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花日和 Hana-biyori

小説『野生の棕櫚』読了直後

ウィリアム・フォークナーの『野生の棕櫚』(中公文庫/加島祥造 訳)、やっと読み終わりました。

まずは最後まで読めた自分を褒めてあげたい!途中で投げ出すのも悔しい気がして 何とか読み終えたというのが正直なところです。

4/6に読書会がありましたが、一旦あらすじと私の感想を。

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本書は1939年出版。それより少し前のアメリカを舞台に、人妻と医学生の愛の逃避行を描く「野生の棕櫚」と、大洪水のなかで妊婦を助ける囚人の奮闘を描く「オールド・マン」。全く異なる2つの物語が交互に展開する長編小説。

■「野生の棕櫚」

父の遺言に従って限られた遺産の範囲で医学生となったヘンリー・ウイルボーンは、あるとき偶然出会った人妻シャーロットと恋に落ちる。ふたりはこれまでの生活を捨ててニューオーリンズからシカゴへ向う。

しかしウイルボーンは研修医を中途半端に辞めてしまったため正式な医師と認められず、まともな職にありつけない。アーティストであるシャーロットは作品を売り食いつなぐが、二人の生活はどんどん危うくなって行く。

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■「オールド・マン」

解説によれば、オールドマンとはミシシッピ河の俗称だという。

ギャング小説に感化されて列車強盗未遂で捕まり服役中の“背の高い囚人”の物語。

1927年5月、ミシシッピ河流域で大洪水が起き、囚人たちは災害救助に駆り出される。背の高い囚人は小舟で1人の妊婦を助けるが、舟は急流に飲まれ、ふたりは見知らぬ土地へと押し流されることに…。

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全然関係ない話のようでいて、こうしてあらすじを書くと男女が二人きりで見知らぬ土地に流れ流れて四苦八苦するという共通点があると分かりました。

研修医ウイルボーンのほうは意志的にですが、愛のためというよりはこれまでの苦しい生活、呪縛から抜け出したくて、駆け落ちはただの手段だったんじゃないかと感じました。

シャーロットにしても、アート活動をしたくて家を出るのにヘンリーを「理由」にしていたんじゃないかと思ってしまう。

それくらい、二人が凄く愛し合っていると実感する描写が少ないのです。恋人どうしというよりは、共犯者みたいな繋がりのように感じました。

一方、「オールド・マン」の囚人は意図せず流されるし女を愛しているわけでもありません。

むしろよりによって何でこんな厄介な女と…とぼやいたりもするのですが、女を何処かで厄介払いすることもない。生来質の悪い人間ではないらしいと分かります。

流れ着いた先で、迷いなく精力的に働く所は、ウイルボーンと対照的です。

ウイルボーンは、その気になればそれなりに働くことも出来るのに、すぐに仕事を辞めてしまいます(公園のベンチがお馴染みの場所)。愛に生きることを重視するあまり、経済活動をむしろ遠ざけようとして、結局はどんどん過酷な方へ突き進んでしまうのです。

そんなもろもろの対比が、読み終えてみると非常に効いている小説だと思えます。解説にもありましたが、構成それ自体が物語の肝としての働きをしているようでした。

しかし、個々のエピソードはけっこう面白かったはずなのですが、私はこのウイルボーンの遅れてきた思春期みたいなグズグズ感が鬱陶しく、分かりづらい文章も相まって途中で読むのが苦痛になったりしてました。

が、読書会で皆さんの意見を聞いてまた面白くなってきました。難物でしたがそれだけ魅力ある小説だってことですね。

続きます。




  
  


 
 
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