平成31年2月16日(土)
JR東海主催 さわやかウォーキング
「一級河川豊川改修80年の足跡めぐりウォーキング③」の続きです。
豊川の堤防から外れた方向へコースは続きます。
(○'ω'○)ん?
あの黄色いの何かな?
葉っぱでしたw
こういう品種の植物なのかな?
景色は田畑が広がります。
あれはキャベツだと思います。
しばらくこの道が続きます。
緩やかに左へカーブ。
今度は緩やかに右にカーブw
今気付いたのですが、この道はちょっと高くなっていて、堤防の役割をしていますね。
歩いていると、このような表示がありました。
霞堤?
消えかかっていますが、鎧堤とも呼ばれているそうで、連続する堤防ではなくて、間に切れ目を入れた不連続な堤防で、
洪水の直撃を避け、勢いを分散させる構造の堤防のようです。
豊川の氾濫を食い止める知恵ですね。
コースは、堤防道から左へ続きます。
道路に出ました。
しばらく真っ直ぐ歩いていきます。
地下道へ
歩きながら撮るとブレブレですw
道路へ出てまたまた道沿いを行きます。
右へ曲がると、常夜灯のようなものが見えてきました。
どうやら目的地へ着いたようです。
「三明寺」です。
お参りしていきます。
本願光悦入定の塚
お地蔵様。
三重塔。
本堂が見えてきました。
豊川弁財天さん。
正式には、龍雲山 妙音閣 三明禅寺です。
702年(大宝2年)に文武天皇が三河国に行幸の折、
この地で病にかかったが、弁財天の霊験で全快したことから、大和の僧・覚淵に命じて堂宇を建立したのが始まり。
以降、真言宗の寺院として続いていたが、平安時代後期、源範頼の兵火により焼失し荒廃する。
応永年間(1394-1428)に禅僧・無文元遷(後醍醐天皇の皇子)が諸堂を復興し、この際に禅宗に改宗し、千手観音を本尊とした。
また、三重塔を建立し、大日如来を安置したと言われる。
1531年(享禄4年)、三重塔が再建され、1554年(天文12年)には本願光悦により弁財天天宮殿が再建される。
現存する本堂は、1712年(正徳2年)岡田三郎成房により再建されたものである。(ウィキペディアより)
境内の一画にあった豊川弁財天の道標。
街道沿いであったようですね。
コースへ戻ります。
あとはゴールを目指していきます。
終盤ですが、長くなりましたので、続きは又にします。