ハナウマ・ブログ

'00年代「ハワイ、ガイドブックに載らない情報」で一世を風靡した?花馬米(はなうま・べい)のブログです。

「そのまえにトイレ行ったら手ェ洗えよ」

2020年02月16日 | 沈思黙考
新型コロナウィルスの問題で、街ではマスクが品薄になったり、ネットでは高額転売が行われているようです。正しく使えばマスクは一定の効果はあるといえますが、
「そのまえに、トイレ行ったら手ェ洗えよ」
と言いたくなることがあるのです。
 
マスクさえしていれば、とりあえずは安心という気になっているのかもしれません。確かにマスクは正しく使えば一定の効果はあるといえます。しかし、コロナウィルスに限らずウィルス対策という点でいえば、私たちはもっと根本的なところに意識を向けなければならないのではないでしょうか。
私が不思議に思うのは、駅やオフィス、商業ビルなどのトイレで用を足したあとに、手を洗わない人の割合が決して低くないということなのです(もちろん筆者は男子トイレの事情しか知りませんが)。
中には指先をちょいと水で濡らすだけの人や、そのまま自分の髪を撫でつけたり顔を触ったりして出ていく人もいます。
ふだんこういった意識で生活している人が、今回のような事態になってマスクを買いに走ったり、「咳エチケットをちゃんとしろ」などとワケ知り顔で他人に言っているとしたら、お笑いではないでしょうか。
 
同時に、ウィルスはすべての人に等しい結果をもたらすものではなく、個人の免疫力、抵抗力、体力などによっても異なってくるようです。だとすれば睡眠不足、暴飲暴食、悪い栄養バランス、過度の飲酒習慣など、よろしくない自分の生活習慣にも、しっかりとした視線を向けるべきなのだろうと思うのです。
こういった自分自身の生活様式、行動パターンには意識を向けずにマスクを着けて安心しているとすれば、残念な人、ひいては社会の中で迷惑な存在といわれても仕方がない気がします。
たとえて言えば、自分の体調が悪いのにオイスターバー(生牡蠣を楽しむレストラン)へ行き、具合が悪くなったからといって店側に文句を言っているような人物とそう変わりがないように思えます。
 
ある料理研究家が、「昔から日本人は、事あるごとに手を洗うという素晴らしい習慣を持っている」と話していました。
外から帰ってきた時、ご不浄(トイレ)に行った後、ものを食べる前、そして神仏に祈る前...。
その手洗いは当然、指先を水で濡らして髪を撫でつけることではないでしょう。神社では手の洗い方に作法がありますが、科学的にどうかは別として、次の人のことまで意識した衛生観念が、その作法の中に存在しているように感じます。
 
よく考えてみれば何のことはない、私たちが幼稚園や保育所、小学校などの先生から教わったことをキチンとやっていれば、かなり話は違ってくるのだということなのです(もしくは口うるさい奥さんから?)。
 
「新たに金を出してモノを買い求め、それを使用することで安心してしまう」という「付け足し発想」をやめ、いまの自分の生活習慣、衛生にかかわる自分のクセに意識を向けることを第一に考えるべきではないでしょうか。
そのうえで、やむを得ず人ごみに出る場合などにはマスクを正しく使用する、場合によっては高級な製品(空気清浄機など)を購入する、といった考え方の順序を意識することが大切だと思うのです。
 
いま、このテキストを読んでいただいているあなた。
スマホの表面やパソコンのキーボードがどれだけ汚いものか、知ってはいても意識はしていますか?
まさかそのまま、ご自分の鼻(粘膜)をホジホジとかしませんよね。
そういえば、私がある仕事でレストランの厨房に出入りしていた時、「洗い場専門」の中年女性がスマホをいじっていて、その場で料理長から呼び出され厳しく叱責されていたことを思い出しました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« UDタクシー乗車拒否、問題の本質 | トップ | 隠されているコロナ感染者たち »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。