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平方録

明けの十六夜の月

月見ればちぢに物こそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど (大江千里)

「『秋は自分一人にだけ来るわけではない。だれにでも来るのだ。それなのに、月を見上げていると心が千々に思い乱れて物悲しい』という意味で、百人一首にも採られている歌の内容は憂愁だが、いかにも日本人が秋の季節に空を見上げたとき抱くある種の情感を代表しているような歌である」と、歌人の大岡信は解説している。
実にその通りで、こういう月を一人ぼっちで見上げていたら、たぶん涙がこぼれ落ちてくるんじゃないかとさえ思う。
この歌はたぶん中学時代の現代国語か何かの教科書に載っているのに初めて出会い、そのままボクの記憶のヒダに刻まれたまま今日に至っている歌であり、まさにオーオカセンセイご指摘の通り日本人の心とは切っても切れない歌だと思う。
今朝も午前4時を回ったばかりの西の空に十六夜の月がポッカリ浮かんでいて、まだ明けぬ周囲を煌々と照らしていた姿が印象的だった。
ただし、言うまでもないことかもしれないが、同じ月でも明け方に見る月と、闇が支配する真夜中に見上げる月は別物で、朝見る月ではこの歌の情感は盛り上がってこない。
同じ月なんだけどねぇ…
 

久しぶりに近所の池と森の公園をパトロールしてみる


秋の野の花が咲き出すころだろう…と思って足を向けたのだが、公園内の開けたところの草むらは御覧のようにきれいに刈り込まれてしまっていた
芝生の庭じゃあるまいし、刈り込むことにどんな意味があるってんだっ! そのままにしておけば、様々な野の花が咲き乱れる"花園"が見られるってのに…


別の場所の刈り残されたところでかろうじてシロタデが咲いていた


シロタデに交じって何やら薄紫色の小花も…


水色の花も…


水色はツユクサ


一丁前にマメ科の植物の花のような形をした薄紫色の極小の花はツルマメだろうか


そして公園奥の林床ではツリフネソウがぽつりぽつりと咲き出していた


特徴的な花の形…
 

それにしても創造主は手の込んだ形にしたものだ


花は文字通り茎からぶら下がっている 
フネというより何か動物の消化器官のようにも見える
 

一角はこの花ばかりが群れ咲くところ つぼみもたくさんついている


公園を離れた窪地にボタンクサギがたくさん生えていた


こんな大きな半球状の花がぼこぼこ咲いている光景は見方によっては異様


道端には清楚なノギクの仲間が咲いていてほっとする


 
 

コメント一覧

heihoroku
アミさん こんにちは。

草むらってところは小さな宇宙みたいなところです。
それが都会では年々狭くなったり、全く消えてしまったり…
寂しいことです。
アミ
よぉつ! 植物博士!
見逃すような小さな植物にも、いとおしい目を向けてらして…。
敬服しております。
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