あけましておめでとうございます。
通信の新年号はもう出てしまいましたが、原稿自体は昨年中に書かれたものですので、今これを書いている私にとっては、この原稿が新年初の掲載文になります。
昨年から通信に原稿を書かせてもらえるようになってから、何人かの方に『あなたの視点はなかなか面白い』とのお声を戴きました。以来外に出るときには、『何か原稿のネタになる事はないか』と考えながら過ごすクセが付きました。誰かに自分の書いた物を読んでもらえるのは嬉しいですね。
おかげでそれまで、ただ傍らを通り過ぎるだけだった風景や人の声に、より好奇心を持って接するようになり、退屈な毎日に張り合いが出てきた気がします。
私の文章に興味を持ってくださる方がいるとすれば、それは文そのものの善し悪しよりも、障害当事者による、それも日常に焦点を当てた内容のものが、まだまだ多くの人の目に触れることが少ないからではないかと考えています。拙い駄文ですがみなさんの心のきっかけ作りにしていただければ幸いです
ここにきて毎回の原稿のネタを探すのに苦労したりもしていますが、楽しんでくれる人がいるならそれを励みにして、やめろと言われるまでは続けたいと思っています。
新年のご挨拶ともども、掲載の機会をくださった八障連運営委員のみなさま、そしてこの原稿を読んでくださるみなさまに謹んでお礼をもうしあげます。
本年もよろしくお付き合いください
暮れに東京都東大和市の実家に帰省した私は、年明けてそこからさらに、母方の実家のある群馬県富岡市に親戚ままわりをしてきました。ちなみに母の実家のすぐ近くには富岡製糸場(明治初期に造られた日本最初の機械製糸工場)があります。
恥ずかしい話ですが…37歳にもなってお祖母ちゃんからお年玉もらってしまいました。私が一番年長の孫なのですが、障害があることもあってお祖母ちゃんはいつも私を気にかけてくれるのです。
他の孫、つまり私からすればいとこ達が成人し、就職する歳になってお年玉をもらわなくなっても、私だけには『あんたはほかの孫より大変だから特別ね。』とお気遣いをいただいています… 今年は他の親戚からもいただいてしまいました…ありがたいことです。おかげで先日は若駒の後輩達とカラオケにいけたし、来月は仲のよい学生ボランティアさんに一杯奢る事が出来そうです。
お祖母ちゃんの感覚だと、障害のある身体で生活するだけでも大変なのに、ましてやそれが親元を離れて一人暮らしをしているとなると、ものすごく困難なことに思うようです。
毎年毎年、合いに行くたびに「辛くはないか、寂しくはないか 美味しいものは食べているか」と目の端に涙を溜めて訊かれます。
私もそのたびに「八王子の人はみんな親切でいい人だから平気だよ。」と答えるようにしています。するとまた『エライねえ』といわれお小遣いやお菓子がもらえたりします。
いつのお正月だったか、今住んでいる場所の家賃を訊かれたので答えたら、『それだけ(の金額を)だせば、こっち(富岡)なら一軒家が借りれる!』と目を剥いて驚かれました。
さすがにそこまでの価格差はないと思うのですが…孫の務めとして笑って聞いてあげていました。そしてその後例の如くお菓子をもらいました。
ずっと子ども扱いされるのは複雑な気持ちですが、贈り物にはくれた人の気持ちがこもるものですし、ましてやお祖母ちゃんからのものなので断るのは失礼だと納得して受け取ることにしています。
一人暮らしを始めるにあたってお祖母ちゃんに言われた『人とのご縁はありがたいものだから、大切にしなさい』という一言の重みに、最近ようやく気づき始めました。
これからも見えない財産、自分の心の糧として大事にしよう思います。
通信の新年号はもう出てしまいましたが、原稿自体は昨年中に書かれたものですので、今これを書いている私にとっては、この原稿が新年初の掲載文になります。
昨年から通信に原稿を書かせてもらえるようになってから、何人かの方に『あなたの視点はなかなか面白い』とのお声を戴きました。以来外に出るときには、『何か原稿のネタになる事はないか』と考えながら過ごすクセが付きました。誰かに自分の書いた物を読んでもらえるのは嬉しいですね。
おかげでそれまで、ただ傍らを通り過ぎるだけだった風景や人の声に、より好奇心を持って接するようになり、退屈な毎日に張り合いが出てきた気がします。
私の文章に興味を持ってくださる方がいるとすれば、それは文そのものの善し悪しよりも、障害当事者による、それも日常に焦点を当てた内容のものが、まだまだ多くの人の目に触れることが少ないからではないかと考えています。拙い駄文ですがみなさんの心のきっかけ作りにしていただければ幸いです
ここにきて毎回の原稿のネタを探すのに苦労したりもしていますが、楽しんでくれる人がいるならそれを励みにして、やめろと言われるまでは続けたいと思っています。
新年のご挨拶ともども、掲載の機会をくださった八障連運営委員のみなさま、そしてこの原稿を読んでくださるみなさまに謹んでお礼をもうしあげます。
本年もよろしくお付き合いください
暮れに東京都東大和市の実家に帰省した私は、年明けてそこからさらに、母方の実家のある群馬県富岡市に親戚ままわりをしてきました。ちなみに母の実家のすぐ近くには富岡製糸場(明治初期に造られた日本最初の機械製糸工場)があります。
恥ずかしい話ですが…37歳にもなってお祖母ちゃんからお年玉もらってしまいました。私が一番年長の孫なのですが、障害があることもあってお祖母ちゃんはいつも私を気にかけてくれるのです。
他の孫、つまり私からすればいとこ達が成人し、就職する歳になってお年玉をもらわなくなっても、私だけには『あんたはほかの孫より大変だから特別ね。』とお気遣いをいただいています… 今年は他の親戚からもいただいてしまいました…ありがたいことです。おかげで先日は若駒の後輩達とカラオケにいけたし、来月は仲のよい学生ボランティアさんに一杯奢る事が出来そうです。
お祖母ちゃんの感覚だと、障害のある身体で生活するだけでも大変なのに、ましてやそれが親元を離れて一人暮らしをしているとなると、ものすごく困難なことに思うようです。
毎年毎年、合いに行くたびに「辛くはないか、寂しくはないか 美味しいものは食べているか」と目の端に涙を溜めて訊かれます。
私もそのたびに「八王子の人はみんな親切でいい人だから平気だよ。」と答えるようにしています。するとまた『エライねえ』といわれお小遣いやお菓子がもらえたりします。
いつのお正月だったか、今住んでいる場所の家賃を訊かれたので答えたら、『それだけ(の金額を)だせば、こっち(富岡)なら一軒家が借りれる!』と目を剥いて驚かれました。
さすがにそこまでの価格差はないと思うのですが…孫の務めとして笑って聞いてあげていました。そしてその後例の如くお菓子をもらいました。
ずっと子ども扱いされるのは複雑な気持ちですが、贈り物にはくれた人の気持ちがこもるものですし、ましてやお祖母ちゃんからのものなので断るのは失礼だと納得して受け取ることにしています。
一人暮らしを始めるにあたってお祖母ちゃんに言われた『人とのご縁はありがたいものだから、大切にしなさい』という一言の重みに、最近ようやく気づき始めました。
これからも見えない財産、自分の心の糧として大事にしよう思います。