一つは円覚寺が発行する「円覚」と詩人・坂村真民が華厳経を独自に訳した「念ずれば花ひらく経」。
円覚寺の横田南嶺管長は坂村真民という人が好きらしく、座禅会の話の中に何度も登場する。自身は円覚寺境内の一番奥にある黄梅院の住職をしていて、この黄梅院の入り口わきにいつも書を掲げているのだが、坂村真民の詩の一部を引用していることが多い。
坂村真民は学僧でも読むのが大変な百巻を超す華厳経を3度も読んだそうで、一念をもってすれば成し遂げられないものはない――念ずれば花開く、と華厳経を読み下し、平易な言葉を使って訳している。
訳文の後にいくつかの詩が載っていた。
念ずれば花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
咲くも無心
散るも無心
花は嘆かず
今を生きる
なじみ深い詩人ではないが、心にしみるものがある。
愛媛の人で砥部町に記念館があるという。
もう一冊の「円覚」には横田管長の「腰骨を立てよう」と題した一文が掲載されている。
座禅の初めに老師は「まず腰骨を立てて、背筋を伸ばし、深く静かに息をします」と教え諭すのが常である。
文章のごく一端。
「お彼岸を迎えます。彼岸とはこちらの岸に対する向こう岸で、こちらの岸が迷いの世界に対して、悟りの世界を表します。お彼岸とは、一週間悟りの岸に至るための修行をしましょうというのが本来の意味です。
悟りの世界に至るために、主に六波羅蜜が説かれています。それは布施(普く施しをすること)、持戒(戒めを守ること)、忍辱(にんにく=耐え忍ぶこと)、精進(つとめ励むこと)、禅定(心を静めること)、智慧(ちえ=悟りの智慧を開くこと)の六つです。
私たちは禅宗を学んでいますので、とりわけ「禅定」の修行を大事にしています。禅定は具体的には座禅にほかなりません」
と、座禅の目的を説明する。
「常に腰骨をシャンと立てること、これ性根の入った人間になる極秘伝なり」「腰骨を立てることはエネルギーの不尽の源泉を貯えることである。この一事をわが子にしつけ得たら、親としてわが子への最大の贈り物といってよい」という哲学者・森信三の言葉を紹介している。
どちらももう少し早く接していればなぁ、という感無きにしも非ずですな。
「腰骨を立てることを端的に『立腰』(りつよう)とも申します。立腰の要領は次の三つなのです。第一、まず尻をウンと後ろに引き、第二に、腰骨の中心を前へウンと突き出し、第三に、軽くあごを引いて下腹にやや力を収めるのです」と説く。
これはそれほど難しくはない。しかし、これを持続できるかが問題である。48年前の高校生の時には苦労した覚えがない。しかるに、今この姿勢を維持するのに特別の意識を必要とし、「苦」と感ずるのは、体が硬くなってしまったことに加えて、越し方の姿勢の悪さ(いろんな意味で)が影響しているからに他ならない。性根の入った人間になり損ねてしまった、ということのようである。
仕方ない。嘆かず今を生きよう。
国宝の洪鐘のある高台から南側を望む。東慶寺が見えている
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