治療がホルモンになり、以前のように研修会やいろいろな専門職に関しての催しに
参加するようになった

。
去年から少しずつ皆から離れている事は実感として分かっていた

。
県立大学で2日間催された学会に参加し、以前なら積極的に勉強会参加し
皆と楽しく会話が出来ていた。

平成12年ケアマネの国家試験受かった管理栄養士が今後必要な知識としての
栄養マネージメントを叩き込まれる研修を大宮で泊り込みで行った

。
静岡では2名参加し、夜中も宿題をホテルでこなし

、帰宅後も施設での
栄養マネージメント結果データーを送って大変だが、面白く学ぶのが楽しかった

。
施設内では管理栄養士は一人で、積極的なアプローチに、相談員・上司に否定され
続けられなくなっていた


。

一緒に学んだ静岡の彼女も施設に受け入れられず、辞め病院勤めとなっていた。
でも、外部で参加したく自発的に出向いていたが、転勤し新たな施設や増築棟の立ち上げに
振り回されて勉強した事も遠くなりつつあった時期。
学会を立ちあげたと連絡が来て会員とさせてもらった

。
その後介護保険で管理栄養士の栄養ケアプランが加算となり
現金なもの今まで否定していた上司が手のひらをひっくり返してきた

。
その間同法人の10歳以上若い管理栄養士に何が気に入らないのか
挨拶しても返事も来ないくらい変な人間関係になり(こんないやな目にあったのは初体験

)
彼女が私的な理由で退職(社内恋愛で破れ相手が若い職員と結婚)。
元上司が転勤した私を元の場所に戻そうと画策し、あれだけ栄養ケアプランに否定的で
ボロクソ言った人たちの元に戻るのが嫌で拒否していた。
その時なのだ、癌が分かったのは

。
法人自体見直しが必要となった

一年私が移動しなかったため、750万の加算取れず損失だった。
(当時はザマアミロが本心だった

。)
でも、皆知っていると思うけど、去年は全てを捨てて治療と不安の日々


。
私の時は止まっていたのだ…
以前病院に職変えした彼女がキラキラ輝きながらもとの職場によばれていた。
学会では臨床栄養士一期生の認定式が開催され、

取り残され感がズンズン心の奥に押し寄せてきた。
キラキラ彼女は、もう臨床を目指し参加し始めていたのだ。
「何しているの一緒に頑張って学ぼうよ」彼女は明るく声をかけてくれる

。
回りの友達たちもニコニコキラキラしながら、学んでずっと先を歩かれている。
朝の強張り・関節痛・骨メタの不安…こんな事しててどうするの


皆進んでいくよ。
一人取り残されて、何すればいいのか最近、仕事関係に先が見えない自分がいる。
こんな取り残される寂しさは何なんだろう


焦りってこんなだったんだろうか


研修参加しても不安しか残らない。
視点を変えたいけど今は友達たちの


キラキラが
私には槍のように迫ってくるだけだ
はぁ~



