赤ずきんのお散歩ブログ

参加したウォーキング、写真付きでご紹介します。
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❾名古屋市市政資料館とすいどう道緑道で桜を満喫する

2022年04月21日 06時00分00秒 | 駅ちかウォーキング

令和4年4月6日(水)

名古屋市交通局主催 2022年 から始まるさんぽ

名古屋市市政資料館とすいどう道緑道で桜を満喫するの続きです。

 

建中寺の通りから、東へ進んで行きます。

 

カタバミが咲いていました。

 

黒門町交差点です。

信号を渡ってさらに真っ直ぐ進んで行きます。

 

桜咲いてる。

 

豊前町2丁目交差点です。

通過していきます。

 

豊年橋西交差点です。

 

この橋は、JR東海の高架橋です。

 

電車きました。

名古屋行きでした。

 

豊年公園

通過していきます。

 

これは黄梅かしら?

ちょっと違うようなw

カロナイナジャスミン?

 

都通1南の交差点です。

更に真っ直ぐ進んで行きます。

 

次の目的地がようやく見えてきました。

 

千種公園」です。

ちょうどお昼時なので、ここでお昼休憩したいと思います。

 

ビオラがいっぱい咲いている。

 

痛みを共有し、継承を

第二次世界大戦中、戦闘機のゼロ戦を生産するなど大軍需都市だった名古屋市は、六十回以上の米軍の空襲を受け、

街は焼き尽くされ、市民約八千人が死亡、それに劣らない数の人々が重軽傷を負った。

死傷した民間人も国が擁護すべきという運動は、昭和四十七年、全国戦災傷害者連絡会(杉山千佐子会長)

により、ここ名古屋から始まった。一方、名古屋市は平成二十二年に「民間戦災傷害者援護見舞金」制度を設け、

独自の援護を開始した。

大戦が終わって七十年が過ぎようとしている。

壊滅した名古屋の街は市民のたゆまぬ努力によって復興、目覚ましい発展を遂げ、今日では、日本を代表する大都市となった。

しかし、世界では未だ争いが絶えず、惨禍が繰り返されている。

名古屋市は、市民が再び戦火に巻き込まれることがないように願うとともに、空襲で体と心に癒えない傷を負った方々の

長年の苦難に思いを寄せ、その痛みの記憶をここに刻む。

 

公園内を散策します。

 

結構人が居るw

 

噴水

 

噴水の近くにベンチがあったので、ここでお昼を食べようと思います。

ここも空襲があったのかしら?

悲しい過去を想像しながら、公園の景色を見ていました。

責められないように、しっかり防衛力を整えないといけませんね。

 

つづきはまたです。

 

コメント (2)
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