生後100日目に行われる儀式で110日目でも120日目でも良いのだとか。
生後100日ころに乳歯が生えてくることから、この時期に「一生涯、食べることに困らないように」という願いを込める儀式で、平安時代から行われてきたものだという。
塩焼きにされた尾頭付きの鯛がデーンと乗った膳が運ばれてきて、父方の爺さんが食べさせるまねごとをしたが、若は泣きもせず静かにしていた。
多分食いしん坊なのだろう。あるいは自分でも食うに困らないように願っていたのかもしれない。
イギリスでも似たような儀式があって、幼児洗礼にスプーンを使ってお食い初めと似たことを行っていたようで、裕福な家や身分の高い家では使うスプーンが銀製だったことから、家柄の良い、富裕な家の出身であることを「銀の匙を咥えて生まれてきた」というようになったそうだ。
なるほどね。
平安時代から行われていると言ったって、こうした儀式がはやり始めたのは一体いつ頃からなのか。
戦後間もなく生まれた吾輩はそんなことをしてもらったなどと聞いたこともなく、豊かな時代に差しかかっていた頃に誕生した2人の娘にもそんなことはした覚えがない。
第一、七五三だってやってもらったことも、やって上げたことも無いのである。
最近の若い親たちが、こうした行事や儀式にやけに熱心なように思えるのは、どういうわけだろうか。
そもそも、こうした儀式が知られるようになったのは、つい最近のことのようにも思えるが、一部の上流階級の、それこそ銀のスプーンを日常的に使っているような家では当たり前の儀式だったのかもしれない。
それが少しばかり豊かになり、平和も長く続くうちに、何かの拍子にこの儀式の存在を知って背伸びをしてみた庶民を介して、広く伝播したものなのか。
その日の糧にも事欠くようなありさまでは、赤ん坊の祝い事など望むべくは無いし、ましてや食べ物に困らないようになどと願うのは、敗戦直後のような、実際に困っているような状況でやるとしたらブラックジョークである。
ともあれ、生まれて1年をわが家で過ごした姫も、7年前に同じ北鎌倉の日本料理店からわが家に祝い膳を届けてもらって祝ったのである。
こういうとき、母方の爺さんなどと言うのはやることがないので、ニコニコと笑顔を作りながら、「お祝いだ、お祝いだ」と言って遠慮なしに杯を傾けていれば良いだけなのである。
昼酒と言うのは美味しいもので、祝い膳は精進料理ではないが、親たちが注文したのは精進料理で、燗酒とは良く合うのである。
何と爺孝行な孫たちであることよ。
お食い初めの祝い膳
お食い初めの帰り道に立ち寄った浄智寺の布袋さん
同じく寄り道した海蔵寺のヤマユリ
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