平成26年4月6日(日)に参加した、
名鉄主催 2014年春 東海の自然歩け歩け大会
圧巻!岩倉五条川さくら並木堪能
の続きです。
「ヨシヅヤ大口店」
五条川沿いにあります。
スーパーかな?
五条川沿いに戻ってきました。
川沿いの遊歩道には、桜の花弁が散下していて、ピンクの絨毯っぽくなっていました。
川面にもこんなにサクラの花弁が。
コースは、堤防の上になっていたのですが、こっちの川沿いの小路を歩いた方が良さそう。
しばらく川沿いの小路を歩いて行きます。
桜並木が暫く続きます。
あ、前から人が来ました。
川の水量は結構あって流れは速いのですが、川面のサクラの花弁は途切れることはありませんでした。
まだまだ続く川沿いの小道
橋が見えてきました。
どうやら川沿いの小路は、ここで終わりのようです。
ここからは階段を上って堤防上の道を歩きます。
「じんぎはし」
競って写真を撮る人たち。
この橋の名前って何か由来があるのだろうか。。。
素晴らしい~、けど天気が良くないのがとっても残念でした。
もーそろそろ一杯になってきたなw
秋葉山 地蔵寺
神社なのかお寺なのかわかりにくい名前ですね。
次の目的地、「堀尾跡公園」へやってきました。
この公園は、堀尾金助とその母の「裁断橋物語」をテーマに、子を想う母の心を後世に伝える歴史公園です。
「裁断橋」
「裁断橋物語」~
天正18(1590)年2月18日、堀尾金助は、父の方泰が病気のため叔父の泰次に伴われて御供所を出発し、
従兄の堀尾吉晴に従い小田原征伐に加わりました。初陣でした。 金助の母は祈願をかねて、
当時熱田神宮付近にあった裁断橋まで見送りましたが、その願いもむなしく同じ年の6月、金助は18才で戦死してしまいました。
この戦がもとで泰次を、また病で方泰も亡くし天涯孤独となった母は、
金助との別れの場となった裁断橋が古くなっていたことを思い出し、
その改修のために私財をなげうつことを決心しました。
人助けにもなり、わが子の供養にもなると考えたのです。天正19年のことでした。
母は元和8(1622)年にも2回目の改修工事に取り組みましたが、その完成を見ることなく永眠しました。
その後、幾度も架け替えが行われた末、川の埋め立てにともなって橋は取り壊されました。
昭和28年には3分の1の大きさで復元されましたが、平成4年にはそれも撤去されました。
そして平成8年、金助の母が2回目に建立した裁断橋が、母子の出生地・大口に三百年以上を経て忠実に再現されたのです。
橋からの眺め。
ちょっと日が射してきて、写真の写りも良くなってきました。
この橋にまつわる悲哀の物語を知っている人は少ないようでした。
物語を語る、プレート。
8枚ある内の一枚。
でも、赤ずきんもこの物語はここへ来て始めて知りました。
コースはまだまだ続きますが、続きは又です。