路線バスの天井にある握り棒をつかんだり、それに取り付けてある降車用ボタンを押したりすることが、じつは私のひそかな楽しみです。なぜかというと「大人になったらきっとやってやる!」と幼い頃、固く心に誓ったことだからなのです。
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私は路線バスと電車を乗り継いで通勤しています。平日の朝晩ですと、座ることはもちろん自分の好みの立ち位置を選ぶなどという自由もありません。しかし休みの日に、のんびりと駅前の書店へ出かけるときなどは、比較的空いたバスに乗ることが出来ます。
今ごろの季節、天気のよい休日の午後などにバスに揺られていると、ぼんやりと幼い日のことを思い返したりします。昭和50年前後に私が住んでいたところは、徒歩圏内に食料品スーパーが2軒ある程度でした。それも今のように衣料品も扱うようなスーパーではなく、あくまでも平屋建ての食料品スーパーです。焼き芋の軽トラックがやってくると、レジのおばさんはお客を待たせておいて焼き芋を買いに店の外へ飛び出していくという、今から思えばのどかな状況でした。
そんな所に住んでいますから、街らしい街へ行くには、バスで片道一時間ほどは出かけなければなりません。いつもは男子小学生らしくバスの一番前の席を狙って乗っていましたが、ある日、後ろよりの座席に座っていたときのことです。いま思えば20歳代と思しき男性が、天井の中央、車体の前後方向に延びる握り棒(というのでしょうか)につかまりながら、前方の降車口に移動していくのです。そしてさらに、天井面に取り付けてある降車用ボタンを押したのです。
幼い私はそれを見て、背の低い自分には到底実行することの出来ない、「オトナの行動様式」を見せつけられたような気分でした。それからというもの、すぐに手の届く降車ボタンではなく、あの、天井に取り付けてあるボタンを押したい、そして天井の握り棒に掴まりつつ降車口へ移動していきたい、と思い描くようになったのです。
そして苦節数十年、ついにその日がやってきたのです。...
と書きたいところですが、実際はあっさりそのときがやってきました。やたらと混雑したバスで、天井の握り棒しか掴まるところがない状態で、自然とその付近の降車ボタンを押し、まさにあの日の若者のように降車口へと(すいません、すいませんと呟きながら)、移動していったのでした。
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今でもこんなシチュエーションのとき、数十年前のあの日の気分を、ほのぼのと思い出します。
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旧の花風呂から訪問させて頂いていますが
旧記事の整理も未だに未終了
移転前の方が 見やすく 楽しい物でしたが
個人の運用ですので 限度があるのも承知ですが
来布哇も10年ほど機会が無く わずかな楽しみのため
無理を申しますが