令和4年4月6日(水)
名古屋市交通局主催 2022年 駅から始まるヒラメキさんぽ
「❽名古屋市市政資料館とすいどう道緑道で桜を満喫する」の続きです。
建中寺の通りから、東へ進んで行きます。
カタバミが咲いていました。
黒門町交差点です。
信号を渡ってさらに真っ直ぐ進んで行きます。
桜咲いてる。
豊前町2丁目交差点です。
通過していきます。
豊年橋西交差点です。
この橋は、JR東海の高架橋です。
電車きました。
名古屋行きでした。
豊年公園
通過していきます。
これは黄梅かしら?
ちょっと違うようなw
カロナイナジャスミン?
都通1南の交差点です。
更に真っ直ぐ進んで行きます。
次の目的地がようやく見えてきました。
「千種公園」です。
ちょうどお昼時なので、ここでお昼休憩したいと思います。
ビオラがいっぱい咲いている。
痛みを共有し、継承を
第二次世界大戦中、戦闘機のゼロ戦を生産するなど大軍需都市だった名古屋市は、六十回以上の米軍の空襲を受け、
街は焼き尽くされ、市民約八千人が死亡、それに劣らない数の人々が重軽傷を負った。
死傷した民間人も国が擁護すべきという運動は、昭和四十七年、全国戦災傷害者連絡会(杉山千佐子会長)
により、ここ名古屋から始まった。一方、名古屋市は平成二十二年に「民間戦災傷害者援護見舞金」制度を設け、
独自の援護を開始した。
大戦が終わって七十年が過ぎようとしている。
壊滅した名古屋の街は市民のたゆまぬ努力によって復興、目覚ましい発展を遂げ、今日では、日本を代表する大都市となった。
しかし、世界では未だ争いが絶えず、惨禍が繰り返されている。
名古屋市は、市民が再び戦火に巻き込まれることがないように願うとともに、空襲で体と心に癒えない傷を負った方々の
長年の苦難に思いを寄せ、その痛みの記憶をここに刻む。
公園内を散策します。
結構人が居るw
噴水
噴水の近くにベンチがあったので、ここでお昼を食べようと思います。
ここも空襲があったのかしら?
悲しい過去を想像しながら、公園の景色を見ていました。
責められないように、しっかり防衛力を整えないといけませんね。
つづきはまたです。