近年私がもっとも力を入れている活動に、《市内小中学校での講演》があります。
八障連を通じ、ボランティアセンターとご縁を結ぶ機会に恵まれてのことですが、私がこの活動に格別の思いを持って臨むのには、私自身の苦い思い出が深く関わっています。
私は義務教育の9年間を普通学校の普通クラスで過ごしました。私自身の希望と言うより『我が子に平等の権利と機会を』という親の意向が強く繁栄された結果でした。
当時はバリアフリーの認識も一般的でない時代。教育委員会や学校の猛烈な反発を押し切っての強引な入学でした。そんな環境での通学が平和な物であるはずもなく、担任からはネチネチと嫌みを言われ、教室の中では一線を引かれ、挙げ句に同級生からも《早いとこ身ちゃん学校(身ちゃんは身障者のこと、つまりその学校とは養護学校)行けや》 などとからかわれるのはしょっちゅうでした。無論中には親しくしてくれた友人もいましたが、その彼らでさえお客さん待遇でどこかよそよそしいのです。他の友人同士で語り合うのと私に対する表情は、どこかに違いがあるように見えました。
私も権利の平等、機会の均等、いわゆる《統合教育》には賛成です。しかし暖かい周囲の理解と支援が得られない中、強引に、自分の思想だけを周囲の人に、そして子供の私に押しつけてきた親のやり方には、今でも首を縦に振ることが出来ません。
全校生徒のなかでただ一人の車イス。成長するにつれて自覚していく自分と他者との違いやコンプレックス。身体の障害や日々の体調について悩みを打ち明けて語り合おうにも、それが出来る対等な存在がいないと感じていました。 寂しかったし、もしかしたら当時の私を支えようとしてくれた人もいたのかもしれませんが、心の目の曇ったあの頃の私には、せっかく投げてくれたボールも上手く返せてはいなかったでしょう。
私が、講演を通じて一人でも多くの子どもたちと触れ合いたいと願うのも、自分自身が子供時代に上手く育めなかった物を、何とか取り返したいという気持ちからかもしれません。子どもたちが、街中で障害のある人々と出会ったとき、その出会いが双方にとって少しでも幸福な物であるように、という願いも大きいかなと思っています。喋る内容はいつも同じなんですけどね。
たとえば車イスを押す事一つとっても介助者と利用者の間で一番大事なのはよい関係を築くこと。
《自分が車イスを押してるんだから、良いことをしてあげてるんだ》とか《自分は身体が不自由なんだから、手伝ってもらうのが当たり前だ》というのではなく、乗ってる人への思いやりと、押してる人への感謝の心。双方その二つが揃わないと、《信頼》がないと安全で快適なお出かけはできないんです。』
もう一つ。
『誰もがみんな、目に見えるところ見えない所にかかわらず、少しずつ助け合っている。 車イスの人だけでなくて、みなさんでも、学校の先生やお父さんお母さん、クラスの友達、いろんな人に助けられているわけで。みんな同じなんですよね。』
…そんな感じで喋っております。
後日に感想文をもらう事もあります。あくまでも授業の一環なので、先生の指示で《感想文を書かされている子》集中力が途切れてしまい《聞いていられなかった子》もいると思います。そういう子はだいたい、ありがとうございました、と書くだけで精一杯だと思うし、紙一枚の文面にどれだけ《その子のホンネ》が込められているかは、よくわかりません。しかし、私にとっては、自分が語りかけたことが当の子どもたちにどれだけ伝わっているかを確認するための貴重な資料であり、マジメなお手紙も、どこかポイントがズレてるお手紙も、 『大事なお客さまのお言葉』 であり、講演の場を通じて私に勉強の機会を与えてくれたことに感謝こそあれ、どの子のどんな文章も、けしておろそかにはできません。
どんなことが書いてあったか、チラッと紹介すると…
『ぼくは、杉うらさんが、くるまいすに乗っていてあんまり幸せじゃないとおもっていたけど、杉うらさんは、友達といろんな所に出かけていて、幸せなんだなと思いました』
『体が自由にうごけないなんてさいしょはとてもかなしい人でけっこうくらいかんじかとおもっていたけど、杉うらさんが出てきたときはとてもあかるくてやさしそうだなとおもいました。』
『からだにしょうがいのある杉浦さんにくらべて、わたしたちはとっても幸せだということがわかりました』
『(車イスを)押すときも、押してもらうときも、「自分は偉いんだ」と思わないようにします』
『車イスにのってる人もそうでない人も、みんなで助け合うのが大事なんだとおもいました』
↑とまあ
小学生ではムリもないかと思えるような、若干アレっと思うような文章表現もあったりしますが、おおむね私の言いたいことは、どの子にもそれなりに伝わっているようで…
オイラ自身がこの子達くらいの時は、自分が幸せだとは全然思えなかったので、それも含めて、周りに支えられることがいかに幸せかって事ですよね。
小学生といえば、世の中が自分を真ん中にして回ってないことに気づき、自分と周りとの差に気づく時期だと思います。自分の心の中に誰かを受け入れる準備をする時期。今後自分という人間が、他の誰かにとっての大事な人になれるかどうかの、最初のきっかけを掴む時期。 彼らは彼らなりに、自分の心の中に私という他者を受け入れるスペースを作り、一生懸命目の前の私を知ろう解ろうとしてくれたんだと思います。
一人の人間の人格を育てていく大事な時期に、オイラの話したこと事が少しでも役立つことがあったんだとすれば、これに勝る光栄はありません。
