神社仏閣には石造の奉納物が多い。その中で、最も自由な造形感覚が見られるのは、燈籠や手水である。特に手水には実用的な意味を除くと他に大きな規定がないのだろう。大きさや形、そこに刻まれる文字などもきわめて多様である。しかし、「手水」という文字が刻まれたもには出会ったことがない。一般的な「奉納」「奉献」の外には「水盥」「漱水」「盥磐」など直ぐには読めないものが多い。「盥」は(たらい)と読むらしいが、現在では「たらい」そのものを知らない人の方が多いだろう。「漱」も(そそぐ)と読むが、夏目漱石を連想する人が多いかもしれない。丹波の兵主神社では右から「清盥」と文字が刻まれたものがあった。奉納の年号を見ると天保三年とあるので、江戸時代も後期である。西暦では1832年で、西洋では科学が発展し始めた頃である。地球上の植物も動物も共通に、生物は細胞からできているということが知識人の間で理解された頃である。日本では大塩平八郎の乱が起きるなど、幕府政治が行き詰まる頃で、庶民の力と文化が発展し、ここの手水に見られるように、自然石の風合いを生かした造形感覚も楽しめる時代だったのだろう。
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30秒の心象風景6966・天保の手水~兵主神社~
https://youtu.be/i4ofUwYhXl8
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30秒の心象風景6966・天保の手水~兵主神社~
https://youtu.be/i4ofUwYhXl8