平方録

広町ホタル狩り異聞

夕食も食べずに広町緑地に出掛けてゲンジボタルの群舞を楽しんだのは、その後、どこか気の利いた店に入って一杯やろうという魂胆だった。

江ノ電まで歩いて鎌倉や藤沢の繁華街に出ても良いし、選択肢はいろいろある。
結局、一番近いモノレールにひと駅だけ乗って、ホームステーションなどという言葉があるのかどうか、いつも使う駅で降り、モノレールの線路下にある焼鳥屋の暖簾をくぐることにした。

この店はモノレールが着いて客が降りてくるたびに、煙をもうもうとたてて換気扇で交差点に流し、信号待ちしている勤め帰りの焼き鳥好きの鼻をくすぐって店に誘いこもうという作戦を展開していた。
この魅力的な誘いに乗れるような好適な時間に帰れるわけもなく、店の前を通るのはいつもモノレールの終電も行ってしまい、店の明かりが消えかかるころに、ようやく疲れきってタクシーで戻るという日々であったから、「1度は誘いにフラフラと暖簾をくぐる時が…」と思ったりしていたに過ぎなかったのである。憧れの女性に声もかけられないで遠くから眺めているだけ、というような存在だったのだ。
そのチャンスが1998年にやってきたのである。今から17年前のことである。

7月1日に父親が仏壇の火の不始末をしでかして家が全焼するというような、思ってもみなかった事件に遭遇し、続いてひと月余り後の8月中旬、松坂大輔の横浜高校が甲子園でPL学園と信じられないような延長戦を戦った挙句、勝ち進み、結局真紅の優勝旗を持って帰ってくる。秋には大魔神・佐々木のフォークボールがさえ渡り、横浜ベイスターズが何と38年ぶりにリーグ優勝し、日本シリーズにも勝って日本一になるというような年である。
更に付け加えれば、松坂がビュンビュン投げ込んでいたのと同じ時期に突如、不本意な異動を告げられ、更にそのひと月余り後には東京の虎ノ門で地下鉄を降りて地上に出たところで具合が悪くなり、救急車で搬送されるというような、思えば波乱万丈な年であった。

傍から見れば随分と元気なく見えたんだろうか、仕事で知り合った年上の女性が「あんた、大丈夫なの?」と何度も電話をくれて、酒にも誘ってくれ、何かにつけて励ましてくれたことなどが思い浮かぶのである。
まさに、そういう年に、左遷されて暇なものだし、暖簾をくぐったのが始まりである。
その後は、暮れかかるのを待ちかねて暖簾をくぐり、1人でカウンターに座ってちびりちびりやっていたのである。
背中を丸めた亭主の姿を、妻は車で通る際にガラス戸越しに2度見かけた、と後に言っていた。
そして左遷は9カ月余りで終了し、再び忙しいポジションに就いたので、足は自然と遠のいてしまっていた。

前置きが随分と長くなったが、実に久しぶりに暖簾をくぐったのである。
午後8時をちょっと回ったころなのに、カウンターには客が1人いるだけで、鹿児島生まれの親爺が客の隣の席に座って話し込んでいる。

焼き鳥を注文し、わけても名物のつくねは健在で、薩摩焼酎はとても美味しく、足が遠のいていたことがとてももったいなく感じられるほどであった。
焼き鳥は皮が美味しかった。煙をたてて客を誘うためにも使うが、本来はほど良く焼いて食べるものである。
「生の皮を使ってますからね、美味しいはずですよ」と親爺は言う。
意味がよくわからなかったが、たいがいの店は皮をゆでて柔らかくしてから串に差しているんだそうな。
「串に差す時に楽でいいんですよ。だけどゆでれば味が逃げちゃうし、パリっと焼けないですよ」
知らなかった。鎌倉で生の皮を出すのはこの店だけだそうだ。確かに自慢するだけはある。

酒が進むうち、妻が「今日はおひとりなの」と親爺に聞いた途端、思いがけない答えが返ってきた。
「息子は去年突然死しました。一人っ子だったんですよ。もう癒えましたけどね…」
「伊勢佐木警察の遺体安置室に行って、顔に掛けてあった白い布をそっとめくって、間違いありません…って、テレビドラマみたいでしたよ」
休みの日に横浜に飲みに出かけ、心筋梗塞で亡くなったという。42歳で独身だったとも。
「72歳ですけどね、家内と二人っきりになっちゃって、もう少し働かなくっちゃね。いつまでやれるかなぁ」

一気に湿っぽくなってしまったが、そんなところに相次いで若い男女が別々に入ってきて、2人は顔見知りのようだが、少しにぎやかになった。
今度もまた妻が隣の若い男と話しているうちに、娘と小学生のクラスが一緒だっと言うことがわかり、住まいもわが家のすぐ近くのサクライ君だったのである。もちろん私は知らないが。
で、娘に電話して今度クラス会をやろうとか、思わぬ展開になった。

地元の赤ちょうちんと言うのはこういうところなのである。
地元の人が集う場所なのだ。煩わしければ近づかなければ良いだけの話である。
1本100円の焼き鳥は気取りも何もない、素朴なもの。しかも、小ぶりだから何種類も楽しめて、ちょうど良いのである。
気取ってぼってりしたものをレモンなどを添えて出されでもした日には2、3本でお腹いっぱいになってしまう。そんなところはまっぴらごめんである。

あの「酒場放浪記」にも2年半ほど前に登場して、その時には息子もカウンターの中にいたのを覚えている。
かくなる上は親爺に1日でも長く暖簾を守ってもらわなくてはならない。




生のまま串に差して焼いたカワ。あちこちピンととんがっているのが生の証拠


わが家の「マダム・アルフレッド・カリエール」。5月上旬に盛りを終えてしまい、つるバラには二番花は無いそうだが、どうした風の吹き回しだろうか…
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