令和3年3月6日(土)
名古屋市交通局主催 2021年 SPRING
「❷春爛漫!桜の名所を楽しむウォーキング」の続きです。
コースを1本間違ったので、正しいコースへ戻ります。
あ!
見えてきました。
このモダンな建物。
「文化のみち 二葉館」です。
これは緋寒桜かしら?
だいぶ咲いていますね。
オオカンザクラの並木道にあった緋寒桜よりだいぶ咲いています。
陽当りが良いのかな?
二葉館です。
名古屋城から徳川園にいたる「文化のみち」。
ここは、江戸期には中・下級武士の屋敷が連なり明治から昭和の初めにかけては近代産業の担い手となる起業家、宗教家、
ジャーナリストなど様々な人が去来し、交流する舞台となった地域です。
「日本の女優第一号」として名をはせた川上貞奴も、その一人でした。
女優を引退した後、大正9年頃から電力王と呼ばれた福沢桃介とともに文化のみちエリアの北端にある名古屋市東区東二葉町に暮らしていました。
約二千坪の敷地に建つ和洋折衷の建物は、その斬新さから「二葉御殿」と呼ばれ、政財界人や文化人のサロンになっていたといいます(リーフレットより)
10時になったので開きました。
入ってみます。
受け付けで手続きを済ませて入りました。
誰も居ませんw
赤ずきん貸し切りw
洋風な感じの部屋ですね。。
2階へはあとで行きます。。
ステンドグラス。
川上貞奴と福沢桃介について
川上貞奴
明治4年(1871)生まれ。
16歳で芸者となり、23歳で書生演劇の川上音二郎と結婚。
川上一座のアメリカ巡業で女優として初めて舞台に立つ。
ヨーロッパに渡り、明治33(1900)年のパリ万博でマダム貞奴の名は、一躍有名になる。
音二郎の死後、福沢桃介の事業パートナーとして、また自らも事業家として「二葉御殿」で暮らした。
福沢桃介
明治元年(1868)生まれ。
福沢諭吉の次女ふさの婿。
名古屋電灯(株)の取締役となった頃から電力事業に乗り出し、大同電力(株)を設立。
名古屋を拠点として、木曽川水系に大井発電所をはじめ7ヵ所の発電所建設。電力王と言われた。
画家のピカソをも魅了した女優貞奴。
川上一座公演の絵葉書など
桃のデザインの卒業記念メダル
この人が福沢桃介。
人相がちょっとw
栞とか
こんなものまでw
丸窓。
「文化のみち」について
和風な感じのお部屋にやってきました。
和室は創建当時のままだそうで、国の文化財として登録されています。
お隣の部屋。
ここはスリッパを脱いで上がらせてもらいます。
写真
昔の二葉館かしら?
お子さんとでしょうかねぇ。
微妙な関係でよくわからないw
とっても狭いお部屋がありました。
お仕事部屋やしら?
トランクケースなど。
床の間
寿の座布団。
屏風もありました。
食器や櫛など。
貞奴愛用の品々。。
玄関と再現された水まわり。
廊下に出て、元に戻ります。
これは呼び鈴だそうです。
黒いボタンを押すと、部屋番号が表示されるようになっているとか。。
あの朱色の屋根が二葉館かしら?
田園風景ですね。
2階の方へ行ってみます。
長くなりましたので、続きはまたにします。