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平方録

球磨川が訴えているもの

それにしたって、ちょっと酷すぎないか。
熊本県の球磨川流域を襲った水害と土砂崩れは多くの人の命を奪うとともに、流域の人々から安息の場所である家を奪い、なお原因となった雨を降らせ続ける構えだ。
昨日の拙ブログで梅雨末期の大雨による災害を心配して、八百万の神もほどほどに願いたいものだと書いたその日の出来事だけに、驚くと同時に呆然とさせられる。

あの流域で暮らし、今回被害に遭った人たちにどんな落ち度があったというのか。
多くの日本人がそうであるように、勤勉でよく働き、正直で日々つつましい暮らしを続けていた人々が被る仕打ちとしては過酷すぎる。
「線状降水帯」などという耳新しい言葉が気象解説に登場するようになったのはここ2、3年のことだと思うが、限られた地域に何日も強い雨が降り続けるなんてことが実際に起こるものだから、「経験したこともないような大雨」などという形容詞付きの警報がテレビで流れたりすると、ドキリとするとともに、なんでこんな現象がしばしば日本列島に現れたりするのさと困惑するしかない。

考えられるとすれば、地球温暖化に伴って地球全体で様々な気象上の変化が表れていることと無縁ではなく、日本列島の上に現れる線状降水帯などと言う化け物のような現象はまだその序の口かもしれないとも思える。
だとすれば今後は想像もできないような現象が現れて自然災害どころか、われら人類の生存そのものが脅かされるような事態にまで追い込まれかねないということも容易に想像がつくというものだ。
そういう恐ろしい出来事が荒唐無稽なSF小説の中の話ではないところまで来てしまっているのではないか。

今回の球磨川流域の被害に限らず、ここ数年の列島各地の自然災害の結果を目の当たりにするにつけ、その思いを強くしている。
良く捉えればこれは地球からの警告であって、この警告を無視し続けると地球からの究極の仕打ちがどんなものになるのかは、容易に想像がつくというものだろう。
スウェーデンの怒れる少女グレタ・トゥーンベリさんの指摘は正しい。

とにかく、とりあえずはアメリカの「第45代」の命運が11月で尽きるよう、アメリカ国民に目を覚ましてよと切に願う。
そして蔓延しつつある自国ファーストの嫌な流れを断ち切って、地球上の国々がまとまって温暖化に立ち向かえる体制を整えなければ…どれだけ犠牲者を出したって、それでもまた同じことが繰り返されるに決まっている。
そんなことでは犠牲者の霊はいつまで経ったって浮かばれない。

夢さめて みればもとより 蓮の上


近所の寺で咲いているハスの花
見出し写真はけさ4:27の東の空 てっきり雨だろうと思っていたのだが…


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