先ごろある障害者団体が、車椅子のままで乗車できるタクシーの実態調査を行い、低くない割合で「乗車拒否」があったことを発表した。国やタクシー事業者に対して改善を求める旨の意見が出されている。
しかし、各方面から聞こえてくるもっともらしい意見を見てみると、問題の本質がまったく見えていないようだ。
※本稿ではおもに東京地区(東京事業区域)におけるタクシーについて述べています。
UDタクシーとは
UDタクシーとは、ユニバーサルデザインのタクシー車両という意味である。つまり身障者をはじめ誰もが利用しやすい「形」と「しくみ」を整えたタクシー車両ということで、具体的にはトヨタ製の「JPN TAXI(ジャパンタクシーと読む)」や、日産製の「NV200タクシー」ということだ。都内ではここ1~2年の間によく見かけるようになってきた。
このUDタクシーの特徴を手っ取り早く説明するのに使われるのが、「車椅子のまま乗車できるタクシー」というフレーズだ。
当然、車椅子の利用者やその介助者などが期待を寄せることになるし、2020年のオリンピックも控え、ユニバーサルデザインの環境を整備していく一環としても重要な柱といえる。
ところが、先述の団体の実態調査によれば、乗車希望数の3割近くが結果として乗車できなかったとされている(全国調査数での割合)。
せっかくUDタクシーが増えてきたというのに、これはいかがなものか、という意見が出てくるのは当然といえる。
問題の本質
結論から言えば、車椅子乗降の現場で主役となるタクシー乗務員の負担が、まったく視野に入っていないということである。
車椅子利用者を乗降させるには、UDタクシーの車種(実質的にはトヨタ製であるか日産製であるかのちがい)によって、それぞれの専用機器や器具を正しく取り扱う必要がある。この作業そのものは特段の技術が必要なものではないのだが、やや複雑な手順をしっかりと踏まなければ正しく安全に乗降させることが出来ない。いい加減な操作をやっていては最悪の場合、乗客にケガをさせてしまう可能性も出てくる(ベルト締結不十分、フック締結不十分、スロープ組み立て不十分、車椅子の取り扱い不適切など)。
もちろん各タクシー会社では、UDタクシーの乗務員に対して研修を行っている。また東京事業区域(東京23区と武蔵野市、三鷹市の範囲)を管理している東京タクシーセンターでは、実地研修を伴うユニバーサル研修制度を設けており、乗務員に受講を義務付けているタクシー会社が増えてきている。
それなのに今回、車椅子乗車を希望した客の3割近くが結果として乗車できなかったというのは、「時間と手間ばかりかかって、たいして距離も出ないお客に時間をかけていられない」というタクシー乗務員の偽らざる本音があるためだ。「それに、そんな客はめったにいないし...」という事情もある。
こう聞くと「なんて意識の低いダメなヤツらなんだ」という印象があるかもしれない。「やっぱりタクシー運転手なんてヤツらは...」といった職業蔑視に短絡する人も少なくない。
しかしそれは、タクシー乗務員という仕事の実態を知らないからこその感覚なのである。
タクシー乗務員の仕事
ここでは法人タクシー、つまり「〇〇交通」とか「〇〇無線」といったタクシー会社のタクシーを取り上げることにする。
なぜなら、個人タクシーは個人事業主であるため、勤務形態は基本的に自分で決められるし、そもそも個人タクシーでUD車両を使用している人はほぼゼロに近いからである。これは年齢的に派生業務(トランクサービス時の荷捌きや車椅子補助)をやりたくてもできないという事情もありそうだ。
さて、法人タクシーの乗務員は、「会社員でありながら個人事業主である」といえば混乱するだろうか。
たとえば「おでん屋台」を思い浮かべてほしい。屋台や諸道具、営業許可などは親方や組合から貸してもらい、これを基本的な道具としておでんや酒を売って金を受け取る。
タクシーも、自動車そのもの、国からの営業許可、決済のシステム、事故やトラブルの際の処理などを会社が請け負ってくれたうえで、客から受け取るタクシー料金の何割かを給料日に受け取っている(実際はもう少し複雑な計算が各社ごとにある)。
つまり、成果を出せば出しただけ、サボっていればサボっただけの収入となるわけで、仕事をする上での感覚や姿勢は個人事業主なのである。そして実質的な仕事のパターンは「(お客さんを)降ろしたら終わり」という短時間、単発仕事の連続である。そうするとどうなるか。
その日その日を効率よく稼ぐことに注力するようになるのである。
一般企業に勤めるサラリーマンの場合、今日、作業効率や生産性を上げたからといっても、翌月の給料に露骨に反映されることなどまずない。また組織に対する忠誠心や頼まれ仕事を笑顔で引き受けるのも、組織内における自分の「覚えめでたさ」を視野に入れてのことであり、ボーナス査定や将来の昇進(派遣社員なら契約延長など)にもつながるがゆえである。
つまり自分の利益向上に関して長期的な考えを持つようになる。
しかし、タクシー乗務員にそういった感覚はまったく無意味で、あくまでも今日の売り上げ、今月の売り上げがすべてであり、いかにその日その日を効率よくこなしていくかしかないのだ。
そもそもタクシー乗務員にボーナスなどない。「賞与」と謳っているタクシー会社も存在するが、それは毎月の天引きプール金を払い戻しているだけであり、事故やクレームの多い乗務員には戻さない、というカラクリなのだ(会社側はその預かり期間の運用益を見込め、恣意的に払い戻さないことも可能だ)。
つまりタクシー乗務員には、会社組織に対する忠誠心のようなものが存在する道理がないのである。会社の方針や指導といったものが、どれだけ現場の従業員(乗務員)に浸透していくかということについては、一般の企業とはまったく事情が異なるのである。
乗降に時間がかかり、トラブルやクレームの可能性が高くなりがちな乗客を、場合によっては周囲の交通への影響にも配慮しながら取り扱う。もちろんこの業務に対してどこからも手当されることはない。そうこうしているうちに効率的に稼げる時間帯を逸し、好エリアへの移動もままならなくなる。
つまり、乗務員にとって負担が増えるだけの車椅子乗降の取り扱いは、ひとえに乗務員のボランティア精神に期待するしかないのだ。その日その日の売り上げに生活が左右されるタクシー乗務員にとって、車椅子乗降は出来るだけ避けたいというのが実態なのである。
誰かの犠牲の上に成り立つユニバーサル
障害者団体の要望を受け国土交通省は、不当な乗車拒否に対して行政処分や指導の対象になる可能性を示している。そもそもタクシー事業は国の許認可事業であって、国や国土交通省の意向・方針は、実態としてタクシー事業者に対する指示・命令になりがちな構造である。
しかしすでに見てきたように、タクシー事業者や現場の乗務員を締め上げるだけで、本当に車椅子利用者などの利益につながっていくだろうか。
一部のボランティア精神旺盛な乗務員を除いては、きっとなんらかの逃げ道を考え出すはずだ。
加えてタクシー業界とて高齢化は他業種と同様で、つぎつぎリタイヤしていく乗務員が多いなか、新たに乗務員を志す人の気持ちを萎えさせる可能性もある。車椅子でない一般の人にとっても、「タクシーがなかなか捉まらない」といったことにつながりかねない。
現場の主役である乗務員へのまなざしを持ち合わせず、単純に弱者保護を唱えている向きもある。美しく、もっともらしい意見かもしれないが、それは世間知らずの空論であり説得力はない。
誰かの犠牲の上に成り立つユニバーサルデザイン(車椅子乗降)は、ほんとうにユニバーサル(universal)と言えるのだろうか。