自分の学生時代、卒論のテーマは水戸学…特に後期水戸学を扱っていたので、水戸藩主徳川斉昭公が興した水戸藩校弘道館、藤田幽谷や藤田東湖、会沢正志斎などといった水戸学の大家について当時相当調べましたが…既にそれから8年近く経過しているので、だいぶ忘れておりました。
しかしながら、近代日本の礎を築いた水戸学が醸成された地を初めて訪ねることができ、非常に感動した次第です。
「尊皇攘夷論」というと、薩摩や長州によって興されたイメージが強いですが、実際に尊皇攘夷論を興し、大成させたのは他ならぬ水戸藩の功績であります。
水戸黄門、水戸光圀公によって興された大日本史の編纂…前期水戸学によって、当時儒学…殊に朱子学こそ至高の学問とされていた学問体系に一石を投じ、後期水戸学に繋がります。
後期水戸学では、日本の歴史的、精神的価値の復興を図り、尊皇攘夷論が大成。
水戸学の影響を受け、日本古来の精神規範「やまとこころ」を導き出した本居宣長の国学の力が、近代日本を形成する原動力になります。
こうして尊皇攘夷論の理論体系は水戸藩によって作られたものの、相当過激だった水戸天狗党の乱の失敗により、尊皇攘夷の実行は薩長に委ねられることに…それによって水戸は歴史のスポットライトがほぼ当たりませんでした。
明治維新により近代国家、大日本帝国が築かれても、天狗党の乱によって藩内のエリートの大半を失った水戸藩は、帝国政府の中枢に入ることも出来ませんでしたが、影で支えた水戸藩の功績は実に大きいものでありました。
非常にざっくばらんに書いてしまったのですが、そうした後期水戸学を大成させた水戸藩校弘道館に初めて足を踏み入れることができ、館内を見学している最中は、ずっと鳥肌が立ったままでした。
梅の木も物凄い本数が植えてあったので、また春に行きたいと思います。
梅の花の香りは良いですよね。
そして、全日本大会の翌週、下諏訪の和田峠にある水戸天狗党と松本藩諏訪藩連合軍による合戦…和田峠の戦いにおいて討死した水戸の志士が埋葬された地をお参りしました。
和田峠の戦いでは、水戸浪士の前に松本諏訪連合軍は敗退。
天狗党は再度京へ向かいますが、越前敦賀で投降し、殆どが斬首されてしまいます。
そうなることは承知であったはずですが、それでも上洛を決行した、水戸浪士の揺るぎ無き意志を称えたいと思います。
弘道館を後にして、茨城県を南下…武道の神様、鹿島神宮と千葉県の香取神宮を参詣しました。
鹿島神宮は4度目のお参りになりますが、香取神宮は初めての参詣です。
鹿島神宮に比べると、こじんまりとした印象がありましたが、やはり御神木の気迫は下総国一の宮であることを窺わせるものでありました。
普段遠征をした時には、その土地の物を頂く…という事で、海沿いだったら海無し県人の自分等は海産物を頂くのが通例でありますが、自分と帯同した道場の弟子、松本の先生共々すっかり昼食を摂るのを忘れてたおりました。
朝食はホテルのバイキングで満腹に食べたから…というのもありますがね。
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