照葉樹と落葉樹の混交林で、黒潮洗う太平洋岸によく見られる樹林である。シイやカシなど実のなる植物も多いせいか、縄文の人々にとっては欠かすことのできない食料庫でもあった。
そうはいっても、ここに縄文人の住居跡があったわけではない。照葉樹林の一般論である。
春はヤマザクラの隠れた名所で、オオシマザクラの大木など、見事というしかない巨木が今年も花を咲かせていた。
この時期は日が暮れると深い谷戸のそのまた奥深くの小川の流れるあたりに、ホタルが乱舞するという。
「という」…という言い方は、そういうことは聞いていたし、環境的に見てもホタルの生息に適しているだろうなと思わせる自然環境が残されているものの、実際には足を運んで確かめたことがないからである。
最近は湿地に尾瀬のような木道も出来あがって、足許を気にしないでも済むようになった。
しかも、天下の隠居の身である。
何をはばかることがあるものか。
ホタル鑑賞の後のことも考えて、晩飯も食べずに妻と出掛けてみた。
現地に到着してみれば、緑地の周囲をびっしりと住宅が取り囲んでいるところならばこそでもあるが、夕餉を済ませたであろう老若男女が懐中電灯を携えて谷戸の奥に分け入っている風情である。
時折闇の奥から懐中電灯の光が漏れてくる。人の話し声が聞こえてくる。
風もなく、しかも梅雨時の、少々湿ったような空気に包まれた谷戸の、ぽっかり空いた上空の一角に宵の明星が輝やき始め、静かに帳が降り始めると、かすかな水の流れる音に乗って1匹、2匹と闇の奥の木立の合間に光の明滅が現れた。
「あっ、光った!」「あ~っ、あそこあそこ、光ってる!」「あ~っ、あっ、あっ、あ~んなに上の方まで飛んでるよ!」
姿は見えない闇の奥底から、さまざまな喚声が湧き上がる。
鶴岡八幡宮では放生会という行事で、昨日あたりから境内の一角の池の周りにホタルが放たれて大勢の客が見物に訪れているようだが、この緑地のホタルは正真正銘、自生のホタルである。
この時期に飛び交うのはゲンジで、ヘイケより個体そのものも大きいから、光も強く、見ごたえがある。
しかし、ちょっと前までは、どこにでも見られた光景だろうに、都会ではもはや貴重で、珍しいものになってしまった。
ほんの10年くらい前までは、わが家近くの田んぼにもホタルが飛び交っていて、深夜酔っ払って通りかかる時など、捕まえたホタル数匹をたばこのセロハンの包装をはがした中に入れ、提灯を気取って家までかざして帰り、寝ている娘たちの部屋に入りこんで、「お~い、起きろ~! ホタルを捕まえてきたぞ~!」と部屋の中に放してひんしゅくを買ったのを思い出す。
田んぼからは姿を消したが、田んぼが水を引いてきている至近の夫婦池のほとりにも、真っ暗な闇が広がっている辺りに、まだホタルが健在だという。
ここは夕方になると門扉を閉ざしてしまう、実にけしからぬ公園緑地なのだが、外からのぞくことは可能である。腹立たしいが、とりあえずは致し方ない。
確かめてみる価値はありそうである。
なにはともあれ、ホタルが飛び交うような自然が身近に残っているのは嬉しいし、今となっては貴重である。

江ノ島を遠望する左側の山々の連なりが広町緑地

iphoneのカメラで撮ったホタル。絞りを開放にするやり方を知らないので、光跡が写らないのが残念

広町緑地までの道すがら、あちこちに自生のヤマユリが見事に咲いている