぶのはふさわしくない。なぜ

そこで仕切りしたのか 意味が分からない。

わたしの親父が 「人間70になったら 残りは付録よ。組織の締りにかかわらず

自由に自分らしくいきて それが 巧まずして 社会のお役に立っている。」

そうかんがえるもんだ。といった。大店法に強く反対して そのため年寄りが行き場を

見失ってしまっている。とJAのスーパー業進出を強く批判していた。

わたしは思う。老壮の区別なく働ける限り はたらく これが人間として当選の

権利ではないか。若いというだけでは解決できない問題がある。老人になってしまえば

やろうと思ってもできない。それにしても老人数が国民の27%というから驚きだ。

政治でも老人パワーを出してほしいものだ。遠慮したらだめだよ