コロナが収束しても、おそらく、マスクを外さない人が大半であると私は思う。
ウィルスは常在するからである。そして、コロナは半永久的に我々と付き合うことになる。
欧米ではマスクは少数派である。でも、この国では絶対多数である。
私はかねがね、マスクに違和感があった。
確かに、感染が広がりつつある時は、マスクは必要不可欠であることは明白である。
ただ、今後、感染が落ち着き、収束に向かいつつある状況にある時、我々はどう判断するだろうか。
マスクが常識になりつつある状況下に私は絶望感さえ抱く。
マスクを常識にしてはまずいと思う。
まず、マスクは人のはっきりした表情を隠す。人の微妙な喜怒哀楽を表すことを邪魔する。そして、人と人の感情の行き来を阻む。
これでは、人は意識のやりとりができない。
人は表情の微妙な変化でその意図するところを感じる。
そうでなければ、顔という位置付けは必要なのだろうか。
子供は表情で親の感情を把握する。
親がマスクをしている状況では、子供は親の意図を汲み取れない。
これでは、子供の情操教育に影響を及ぼしかねない。
子供は親の愛情を十分受けないと、その発育に歯止めがかかる。
子供に、マスクをかけた親が愛情を注げるわけがない。
最後に女性の顔そのものが隠れてしまう、というゆゆしき問題である。
この世で一番美しいのは女性の表情であると私は認識している。
美しい、かわいい、切ない、愛くるしい、そういう女性の表情がマスクで隠されるのは
いかんせん悲しいことである。
マスクでこの数年間、女性の目しか見ることができなくなった。屋外で特に顕著である。
これでは、女性を感じ取ることは、ほぼ不能である。
私は女性の顔全体をこの目でしっかり受け止めて、それを心に書き留めておきたいのだ。
今のこのマスク至上主義を潰さないといけない。
マスクなどくそくらえである。
マスクをつけるのは自由である。
ただ、それで何かに支障が出ることがあるのなら、いや実際支障は生じているから、それは否定されるべきである。
だから、マスクの世の中をまず、変えていかないと、この世は奇妙な世界になってしまう。
この日本の悪き慣習。なくしていかないといけない意識と行動。
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