八障連を通じ、ボランティアセンターとご縁を結ぶ機会に恵まれてのことですが、私がこの活動に格別の思いを持って臨むのには、私自身の苦い思い出が深く関わっています。
私は義務教育の9年間を普通学校の普通クラスで過ごしました。私自身の希望と言うより『我が子に平等の権利と機会を』という親の意向が強く繁栄された結果でした。
当時はバリアフリーの認識も一般的でない時代。教育委員会や学校の猛烈な反発を押し切っての強引な入学でした。そんな環境での通学が平和な物であるはずもなく、担任からはネチネチと嫌みを言われ、教室の中では一線を引かれ、挙げ句に同級生からも《早いとこ身ちゃん学校(身ちゃんは身障者のこと、つまりその学校とは養護学校)行けや》 などとからかわれるのはしょっちゅうでした。無論中には親しくしてくれた友人もいましたが、その彼らでさえお客さん待遇でどこかよそよそしいのです。他の友人同士で語り合うのと私に対する表情は、どこかに違いがあるように見えました。
私も権利の平等、機会の均等、いわゆる《統合教育》には賛成です。しかし暖かい周囲の理解と支援が得られない中、強引に、自分の思想だけを周囲の人に、そして子供の私に押しつけてきた親のやり方には、今でも首を縦に振ることが出来ません。
全校生徒のなかでただ一人の車イス。成長するにつれて自覚していく自分と他者との違いやコンプレックス。身体の障害や日々の体調について悩みを打ち明けて語り合おうにも、それが出来る対等な存在がいないと感じていました。 寂しかったし、もしかしたら当時の私を支えようとしてくれた人もいたのかもしれませんが、心の目の曇ったあの頃の私には、せっかく投げてくれたボールも上手く返せてはいなかったでしょう。
私が、講演を通じて一人でも多くの子どもたちと触れ合いたいと願うのも、自分自身が子供時代に上手く育めなかった物を、何とか取り返したいという気持ちからかもしれません。子どもたちが、街中で障害のある人々と出会ったとき、その出会いが双方にとって少しでも幸福な物であるように、という願いも大きいかなと思っています。喋る内容はいつも同じなんですけどね。
たとえば車イスを押す事一つとっても介助者と利用者の間で一番大事なのはよい関係を築くこと。
《自分が車イスを押してるんだから、良いことをしてあげてるんだ》とか《自分は身体が不自由なんだから、手伝ってもらうのが当たり前だ》というのではなく、乗ってる人への思いやりと、押してる人への感謝の心。双方その二つが揃わないと、《信頼》がないと安全で快適なお出かけはできないんです。』
もう一つ。
『誰もがみんな、目に見えるところ見えない所にかかわらず、少しずつ助け合っている。 車イスの人だけでなくて、みなさんでも、学校の先生やお父さんお母さん、クラスの友達、いろんな人に助けられているわけで。みんな同じなんですよね。』
…そんな感じで喋っております。
後日に感想文をもらう事もあります。あくまでも授業の一環なので、先生の指示で《感想文を書かされている子》集中力が途切れてしまい《聞いていられなかった子》もいると思います。そういう子はだいたい、ありがとうございました、と書くだけで精一杯だと思うし、紙一枚の文面にどれだけ《その子のホンネ》が込められているかは、よくわかりません。しかし、私にとっては、自分が語りかけたことが当の子どもたちにどれだけ伝わっているかを確認するための貴重な資料であり、マジメなお手紙も、どこかポイントがズレてるお手紙も、 『大事なお客さまのお言葉』 であり、講演の場を通じて私に勉強の機会を与えてくれたことに感謝こそあれ、どの子のどんな文章も、けしておろそかにはできません。
どんなことが書いてあったか、チラッと紹介すると…
『ぼくは、杉うらさんが、くるまいすに乗っていてあんまり幸せじゃないとおもっていたけど、杉うらさんは、友達といろんな所に出かけていて、幸せなんだなと思いました』
『体が自由にうごけないなんてさいしょはとてもかなしい人でけっこうくらいかんじかとおもっていたけど、杉うらさんが出てきたときはとてもあかるくてやさしそうだなとおもいました。』
『からだにしょうがいのある杉浦さんにくらべて、わたしたちはとっても幸せだということがわかりました』
『(車イスを)押すときも、押してもらうときも、「自分は偉いんだ」と思わないようにします』
『車イスにのってる人もそうでない人も、みんなで助け合うのが大事なんだとおもいました』
↑とまあ
小学生ではムリもないかと思えるような、若干アレっと思うような文章表現もあったりしますが、おおむね私の言いたいことは、どの子にもそれなりに伝わっているようで…
オイラ自身がこの子達くらいの時は、自分が幸せだとは全然思えなかったので、それも含めて、周りに支えられることがいかに幸せかって事ですよね。
小学生といえば、世の中が自分を真ん中にして回ってないことに気づき、自分と周りとの差に気づく時期だと思います。自分の心の中に誰かを受け入れる準備をする時期。今後自分という人間が、他の誰かにとっての大事な人になれるかどうかの、最初のきっかけを掴む時期。 彼らは彼らなりに、自分の心の中に私という他者を受け入れるスペースを作り、一生懸命目の前の私を知ろう解ろうとしてくれたんだと思います。
一人の人間の人格を育てていく大事な時期に、オイラの話したこと事が少しでも役立つことがあったんだとすれば、これに勝る光栄はありません。