平成29年5月21日(日)に参加した、
JR東海主催 さわやかウォーキング
「風薫る山城・鶴ヶ城跡と櫻堂薬師を訪ねて⑥」の続きです。。。
お堂が見えてきました。
「櫻堂薬師」さんです。
お堂へ上がれるみたいです。
お参りします。。
お参りが終わると、早速ガイドの方が来られて、
このパンフレットと御守りをいただきました。
ありがとうございます。
お堂の横へ回ってきました。
舞楽で着けられるお面の展示がありました。
櫻堂薬師の舞楽面です。
羅陵王と納曽利
この2面は顎が動くように作られているとか。
これはレプリカ。
こちらは抜頭の図
抜頭面
そういえば木ノ暮津島神社にも舞台(農村舞台)がありました。
この地域では、舞楽が盛んに行われていた時代があったのでしょうね。。
全部そろってますものね。
なんか複雑な造りのお堂に感じました。
今年で中興350周年を迎えるそうです。
お堂の壁に掛けられていた絵は沢山ありました。
状態の良いものも、あまり良くないものもありましたが、しっかりガラスで覆われて保存されていました。
ここにも陶器製の常夜灯がありますね。
病気平癒を祈願する、薬師如来を祀るお堂。
長い歴史の中には何度も衰退があったようですが、その都度復興されています。
お堂の屋根にあった、桜の神紋。
昔の桜堂薬師の外観図を見ると、花を咲かせた桜の木が沢山描かれています。
1300年もの昔、この桜堂薬師は「瑞櫻山 法妙寺 薬師堂」と言われていました。
糸桜(しだれ桜)に関する言伝え。
ある時、花の盛りに何者の仕業とも知れず「ときにきたれどむすびめもなし」と下の句を書いて、この桜の枝に結び付けてありました。
誰もこの句に上手く上の句が出来なかったのですが、鎌田二郎左衛門尉義行(かまたじろうざえもんじょうよしゆき)(岩村藩士)という人が、
「ふき結ぶ風にみだるる糸桜」と付けたという話が尾張の長母寺(ちょうぼじ)に晩年を送った無住(むじゅう)法師の「紗石集(しゃせきしゅう)」に書きとめられています。
鎌倉初期には宮廷ばかりではなく、広く庶民の間にも二句唱和と称せられて、春爛漫と咲き乱れるしだれ桜の下で多くの人たちが寄り集まって歌に興じました。
それは、しだれ桜の形から霊魂が伝わって降りて来るといった信仰が人々の間にあり、その花鎮(はなしず)めのお祭りでもあったのです。
この桜堂でも、あるいは都で盛んであった花の下(はなのもと)連歌と同じような形で行われていたのでしょう。
舞楽に歌。
この地域には、平安の雅文化が最近まで残されていたように思います。
お隣の観音堂
いぼ岩
傍には池がありました。
上池です。
暑くなる頃には、沢山の蓮の花が咲くのでしょうねー
コースへ出ました。
お隣の亀池にある弁財天さん
真っ赤ですね@@
弁財天さんのいる亀池に、立派なキショウブがありました。
高さは2メートル近くあったと思います。
何故この株だけこんなに大きいのかしら?
コースを進むと、山門がありました。
表へまわってみます。
こちらが表ですね。
金剛力士像
顔も体型も独特なものを感じます。
コースはいよいよ終盤を迎えます。
長くなりましたので、続きはまたです。。。